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明るく正しい作品だけが人を癒せるわけじゃない

「やばい、もう限界かもしれない・・・」

認めたくない、まだ認めていないけれど、僕はどうやら少し鬱っぽい。

僕は夢だったSEになれたのもつかの間、入社した会社は超ブラック企業で残業に追われる日々を送っていた。毎朝鉛のように重い身体を無理矢理叩き起こし、ぼんやりした頭でコードを書く日々を送っている。

少し気晴らしをしようと美術館を訪れた。なるべく明るい雰囲気の展覧会を選んだ。六本木ヒルズの森美術館で開催されていた、村上隆という現代アーティストの展覧会だった。

色とりどりの黄色い花、ドラえもん、美少女フィギュア、ポップで明るい作品が並んでいた。その中に時折、原型を留めない程にドロドロに溶けてしまったカラフルなキャラクターの絵や、アメーバのように無限に数を増やしていく目玉の絵、死を予感させるドクロとお坊さんのキャラクターの絵があり、僕はぎょっとした。

でも正直なところ、その不気味な絵から目が離せなかった。どうしても引き付けられてしまう。

「やばいやばい、僕はやっぱり病んでいるかもしれない…」

不気味な闇から早く遠ざかりたかった。

展覧会の中ほどにモニターがあった。どうやらAIキャラクターが会話をしながら作品の解説をしてくれるらしい。僕はスイッチを押した。

『コンニチハ! ボク、DOB君。展覧会のことならなんでも聞いてね!』

ドラえもんとミッキーマウスを足して二で割ったような、青いネズミっぽいキャラクターがチョコチョコと現れて喋り出した。どこか既視感のある、かわいらしい姿に僕は少し安心した。

「どうしてこんなにこの作品は不気味なの? どんな意味があるの?」

僕はモニタ上の、DOB君がスライム状に変形し、縦横無尽にキャンバスの上を飛び回る作品『どこまでも深く・ブルー』をタップしながら聞いた。スライムの一粒一粒にDOB君の顔が映り、飛沫の表面のカーブに合わせてDOB君の顔がぐにゃりと変形している。

『いい質問ダネ! その絵の中でもボクはボクだよ。でも、いつもと違う角度から観ているから、きっと不気味に感じるんダネ。キミの心の色眼鏡が、ボクを不気味に観せているんだと思うヨ!』

え…? 予想外の答えに僕は言葉を失った。なんだこのネズミ、なんかムカつく…と正直思った。

「どういうこと?」

『キミがその絵を不気味に思うってことに、意味があるんじゃないかな? 試しに、上下左右、その絵を反転させて観てみてよ』

僕はモニターの上で、絵をタップして上下左右、くるくると絵を回転させた。スライム状になって飛び散るキャラクターの顔もくるくると回転する。

『いいね、いいね! 斜め右から観ても、斜め左から観てみてもいいかもしれない』

僕は素直にその絵を斜め右から、斜め左から、『どこまでも深く・ブルー』を見返した。

そしてそこで気がついた。

その絵は、どの角度から観ても印象が変わらないのだ。

『気がついたカナ? そう、その絵はどの角度から観てもいいんだ。正解がないんだよ!』

DOB君はニコニコと笑顔のモーションを繰り返した。画面にキラキラとポップな星が飛ぶ。

『絵は正面から観るって、誰が決めたんだろう? 近くのものは大きく、遠くのものは小さく見えるってのはホントかな? 

これはひょっとしたら、絵だけじゃなくて、現実の空間の捉え方もそうかもしれないネ。少なくとも、150年前のこの国の人には世界はそんな風に見えていなかったみたいダヨ!』

「なるほどねえ、ちょっとわかってきたような…いやまだむずかしいような…」

『みんな、おんなじ色眼鏡をかけているんだネ! でも、それって価値観のひとつでしかないんじゃないかな?

明るく正しい作品だけが、人を癒やせるわけじゃないヨ。たまにはいつもの色眼鏡を外して世界を観てみる、そんな体験ができるのも美術、アートの力だネ。美術、アートって最高だネ!!』

DOB君がお尻をふりふりダンスを踊る。可愛らしいスマイルを描いた、カラフルなマーガレットが画面を舞った。

『この絵を描いた村上隆は、日本の禅の思想、道元の影響を強く受けているんダ。自分の才能に絶望したとき、ちょっと引いて見てみる、メタ認知することで救われた経験がこの絵に生きているんだネ。君ももし行き詰まったら、魔法の呪文、般若心経を唱えてみてネ。人類最強の262文字だヨ!!』

「え、何…? 般若心経?? ちょっと待って!」

『今日はボクの解説を聞いてくれてアリガトウ! バイバイ、またね! 

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄…』

「え、マジかよ。癖が強いな…!」

モニタ上でDOB君はパタパタと手を振った。可愛いアニメ声で読経された般若心経が次第にトーンダウンし、モニターはスタート画面に戻った。

「色眼鏡を外して世界を観てみる、かあ…」

帰り道、六本木ヒルズから東京を見下ろした。どこまでもぎっしりと建物が続いていく。どれもとても遠くに見える。もう小さくは見えない。この中のひとつに、僕が働いている会社がある。

お金は多い方がいい。男は強い方がいい。非正規よりも正社員の方がいい。気づけば、大人になって行く課程で、僕は誰かが作ったたくさんの色眼鏡をかけてきたのかもしれない---。

一度かけた眼鏡を外すのは怖い。だってどんな風に世界が見えるか分からないから。

僕はまだ僕の価値観で、社会を見たことがない。僕はまだ僕のことを知らない。

あのちょっと癖の強い、青いネズミみたいなキャラクターを思い出しながら、僕は帰路に着いた。




※トップ画像は『村上隆五百羅漢図展』にて写真撮影許可を得たものを掲載しています。


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