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僕が初めて社会で認められた日。

こんにちは、akimichiです。


今日はふと高校から大学に上がった初めての夏のできごと。


蝉の声が耳障りになりはじめた初夏のことを思い出しました。

その時から今もずっと(忘れていたけど)大切にしたいと思うことを書きたいと思います。


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元々小学生の時から、僕は背が低くて引っ込み思案ないじめられッ子でした。中学の時もいじめられてたかな。


高校の時に「いじめられッ子」が「いじられッ子」に変わってからだいぶ捉え方がマシになってきた頃でした。それでもぱっとしない高校生だった様に思います。


僕は大学進学前から進学後の初夏までほぼバイトもせず、ずっと引きこもり(授業は行ってた)でした。たまたま課題として提出した「ビジネスプラン」がその後の自分にとって大きく重要な転機になっていました。



「すぐそこ」にいる人たちが楽に暮らせる日常を作りたいと思って。

当時、僕は「方向音痴」であることがコンプレックスで、友だちや当時いた彼女と遊びに行くにも、自分が先導して歩く事すら出来ない人でした。


恥ずかしいなぁとよく自分の不甲斐なさと情けなさに打ちひしがれていました。今でこそ「Google MAP」があるので何も困らなくなりましたが。


そのコンプレックスを克服するため「方向音痴の人でも、簡単に目的地を検索できる電子地図案内版サービス」をビジネスアイデアとして提出。全国コンペで数千件の中から入賞しました。嬉しさより「僕のあのプランが!?」って感覚でした。


それからさらに調べて行くと目が悪くて小さい文字が見えない高齢者や方向音痴の人が周りにも沢山いることに気づきました。それから「これは便利だね」と言う声をチラホラ聞くように。その人たちのために僕にできることはないだろうかと小さな志が芽生えた瞬間でした。



小さな自己肯定感が自分にも他者にとっても大きな動機付けと勇気へ変わる瞬間がある。


この時僕が生きてきて、初めて社会で認められた気がしました。コンプレックスや生きづらさも自分一人だけの苦しみとして抱え込むのはなく、同様に苦しむ人の為に自分の躓く事例を共有し、相談役に回る事で自己肯定感を高めれば、自分以外の他者にとっても大きな動機付けと勇気に転換できる事に気づいた瞬間でした。



少し前を走る先輩がいたから次は違う誰かにこのバトンを僕が届ける番。


その後コンテストのプレゼンテーション大会までの期間、同コンテストで優勝経験がある、同じ境遇にいた少し前を走る先輩を後に所属することになるゼミの先生から紹介して貰いました。


その時「1対1個人メンターサポート」を受けました。プレゼンテーション大会まで定期的にアドバイスして貰い、自分にとって大きな成長機会の場になりました。


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その時から自分も同じ様に周り困った人が居れば状況や境遇に関わらず、出来るだけ多くの人の相談に乗るように。


無償でも有償でもその行いがきっと社会全体を良くできるに違いない。これは今でも変わらない信念になっているのかもしれません。


そう思った平成最後の夏の始まりでした。

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