【短編小説】 黒の戦士たち

 もしかしてブラック企業なのかな?
 俺は入社一日目にして早くも就職したことを後悔していた。
 思えば、入社式での社長の演説がやたらと長かった時から嫌な予感はしていた。加えて、二、三日中に目を通してサインして来いと渡された契約書の厚みと言ったら! 何かの参考書かと思ったくらいだ。どんな複雑な契約を結ばされようとしているんだ? 正直、読みたくない。
 それでもまぁ、他の新入社員数名と一緒に社内を案内されて、担当部署の先輩(俺好みの美女!)に基本的な社内規則を教わるまではよかった。ところが終業時刻になると、いわゆる直属の上司ってやつが俺の前に立ちはだかった。
「お疲れさん。御崎《みさき》くん、一杯行こうぜ」
 上司の後藤さんは「何かスポーツやってたんですか?」ってつい聞きたくなるような、引き締まった巨体の持ち主だった。でかいのは声もで、どうやら見た目通り快活な性格のようだ。
 引きこもり気質な俺はちょっと話しただけで「あ、この人苦手なタイプかも」と思ったが、断る理由を探しているうちにグイグイ引っ張られて飲み屋まで来てしまった。とりあえず後藤さんは馬鹿力だってことがわかった。
 後藤さんは最初のうちは俺の緊張をほぐそうとしている様子で、気さくに当たり障りのない話題を振ってくれたが、酒が入るとだんだん馴れ馴れしくなり、ついには自分の家族の話をし始めた。
 大体の内容はこうだ。

 自分には中学生の息子がいる。最近あまり会話をしていないが、賢くてよく気が回る自慢の息子だ。
 妻はとうに他界しているため、現在息子が頼りにできるのは父親である自分だけである。
 小さかった息子には母親が必要だったかもしれない。再婚しなかったのは自分の気持ちの整理がつかなかったからだ。息子には申し訳なく思っている。

 勘弁してよ。初対面のおっさんの私生活なんかに興味ないよ。
 俺は「ハァ」「そうですか」「へぇ」などやる気のない返事しかしていないのだが、後藤さんの身の上話は止まらない。
「御崎ィ、聞いてくれよ。息子のヒロシがよ、どうにも昨日から様子がおかしいんだよ」
「ハァ(はいはい、ヒロシくんね)」
「夜中にやっと帰って来たと思ったら腕に包帯巻いてやがるから、どうしたって聞いたんだよ。なのに、なんでもないとか言ってよ、部屋にこもっちまって」
「そうですか(喧嘩かな)」
「聞き耳立ててみたらよ、どっかに電話でもしてんのか、ブツブツと契約がどうとか、代償がどうとか長いこと話しててよぉ」
「へぇ(うん?)」
「朝になったら出て来たんだが、ちょくちょく腕押さえて呻いてんのよ。俺が病院行くぞっつって支度してる間に学校行っちまいやがったが、追いかけるべきだったかなぁ」
「ふむ(それただの厨二病じゃね?)」
「そういやいつの間にか目の色真っ赤になっちまってたしよ。それも聞いてもなんも言わねぇんだよ。一体どうしちまったんだか……」
「ハハァ(カラコンに手を出してしまったか)」
 ヒロシくん、君の黒歴史は、たぶんこれから君のお父さんが会社中に拡散しちゃうけど、強く生きろよ。
 心の中でエールを送りながら飲んだビールは、なんともほろ苦かった。

 俺は店の外に出て、トイレに行った後藤さんが追いついてくるのを待っていた。
 この数時間で随分後藤さんに詳しくなってしまった。もしも後藤さんクイズなんてものがあったら高得点を叩き出せそうだ。全く嬉しくないけど。
 彼はちょくちょくこうやって部下を誘うんだろうか? 他の先輩方もこんなかんじだったらどうしよう?
 興味のない他人の個人情報を一方的に聞かされることが、こんなに疲れることだとは知らなかった。こんなのが続いたら鬱になりそうだ。契約書、読まずに返しちゃおうかな。
 でも、俺はもう大人だ。漠然とヒーローに憧れて過ごす子供時代はとうに終わったのだ。大人は働かなくてはならない。
「ハァ」
 ため息をついたその時だった。
 地響きとともに地面が揺れる。それも何度も。
 遠くから悲鳴が聞こえて来た。悲鳴と地響きはだんだん近づいてくるようだ。そして、それは唐突に姿を現した。
 五十メートルほど先の交差点の角からトカゲが顔を出している。その周囲を逃げ惑う人々のなんと小さいこと。いや、人が小さいのではなく、トカゲがバカみたいにでかいのだ。頭の高さはちょうどコンビニの看板くらいか。イグアナみたいに四つの足でペタペタと歩いている。
 巨大トカゲはチロチロと舌を出し入れしながら周囲を見回し、俺の目を見てピタリと首の動きを止めたかと思うと、吠えながら一直線にこちらに向かって来た。
 本当に驚くと声って出ないもんなんだな。俺は巨大トカゲを見つめたまま立ち尽くしていた。
 鋭い爪の生えた前足が俺に向かって振り下ろされようとした時、ドォンという爆発音が鳴り響き、俺は眩い閃光と土煙に包まれた。
 俺が咳き込んでいると、誰かが背中をさすってくれた。
「大丈夫ですか?」
 耳元で若い男の声がしたので「ありがとう」と絞り出すように言って声の主の方を見た俺は、意表を突かれて目を見開いた。
 身長は俺より少し小さい。160cm前後か。細い手足から、子供だと言うことがわかる。整った綺麗な顔立ちだ。俺が驚いたのは、彼の両目が真っ赤に輝いていたからだ。
 土煙がおさまってきて周囲の様子がわかると、俺はいよいよ自分の目を疑った。
 数歩先で巨大トカゲがぺちゃんこになっていた。アスファルトにひびが入って頭部がめり込んでいる。おまけに全身から立ち上っている真っ黒な炎、これはなんだ? ふと見ると、同じものが少年の拳からも発生しているではないか。
 少年の細い腕は黒く焼け焦げた包帯に包まれていた。今にもほどけそうである。
 なんか、いろいろどっかで聞いた格好だぞ?
「ヒロシくん?」
 呼びかけると、少年がハッとした様子で俺を見つめて来た。
「どうして……」
 彼の言葉は再び鳴り響いた地響きと悲鳴に遮られた。
 戸惑った顔をしたのは一瞬で、ヒロシくんは素早く身を翻すと、悲鳴がした方へ走り去って行った。
 その背中が見えなくなった頃、逆方向から俺を呼ぶ声が近づいてきた。
「御崎ィー! 無事かー!?」
 後藤さんだ。彼は俺の横に立つなり、でかい手のひらで俺の全身をバシバシと叩き始めた。
「イテッ、ちょ、痛いですっ」
「怪我ないか? ないな! よし!」
 後藤さんは俺の不満顔をよそに、満足そうだ。
「一人で帰れるか? 契約書持ってるだろ。あれに避難経路とかハザードマップとかも載ってっからよ、それ見て歩いて帰れ。な」
「? 後藤さんは帰らないんですか?」
「俺はそりゃあ……あぁ、研修明日からだもんな」
 後藤さんは言いながら懐から何かを取り出した。四角いカードのようなもの……彼の写真入りの社員証だ。どうして今、ここで出したんだ?
 いや、そんなことより、
「後藤さん、あの、息子さんのことで話が……」
「すまん明日にしてくれ」
 後藤さんは社員証を持った太い腕を頭上に掲げた。
「こういうのもうちの仕事なんだわ」
 突然、後藤さんの体が光に包まれた。真っ白な光の中でガチャガチャと音がする。
 フッと光が消えた時、後藤さんがいた場所に、全身を真っ黒なパワードスーツで覆った巨漢が立っていた。
 黒いヘルメットがこちらを向き、軽く手を振ってくる。
『じゃあな。気ぃつけろよ』
 言い捨てて、後藤さんは走り出した。ヒロシくんが向かったのと同じ方向へと。
 俺は開いた口が塞がらなかった。体の力が抜けて、へなへなと座り込む。

「……契約書、読も」



(この作品はマグネット!、アルファポリス、ノベルバ、エブリスタ、noteで公開しています)

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