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802 どうせ世界は何も変わらない

こんにちは!
全日本ミニマリスト協会です。

【どうせ世界は何も変わらない】

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つい先日車を走らせていたら、交通量が多い車道の脇で小3ぐらいの少年たちが自転車を止めて、走行してくる車に何やら合図を送っていました。
僕もその合図を受けたので徐行をしたのですが、何やら道路の真ん中をのそのそと歩いている黒い物体が。。。

ついにこの時期が来ました。
亀が冬眠から目覚めて歩き出す時期なのです。

で、その少年たちが何をしていたのかというと、亀が無事に道を渡りきるために車に合図を送っていたのです。
僕が通るまで何台の車が通ったかわかりませんが、誰一人止まっている様子はありませんでした

毎年この時期は歩いている亀が車に轢かれていたり、危なっかしく道を歩いているのを見かけます。

そこで僕は、ハザードを焚いて車を止めて、亀を捕まえて川に逃がしてあげました。(亀が向かってる方向と逆だったけど)

すると、少年たちが『ありがとうございました!』と大きな声でお礼をしてくれて、自分も『少年たち、優しいね!』と声をかけてあげました。

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この話、何のひねりもないただの日常だと思いますが、僕は深く深く考えさせられました。

もちろん、少年たちの行いや自分の行いは自画自賛してもよいほどに、素晴らしい行いだと思います。(自分はどうでもいいけど、少年たちは特に)

自分も『なんかいいことしたな』という気分になり、その日はなんとなくルンルンでした。
この小さなルンルン気分が、とても大切なんですね。

別に亀一匹を無事に川に返すとか、無事に道を渡り終えるサポートをするとか、
そんなことをしてもしなくても、大きく考えると何の意味もありません。
きっと、世界は変わらないし、世の中もなんも変わらない。

でも、例えば目の前に困っている人がいたら、自分ができることがあればやったほうがなんかほっこりできると思っています。
別にそんなことして世界が変わるわけないんです。
世界が変わるとか変わらないとかどうでもよくて、【自分にできることがあれば、何かできるんじゃないか】という心持ちであることが大事だというお話しです。

ただこれも、わかっているようでなかなか行動に移すことは難しい。
誰にでもできるわけではないし、なんなら気持ちに余裕がないとできない。
時間的余裕ももちろん必要で、トイレにめちゃめちゃ行きたい状況で亀が歩いていたらまた変わっていたかもしれません。

急に現れる【自分を必要とする場面】に遭遇したとき、どうにかして力になれるように時間もメンタルも余裕を持って生活したいのです。

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どうせ100年後にはみんな死んでるし、自分も死んでる。
いつか死ぬのは絶対だとしたら、こんな短い人生ならばなんとなくで生きるより、自分に正直になったり、誰かの力になれたり、意味のないことに本気になったり、なんか人として真っ直ぐに生きることで、人生が豊かになるんじゃないかと思っています。

自分を律することは、何なのか?
という話にもなると思いますが、一度きりの人生だから自分にとって最上の喜びは何なのかを理解して、そのために尽力することは、人生における大きな財産になると信じています。

適当に生きても時間は流れるし、一生懸命でも同じように時間は流れる。
誰にだって24時間だし、その24時間をどう過ごすのかで人生の豊かさレベルが変わる。

そして、人の喜びの最上は『誰かのためになれること』だと僕は考えていて、世のため人のために、自分が持っているスキルや考えで何かプラスの影響を与えることができたら、それってとても素晴らしいですよね。

例えば食事の際に手を合わせて『いただきます』なんて、別に言っても言わなくても良いと思います。
でも、どうせ食べる物ならばしっかりと挨拶して、食べ物があること、食べられることに感謝の気持ちを表して食べたほうが、なんか気持ちがいいはず。

挨拶もしないし、スマホを見ながら適当に食べてるし、なんなら食事に集中せずに食べるだけ食べてしまうと、食事はただの栄養補給の流れ作業みたいになってしまって、それはきっともったいないのです。

どうせ食べるならばしっかりと食事に集中して、しっかりと味わって、美味しく食べられることに感謝して食べたほうがきっと美味しい。
人ってそんなもんだと思います。

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全世界に古くから伝わるその場所その場所のしきたりやマナー、礼儀などはあると思います。
それを信じようが信じまいが、やろうがやらまいが、人それぞれなのは間違いありません。

でも、そのひとつずつを適当にしてたらきっと他のことも適当になるし、人としての軸としか芯というか、そういったものを失ってしまうような気がしています。

だから、僕個人的には小さな小さなマナーや礼儀、作法などを大切にして、人としての格式をあげることができたら、なんか自分がより律されるような気がしています。

物を大切に扱うこと、挨拶をしっかりすること、目を見て話すことなど、できることはたくさんある。
やらなくてもいいけど、やったほうがなんか心があったまる方向があるならば、どうせならやったほうがいいんじゃないかと僕は思います。

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長くなりましたが、亀一匹で起きた出来事でいろいろと思うことがありました。
誰だってちっぽけだし、自分はそんな立派な人間でもないけれど、小さな親切とかは大切にしていきたいと思った一幕でした。

ちっぽけな自尊心が満たされるのって、意外とこういうことですよね。

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