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[朗読劇] 海の見える丘

登場人物
 
高志
春美
 
          春美
高志さん、わたしびっくりしました。あなたからの手紙。
だってわたし、あなたがずっと怒っているとばかり思っていたんですもの。あの頃何度お便りしても、あなたは返事をくださらなかった。だから、今日郵便受けに、あなたからの手紙を見つけたとき、本当にびっくりしました。そして・・・うれしかった。
『クラス会の案内を出しただけだ』とあなたは言うかもしれない。でも、高志さんが手紙をくれた・・・  そして『一度帰って来いよ』と書いてくれた・・・そのことがなんだかとっても心にしみて、暫くぼんやりしていました。いまさらわたしが、こんなこと言うのは変かもしれませんね。わたしはあなたが止めるのをきかず、東京へ出てきて、それっきり一度も故郷に帰っていない人間ですもの。もちろんわたし、がんばってるんですよ。図書館の仕事って傍でみているより、ずっと忙しいんです。それでも沢山の本に囲まれて、本の好きな人たちの中にいるとき、とても落ちった気分になって、少しくらいの忙しさなんて苦になりません。でも、正直にいいます:·夕方になって仕事が終わり、図書館を出ると、そんな幸福な気持ちも消えてしまいます。あの街の雑踏。どうしてあんな人が多いのかしら・・・
都会だから当たり前だといわれかもしれないけれど、夜の街を埋め尽くすほどにいる、あの大勢の人たちは、本当に用があってあそこにいるのかしら。それに、なんの勧誘か知らないけれど、道の真ん中で、だれかれ構わず声をかけてくる、男の人たちの巻きちらかす嫌な空気。
街でも駅でもみんなが殺伐としていて、やさしさに出会うことなんてほとんどない・・・そんな東京が、わたしは好きではありません。
この頃はよく故郷を思い出します。
海の見える丘から、よく高志さんと二人で遠くの水平線に浮かぶ船を見たことを。子供のころ、よく二人で、海の見えるあの丘へ登ったことを、懐かしく思いだします。あの蒼い海と青い空。海の色が濃いので、水平線は、はっきりみえた。そんな故郷の海を思いだします。
故郷に帰りたい・・・クラス会か・・・みんなにも会いたいな。
でもやはりわたし、帰れません。そのわけは、高志さん、あなたならわかってくださいますよね・・・
 
          高志
あのカーブを曲がると鏡のようなきらめきが目に飛び込んでくる。
車の窓から海風が塩の香りと一緒に、季節が変わったことを告げにくる。
湿った季節が過ぎ去ると本格的な夏がやってくる。
海岸には夏を待ち切れない若者や、海の家の準備で、少しだけ賑わいをみせ始める・・・
俺たちがガキだった頃から変わらない風景だ。今年もまたあの夏がやって来るんだ。今日も、海に沈む夕日が海岸沿いの町並みを赤く染めて、きれいだよ・・・
 春美、やっぱり帰ってこいよ。ここはお前の故郷だ。お前は帰れないわけがあるというけれど、そのひとつが俺のことなら、あきらめがついてるし、むかしのことを、むし返したりはしない。もうひとつはお袋さんのことだと思うが、二人きりの親子じゃないか。二人で話して、分かり合えないはずはない。お袋さんの意地っ張りにも困ったもんだが、なあに、本当はお前に会いたくて仕方がないんだ。俺が保障する。
なあ、 春美。 肉親がいるってのは、 当たり前のようだが、 実は大したことなんだ。俺はガキのころに両親をなくしちまったから、 よくわかる。だが、 俺には大好きな妹や弟がいたから、 ここまで頑張ってこれたんだ。お前だって同じことさ。 お袋さんのことが、 心底嫌いだってことはないだろう。
 
          春美
嫌いなわけないじゃない。 父が乗った船が遭難し て、 高志さんのお父さんも一緒だった。それ以来、 母は私を育てるためにだけ、 私を守るためにだけ、 働いてきた・・・そんな母に私は、 ずっと感謝し てきました。 今もそうです。でもその母を私は、 怒らせてしまった。東京の短大を卒業したあと、 帰ってこいという母に逆らって、 東京で就職し て、 妻子ある人と道ならぬ恋をして、 子供が出来て、 捨てられて・・・
あの二年間が、 紙に書いた文字のように、 消しゴムで消せるなら、いえ、 いっそのこと、 子供の頃に戻って母と二人の生活をやり直せるものなら・・・無理を承知でそんなことを考えることがあります。
もうじき夏。 故郷に花が咲き乱れ、 セミの鳴き声がうるさいくらいにそこここに聞こえる夏・・・麦わら帽子をかぶって花を摘んでいたお母さん、 若くてきれいだったお母さん。そんな母の姿が、 子供の私にも、 誇らしく見えたのは、 照りつける夏の日差し のせいだけでは、なかったはずです・・・
 高志さん。 あなたの手紙のせいで、 思い出をずっと心の奥にしまいこんでいた、 ふたがとれてしまったみたいです。 
故郷の青い海や、 その中にいた私自身が、 共にすごした人たちの姿が、 びっくりする<らい、 鮮やかによみがえってきます。
青葉の輝くこの季節、 あなたと一緒によく自転車で競争しながら、 学校に向かいましたね。さわやかな空気を胸いっぱいに吸い込みながら、 土手の上の道を、 一生懸命ペダルをふんで、 あなたのあとを追いかけた私。 なんて純情な幼い恋・・・なにをど うしたいわけでもなく、 ただ一緒にいればうれしくて、 ただ笑いあっていれば楽しくて、 何もかもが輝いて、 みんなの命が躍動し ていたあの頃・・・
 
          高志
ああ、 ほんとに楽しかったよな、 あのころは。 ああいう時代ってのは、 これから人生のいろんな問題にまきこまれて、 自分で戦わなけりゃならない人間への、 贈り物なんだろうな・・・きっと。 
あれから大方十五年か・・・俺にもいろんなことがあった。
お前にはいやな話かもしれないが、 やっぱりお前がいなくなった時はさみしかったよ。両方の親がのぞんでいたからといって、 何もそれにしばられて結論をだすことはない、 俺たちはたしかにそう話し 合ったが、 今思えば、 許婚なんて言葉のために、 余計反発し て、 ぎこちなくなっていたんじゃないかな。そし て、 春美が家出同然のように東京へでて行って・・・
しかし、春美は本当によくがんばったよな。思い出したくないだろうが、愛する人の子供をだめにすることは、女にとって耐えられないことだと思う。 お前にしかわからない苦し みを、 中途半端に同情するんじゃないが、その後の人生をきっちりと地道に歩いているお前はえらい。 俺は、 そう言いたい。だけどな、 俺たちの人生はまだまだ続くんだ。これからうれし いことや、 楽しいこともいっぱいあるはずだ。そういうものをちゃんと受け止められる気持ちだけはもっていようよ。やっぱり、 笑っていられる毎日のほうがいいもんな。
今の俺の暮らしなんかのんびりし たもんだ。 妹はかたずいたし、 弟も彼女と一緒に暮らし ていて、 もうじき結婚するらしい。
『これ以上、兄貴に迷惑ははかけられない 』なんて生意気いうようになった。嬉し いような、 寂し いような、複雑な気分だよ。
親父の代で遠洋はやめて、 近海を専門にやってる。猟師といったって、 昔とちがって近代化されて、 船にのったらびっくりするぞ。
夜中からの雨が今朝までつづいて、 今日は漁は休みだ。昼過ぎから天気になったので、 ちょっと早いが、 バルコニーにでて、 ビールを飲みだし た。
こういう時間が大切なんだって、 近頃しみじみ思うんだ 。

春美、お前からの手紙を受け取るのは嬉し いが、 なぜ一言、『 帰る 』と書いてこない。あと、 三日でクラス会だ。 もちろんみんなも会いたがっているし、 俺もお前の顔をみたい。だが、 それだけじゃないんだ。
おまえは帰ってこなければいけない。
実はお前のお袋さんは、入院している。お袋さんから、 強くくちどめされていたから、今まで書かなかったが、あえて俺はその約束をやぶる。
春美。 お前のお袋さんの命は、 せいぜいあと半年なんだそうだ。 十二指腸にできた腫瘍が、 ほうぼうに転移してし まっているらし い。 そし て、 本人もそれを知ってる。俺も驚いたが、 医者から強引に聞きだしたという話だ。『 すぐ に春美を呼ぼう 』というと、 お袋さんはこういった。
『 早く知らせて、 長い間、 あの子につらい思いをさせるのはかわいそうだ。 もうそろそろだというときに、一度だけあって逝ければいい・・・』
だが、 おれにはわかる。口ではああいっていても、お袋さんは、お前に会いたくてしょうがないんだ。だから帰って来い。命が尽きるのを知りながら、みんなのために明る< ふるまっている、 そんなやさし いお袋さんに会いに、 早く帰ってこい・・・
 
          春美
高志さん、 本当のことを教えてくれてありがとう。わたし明日の朝、 一番の汽車にのります。お母さんに会いに帰ります。わたしはあなたに口止めなんかしません。 お母さんに伝えてください。春美は帰ってくるって。 世界で一番好きなお母さんに、 会いに帰ってくるって 。
 
お母さん、わたし帰ってきてよかった。あんなにうれしそうなお母さんの顔、本当に久し ぶりにみたんだもの。会うのも久し ぶりだけど、 東京で思い出すお母さんの顔って、 いつも辛そうで悲しそうだった。
でも、 それもみんな、 わたし のせいなんだよね。 ベットの上のお母さんが痩せてやつれてみえるのも、 わたしが悪いんだって思えて。でも、 お母さん、 私のことばかり心配して『 わたしが意地を張りすぎた 』なんてあやまるんだもん。せつなかったよ。本当に・・・
ごめんね。 そし て、 ありがとう。わたし の我がままを許し てくればかりじゃなく、 わたしを育ててくれたこと、 しかってくれたこと、そう、 お母さんの娘でいられたこと全部に、 ありがとうっていいたいの。 
 
春美「高志さん・・・」
高志「お袋さん、 泣いてたな・・・始めてみたよ。
   でも、 よかったな、春美」
春美「高志さん、 お母さんの具合がわるくなってから、
   ずっと看病し てくらも、毎日、お見舞いにきてくれたって 」
高志「いいんだよ、 そんなことは 」
春美「それだけじゃないわ。 わたしがいなくなってから、 いつもお母さん                                            
   のことを気にかけてくれて、 様子をたずねてくれたって ...」
高志「いうなよ、 ありがとうなんて。 お前のお母さんは、 俺にとってもお
   袋みたいなものなんだから 」
春美「高志さん・・・」
高志「ああ: いや、 おれとお前のことじゃないぞ。 親友どおしだった親父
   たちが死んで、俺たち兄弟が叔父の世話になりだしてからも、お袋さ
   んは、俺のことを息子みたいに可愛がってくれたんだ。 だから・・」
春美「ありがとう・・・」
高志「いうなっていっただろ!」
春美「変わってないのね 」
高志「なにがだよ 」
春美「照れるとふくれっ面になるの。 子供のころと同じ」
高志「うるせえ・・・」
春美「うふっ( 泣き笑い )・・・」
高志「これからどうすんだ 」
春美「旅行に行こうと思うの。 お母さんと二人で 」
高志「え・・・」
春美「お母さんが言ったの。 残された時間がわずかなら、 行ってみたいと
   ころがあるって。お母さんずっと働きずめだったでしょう。 だから、
   行ってみたいところがいくつかあるんですって。 それで、二人で行く
   ことにしたの。図書館の仕事もやめるわ。そして。 少し でも、 はな
   れていた時間を取り戻すの」

          春美
高志さん、 本当にお世話になりました。 おかげさまで、 葬儀も初七日の法要も無事にすませることができました。 お母さんもきっと喜んでいるでしょう。ありがとう。お話ししたとおり、 私たちの旅行は大成功でした。どこへいっても、お母さんは心からはしゃいでいました。あんまり元気なので、 この人は本当に病人なのかし らと思うくらい。温泉の湯船でおしゃべりし て、部屋に帰ってまたおしゃべりし て、朝になったこともあるんですよ。本当に楽しくて、 幸せな時間でした。そし て、 家に帰って一ヶ 月、 静かな雨が降る日、 お母さんは、 逝きました・・・
高志さん、あなたは大声で泣いてくれた・・・私もそんなあなたの涙がありがたくて泣きました。高志さん・・・あなたはど うし てそんなにやさしくなれるの・・・
母の死は、 なにか、 とっても大切なものをわたしに気づかせてくれたようです。今、 わたしは東京の自分の部屋で荷物の整理をし ています。
そし て、 東京にさよならを言って、 まもなく故郷に帰ります。
もしも、あなたがそのやさし さを、もう一度わたしにむけてくださるなら、わたし・・・あなたの元へ帰ります。あなたに負けないやさし さをもって。これが昨日あなたから届いたお手紙の・・・返事です 。
 
               了                   


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