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入院が楽しいなんて…

今までの人生で入院したのは3回。
1・2回目は子宮筋腫の手術。
出産前に2回も子宮を切っていたのだ。
こんな傷だらけの子宮の中で
チビ子はよく育ってくれたね。

傷だらけの子宮なので、
出産時の収縮に耐えられないかもしれない
という理由で、出産は予定帝王切開となった。
その出産時が3回目の入院。

いずれも命にかかわるような
病気ではなかったため、
入院生活は楽しかった。
深刻な病気じゃないから
そういうことが言えるのだけど、
上げ膳据え膳で、寝てばかりいても怒られない。
私にとってはある意味極楽だった。すみません。
まぁ手術は怖いし、手術の傷も痛かったけれど。

過ぎてしまったから
そんなことを言ってるだけで、
実は、その時はヒーヒー言って苦しんでいた。
存在しているのがつらい…と、
1度目の手術の翌日は思った。
でも2度目は医療の技術が進化したのか、
手術を受ける側が慣れたのか、
そんなにつらくなかったのを覚えている。

でも1回目の入院でも、
術後の傷がよくなってくると、
女性だけの大部屋が女子寮みたいで楽しかった。
漫画を貸し借りしたり、
「娘さん、おきれいですね!」
なんて、お見舞いに来る、
それぞれの家族の感想を言い合ったりしていた。
お見舞いに来てくれた友人を、点滴をつけたまま
エレベーターホールまで送って行って、
動き過ぎたために血が管に逆流してしまい、
慌ててナースステーションに駆け込むと、
看護師さんに「寝てください!😡」と
怒られたこともあった。
なんか、女子寮の問題児みたいだった。

そして出産の時は下半身麻酔。
1・2度目の手術のように、
寝ている間にすべてが終わっている
というわけにはいかなかった。
我が子の誕生の瞬間がわかるのは嬉しいが、
今まさに自分のお腹にメスが刺さっている…!
…と想像するのも怖かった。心配性なので
「手術中にトイレに行きたくなったら?」
なんて看護師さんに質問したし。
今考えると、麻酔がかかっているので
トイレに行きたい感覚なんてないわけで、
おかしな質問をしたわけだけど、
看護師さんも看護師さんで、
「その時はその時です」なんて答えるものだから、
「はぁ…」と納得せざるを得なかった。

でも娘が生まれちゃうと、
今までみたいな女子寮気分で入院していられず、
翌日から有無を言わさず
赤ちゃんのお世話が始まった。
まだ傷も痛いし、下半身麻酔の後遺症で
脚もガクガクしてちゃんと歩けないのに、
そんなことは言っていられない。
寝ていても、食事中でも、
「花咲さーん、赤ちゃん泣いてます。
 授乳をお願いします」
と呼び出されるし、前日までの
極楽妊婦生活とは大違いな毎日になった。
母になるってこういうことなのね、と思い知った。

一方、私の母は7年間入退院を繰り返し、
闘病の末、亡くなった。
そんな深刻な病気で、私と違って
毎回何時間にも渡る手術を受けていたのに、
入院生活は楽しんでいた。
そういう風に見せていただけかもしれない。
でも一人になれて、やはり上げ膳据え膳で、
好きな時に寝られることは喜んでいた。
でも、きっとものすごい不安を
私たちには見せなかっただけなんだろうな、
と今ならわかる。
深刻な病気なのに入院が楽しいなんて、
家族に心配させないためだったのだろうと…。

そして私が入院を楽しんでいたのも、
つらいから楽しもうと思っていた結果なのかも。
…と、今になっては思う。

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