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空気力学と


「先生って」
「うん」

「緊張とかしないんですか?」
「しないね」

「どうしたら緊張しなくなりますか?」
「んー・・・そうだなぁ・・・」


そういえば長いことしてない。緊張。

”プレッシャーやストレスで普段通りのパフォーマンスが発揮できない問題”はあらゆる場所で耳にする。プレッシャーも、ストレスも、緊張感も、勝負どころにおいては、ほどほどには必要なもの。効力を有効に発揮する要素、自身のポテンシャルを底上げしてくれるバフだったりもするので”緊張しないこと”が一概に良いとは言えない。

ちなみに、緊張していない=気が緩んでいる、というわけでもなかったりする。集中はしてる。命懸けで。

「一緒に考えてみよっか」

役に立つかはわからない、覚え書き程度のものにしかなり得ないだろうけれど。


サークルでの音出し、スタジオ練習、文化祭での演奏、ライヴハウスへの出演。生徒たちの多くには、何をやるにも”初めての”がついて回る。楽器を触ることそのもの、本物のドラムセットに座って音を出すことさえ初めて、という子も時にはいる。

未知のものは怖い。その先に何が待ち構えているのか、どのような結果に至るのかわからない、知らない、予測ができないという恐怖は計り知れないものだ。

”場数をこなしさえすれば”と言ってしまうのは簡単。100本も200本も舞台に立てば、そりゃあある程度は慣れもするのだけれど、それを求めるのは酷というもの。ここはひとつ今すぐにでもどうにかしたいに応えてみようと思う。本来なら一夜漬けのメソッドのようなものは存在しないし、時間を掛けて、あらゆる体験・経験値によって複合的に培われていくのだけれど、あまり野暮なことは言いたくもなく。

所謂、御託はいいから、というやつ。

「止まない雨はない」とかじゃなくて、今止んで欲しいのだ。雨を止ませることはできないけれど、雨が気にならなくなる、ないしは「雨もそんなに悪いものじゃないな」と思えるようになれる手助けはしたい。

少々拍子抜けするかも知れないけれど、個人的に一番簡単で最大効率だと思っているのが『深呼吸』。以前ラジオでも話したと思う。

たかが深呼吸と思うことなかれ。あらゆる場面において凄まじい威力を発揮するので、騙されたと思って取り入れてみて欲しい。
「深呼吸ぐらいやってるわ!!!」と言い返したい人、本当にちゃんと深呼吸できてますか?

緊張して身体が強張っている人の多くは呼吸が浅い。心拍数が上がっているので尚のこと浅くなる。加速度的に緊張が高まるループに陥っているので、根幹的にそれを断ち切らなくてはならない。
気の持ちようとかじゃない。まずは呼吸だ。

ふんわりした曖昧な答えじゃなく、経験則に基づいた確実な一つの解答を挙げる。

自律神経を整え、副交感神経を優位にする…などといった人体学的な言い方は一旦脇に置いておく。

慣れてきたら意識的にその場でやってもいいのだけれど、慣れていない人に「深呼吸して」と促してその場で行われる深呼吸は、だいたい浅くて早い。

なので、クリック/メトロノームを用いてみる。

・BPM40の4/4
・鼻から吸うのに1小節(4カウント分)
・口から吐き出すのに1小節

まずはこれを基準にしてみよう。クリックが用意できない人は、少し速度が上がるけれど時計の針の音(BPM60)でも良い。

目を閉じて、ゆっくり、少しずつ、空気の入れ替えを行ってみる。お腹に手を置いてもいいし、胸に手を当ててもいい。
深呼吸に慣れてくると「あ、落ち着かなくなりそう」という予兆に際し、身体が反応するようになる。自浄作用の機関がパッシブで発動する。

「どのぐらいやればいいですか?」
「好きなだけやっていいんだよ」

何より「これをやっておけば大丈夫」というルーティン、精神的なトーテムの一つを獲得できる。

時間を意識していない状態の「ゆっくり」は、自分で思っている何倍も速い。脳の処理が追いついていない、いわゆる”追い立てられている状態”が緊張を生んでいるので、人間の防衛機構の作用として正常な現象ではある。危機的状況を認識し、感覚が鋭敏化、心拍数が上がっているため相対的に時間の流れは遅く感じる。要するに肉体を制御できない「自分が思い描いたようなパフォーマンスを発揮できない」という問題が発生するので、まずは呼吸によって本来の自分のリズムを取り戻す

なので『時間』という普遍的なものの制御下で「ゆっくり」を植え付けるところから始めてみるといいかも知れない。”緊張が生じている問題の根本的解決”にはならないけれど、心と身体を整えることによって落ち着きを得られるので冷静に状況を俯瞰できるようになると思う。
予測範囲外からのトラブルに対する適応力、レスポンスなどにも直結してくる。

ほか「お気に入りのお茶を飲む」「靴紐を結び直す」「好きな曲を聴く」「大切な人を思い浮かべる」など、心の落ち着きに使えるものは多ければ多いほど良い。

「その行為をしている時に、普段の自分は緊張しているだろうか」

答えは言わずもがな。
弛緩して、リラックスして、表情も柔和だろう。

心の不安を占めているものが大きく立ちはだかっている"かのように思えてしまう"状態から、距離を取って遠くから眺められるような。所謂、俯瞰へ。

ちなみに「張り詰めていたい人」も少なからずいる。ヒリつくような緊張感で場を支配して、極限まで自分を追い込むストイックな姿勢も、一つのスタイルだ。

僕がいくらゆるゆるのゆる太郎だとして「なに緊張してんのさ〜」なんて茶化すようなことはしない。張り詰めていたい人の気持ちも、ものすごくわかるから。その緊張感、プレッシャー、甚大なストレスごと抱擁する気持ちでいるために、僕はできるだけリラックスするようにしている、というだけ。
並走はする。熱はある。けれど、暴走はしない。
後ろは任せてもらって、安心して好きなだけ暴走してもらうために、だ。

重ねて言うが、緊張していないだけで気は緩んでいない。

ドラマーは舞台の一番後ろから全体を見渡さないといけない。自分のことに意識を向けるのは練習まで。リハーサルと本番はアンサンブルに全神経を集中させる。

というのも、僕は完全な『憑依型の演奏者』なので(そうなるように仕向けていたらそうなった、とでも言うべきか)舞台に上がった/ドラムセットに座った途端に、それまでの”一般人あくとくん”人格が吹っ飛んでしまう。

「話してみたら全然印象と違った」と言われるのは多分こういうこと。
・・・なのかな。自分じゃあんまりわからないのだけれど。

焦っている、慌てている、緊張している相手に「落ち着いて」と口で言うのは簡単。自分の思い描く”落ち着き”を押し付けるのではなく「こうしてみるといいかも知れないぜ」と気付きを分け与えるように。

寄り添う。

「一緒に深呼吸しよっか」

そういうのがいい。一緒だったら怖くないよね。
”呼吸を合わせる”とは言ったもので、クリックを共有して、並んで深呼吸をしてみるのも、なかなかどうして一興なのだ。

”自分のことでいっぱいいっぱい”な状態から、周りを見渡せるようにしてあげることで、改めて気付きを得られることがある。

「ひとりじゃない」ということ。

多くのドラマーが、ミュージシャンが、たったひとりでステージに立っているわけではない。プレッシャーが内包しているのは、期待や責任を、頼もしさや安心感に。”心地よい”に変換できる『重さ』だ。
ひとりで戦っているわけじゃない。仲間が居るのだ。

体調が悪い時に雨に降られても迷惑だし邪魔かも知れないけれど、すこぶる体調が良い時は「雨も悪くないな」と思えるはず。

緊張している時。
不安で仕方がない時。
恐怖で身体が強張っている時。
手足が震えて声がうまく出せない時。

目を閉じて、ゆっくりと。
ゆっくりと、深呼吸をしてみて欲しい。

いつどんな時でも、あなたがあなたを取り戻せるようになりますように。

息継ぎって大事だ。
意識を向けてみると、見える景色が少し変わるかも知れないね。

………それでもどうにもならない時は、汗をかくほど思いっきり運動して、ついでに大声を出しまくる、という荒療治もあるのでこちらも是非。




僕という人間を紐解くと、傍目には『落ち着いている』らしい。

その実、アンテナの精度と受信感度が高いので”鈍感”というわけではなく。プレッシャーやストレスには人一倍弱い側、本来なら”緊張に負けやすい気質”を持ち合わせていると思う。事実として、駆け出しの頃は手足が震えていたし、練習通りにできなかった。想定外のことばかり起きて、頭が真っ白になっていた(今でも過度のストレスに晒されると同様の状態には陥る)

そんな自分がこうなれたのは、度重なる失敗と恥によって感覚が鈍化したというのもあるとは思う()
けれど、自分を俯瞰する術を覚えたからだと思う。覚えた、というか。学んだ、と言うべきか。

落ち着いている人が誰か一人いるだけで、その場の空気が弛緩するらしい。
しんどいのは嫌だ。張り詰めたくないし、お腹が痛くなるのも食欲が無くなるのも困る。かつての僕はとてつもなく緊張に弱いあがり症の権化だったから、そういう人を見るとついつい過去の自分と重ねてしまうのかも知れない。

そんな僕でさえ、今となっては。

「今日観に来た人たち」
「一緒に舞台に上がる人たちの心に」
「何を残せるか」

たったそれだけ。
ただ、そればかりだよ。


大丈夫さぁ。

弱ってもいい。疲れてもいい。
情けなくも恥ずかしくもない。
生きてるだけでえらいっス。

息をしよう。


読んでくれてありがとう。


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