「相対的貧困率」という指標がおかしいと思う4つの理由

 最近、物価高や経済停滞によって日本が貧困化している、というニュースが増えてきており、以下のような「日本の貧困率が先進国で最悪になっている」というショッキングな記事も出てきています。

 しかし、この手の記事をよく見てみると、使っている指標が「相対的貧困率」というものであり、我々がイメージする貧困(絶対的貧困)とは少し違います。

相対的貧困とは、その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態のことを指しています。所得でみると、世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分(貧困線)に満たない状態のことを言います。

開発途上国だけではなく先進国でも相対的貧困は問題視されています。日本でも調査が行われており、基準となる貧困線は、総務省の全国消費実態調査では 135 万円(2009 年)、厚生労働省による国民生活基礎調査では 122 万円(2012 年)とされています。

国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパン HPより(https://www.worldvision.jp/children/poverty_18.html)

一般的には世界銀行が定める「一日に2.15ドル未満の生活」を送る人のことを絶対的貧困として定義しています。

この2.15ドルは国際貧困ラインと呼び、その時の情勢を鑑みて金額が設定されています。
2005年には1.25ドル、2015年には1.9ドルとなり、2022年9月に今の2.15ドルへと更新しました。

Spaceship Earth 記事より
(https://spaceshipearth.jp/absolute-poverty/)

 1ドル150円とすると上記での絶対的貧困の年収ボーダーラインは2.15×150×365≒11.8万円なので、日本で該当する世帯はほぼいないと考えられます。つまり、ニュースで騒いでいる「貧困」というのは我々が一般的に想像している「お金がなくて生きていけない」という絶対的貧困に喘ぐ人達のことではなく、「日本で一般的な生活を送っている人の半分以下の収入で生活している」といった、生きることは一応できている相対的貧困に該当する人達を指しています。
 近年、日本は相対的貧困に該当する世帯率、すなわち相対的貧困率が先進国の中でも高くなっていると話題になっています。最近目にすることの多い相対的貧困率という言葉ですが、個人的には指標としてあまり良いものではないと考えています。今回、その理由をざっとまとめてみました。

理由1:周りとの比較に過ぎない

 前述の通り、この相対的貧困に該当する世帯は「生活が困窮している」というより「外食や子供の習い事といった支出が周りに比べて少なくなってしまっている」という状態です。つまり贅沢はできないが生きていく分には問題ない収入を得ていることになります。
 ここで、外食や習い事がどれだけ必要かは各人の価値観や好みによってまちまちです。また、そういうものが少なかったからと言ってその世帯が必要以上の不利益を被ることもありません。そもそもそのような生きていくうえで必須でない「贅沢」をしたいのであれば、より高給な仕事に転職する努力をすべきです。現代の日本では希望しない仕事を、奴隷のように無理やりやらされることもありません。
 結局のところ「周りと比べて劣等感を感じる」という次元の話であることも多く、そういった心構えでいるうちは例え収入的に相対的貧困から脱出したとしても周りと比べてコンプレックスを感じる状況は変わらず、「貧困」から抜け出せないと思っています。

理由2:必ずしも該当者=貧困ではない

 二つ目の理由として、相対的貧困に該当する人が必ずしも貧困で苦しんでいないことが挙げられます。この指標の中には貯蓄や資産について考慮されておらず、収入は少ないが生活に困っていない高齢者やFIRE層も含まれています。特に日本は年金暮らしの高齢者世帯の割合が多く、相対的貧困率が高めに出やすくなっています。当然彼らは自らの意志で働かない選択をしており、周りから貧困のレッテルを貼られること自体「余計なお世話」とも言えます。

理由3:生活保護を貰えば脱出できるから

 2018年における日本の相対的貧困の年間所得ラインは127万円で、1か月当たり約10.6万円になります。ここで、東京都の生活保護は単身世帯で月13万円ほど貰えるため、要件を満たして受給申請さえすれば相対的貧困から脱することができます。彼らは貯蓄があるので必要ない、持ち家などの資産を手放したくないなどの理由はあるかもしれませんが、それでも生活保護を受けることを選ばず、自ら相対的貧困を受け入れていることになります。

理由4:KPIとして適切でない

 最後の理由として、この相対的貧困率という指標が日本の豊かさ貧しさを示すKPIとして不適切であることが挙げられます。
 どういうことかと言うと、相対的貧困率の定義によればその国の所得の差が小さくなれば下がることになります。つまり、全国民の所得がほぼ同じになるようにすれば相対的貧困率を下げることができます。では、その場合その国の幸福度は上がるでしょうか?
 答えはNOです。無職の人と働いている人、有力企業の経営者の収入を揃えるというのはまさに社会主義国家の考え方であり、この仕組みが上手くいかないことは歴史上証明されています。社会のために働くこと、およびその貢献度に対して収入というインセンティブが与えられる仕組みだからこそ人は頑張れるのであり、「人や社会のためになることをする」「努力が実を結ぶ」といった幸福を感じやすい社会であると言えます。

まとめ・提言

 以上の理由から、相対的貧困という思想自体が「貧困」の実態を表しておらず、ひいては「相対的貧困率」という指標で国家の貧しさを語るのは間違った解釈に繋がると思っています。各世帯の収入がどうなっていて、どのような生活を送っているかをきちんと理解したうえで、別の指標やアプローチで実態を調査して社会を良くする解決策を見出すのが正しい取り組みでしょう。
 また、相対的貧困が話題になる理由の一つとして、所得格差を悪とする見方が強いことが挙げられます。確かに各人の努力や社会への貢献度が所得に反映されていないのであれば、そこは問題です。しかし、社会全体の向上心やモチベーションを上げ、維持するためにはある程度の格差は必要です。日本の幸福度を上げるために、各人が適切な評価を受けて相応しい収入を得られる社会にすることが今の日本に一番必要だと思います。

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