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つれづれ雑記 *田んぼで四季を見る話


 私が子どもの頃に住んでいた地域は、田んぼや畑の広がる、正真正銘の田舎だった。
 住んでいた団地が建っていたのも、通学路や遊び場の公園や空き地も、田んぼや畑の真ん中だった。

 春は田んぼがレンゲでピンク色に、あぜがシロツメクサで白く染まる。
 学校帰り、あぜに入ってレンゲやシロツメクサを摘み、茎を編んで花輪を作った。
 カラスノエンドウの鞘の種を出して、吹くとピーピーと音が鳴る。
 スズメノテッポウという草の穂を抜いて葉っぱを折り返して吹くとこれもピーピー鳴る。
 通学路を友達とあるいは一人で、手にピンクや白の花輪を下げ、ピーピーとやかましく草の笛を鳴らしながら帰った。

 連休が終わると、田んぼはきれいに掘り返されて、黒々とした土が現れる。いかにも栄養がありそうな土がつやつやと輝いていた。
 しばらくすると、ため池から水が引かれ、もう一度耕される。この段階では、まだ田んぼの水は泥色に濁っている。
 そして梅雨の少し前、田植えが始まる。

 今は田植えはほとんどが機械植えだろうが、私が子どもの頃は手植えと機械植えが半々くらいだった。
 手植えと機械植えは植えたばかりのときには見分けがついた。
 手植えの苗は植えるときに掴みやすいようにそこそこ育っているが、機械植えの苗は機械にセットできるようにまだ小さいのだ。
 
 植えた跡も、手植えは微妙に曲がっているものの、全体として見るときれいに揃っていることが多かった。機械植えの苗は横列は揃っているが、縦の列は機械の条ごとにちょっとずつ曲がっていた。
 
 田植えがすっかり終わる頃には、田の水は澄み、初夏の風に細波を立てながら陽光にきらきらと輝いている。
 手植えの大きな苗は我が物顔に堂々と、機械植えの小さな苗は痛々しいほど健気に、それぞれ列を作って行儀良く並び、風に吹かれていた。

 梅雨に入り、苗はどんどん大きくなっていく。もう、手植えと機械植えの差はない。
 苗と苗の間はかなりの間隔がとってあったはずなのに、その間隔はみるみる狭まって水面は見えなくなり、夏休みに入る頃には、田んぼは一面の緑のじゅうたんになって、田んぼを渡ってくる風にさやさやと揺れていた。

 2学期が始まると、稲の苗はもう子どもの腰に届くほどになる。
 よく見ると葉の間にまだ頭の垂れていない緑の穂があちこちに出てきている。

 穂はぐんぐんと伸びて葉より背が高くなって実を大きくし、やがてその重さでだんだんと垂れてくる。
 穂が垂れ始めた田んぼは夏の濃い緑から黄色の混じった緑に徐々に変わり、少し涼しくなってきた風に吹かれて大きく揺れ、波を打つ。
 その頃には田んぼのあぜのあちこちが赤く燃え始める。彼岸花が咲いているのだ。
 一度だけ、きれいな赤色に心惹かれて摘んで帰り、彼岸花は家の中に持って入るものじゃない、と父に叱られた。
 
 稲穂が垂れてきた田んぼにはスズメ避けのさまざまな工夫がされる。
 角々に杭を立てて網を張ったり、風で揺れるときらきら光るテープを張り巡らせたり、空き缶で作った鳴子をぶら下げたり、スズメよりも人間の方が見たらびっくりするような案山子を立てたり。
 どれほどの効果があったのか私にはわからない。

 やがて、稲穂は熟し、赤とんぼが飛び交う田んぼは金色に染まった。風が吹き抜けると、田んぼはまるで黄金の海のように波立つ。
 日が短くなって夕暮れが早くなり、家に帰る道々で眺めた、夕焼けに赤く染まる田んぼは美しかった。

 運動会の終わる頃、あちこちで稲刈りが始まる。
 日に干された香ばしい藁の匂いと、籾を燃やすちょっと煙たいいがらっぽい匂いが、通学路に流れていた。
 稲刈りが済んで、稲の切り株がずらりと並んだ田んぼは、子どもの恰好の遊び場になり、下校途中に勝手に入り込んで走り回っては農家のおじさんによく怒られた。

 すっかり寒くなって霜が降りる頃になると、田んぼの土はカチカチに凍って、また春までの長い眠りに入る。

 子どもの頃の思い出は常に田んぼの風景と共にある。
 今住んでいるところは、すぐ近くに田んぼは無い。
 たまのドライブで田んぼの広がる地域を通ると、不思議とテンションが高くなり、家族に呆れられている私なのだ。
 


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