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外国に住んでみたかった。

今僕は「Stay Salty」というWeb Magazineを発行しているのですが、そのマガジンに連載(不定期)参加いただけてる人たちの半数以上は海外に住んでいるか、海外に住んでいたことのある方々に執筆してもらっています。

毎号原稿と写真をいただき、文章を読んで写真を拝見して、Web上にレイアウトしてゆく作業は、繁忙期にはなかなかのプレッシャーと共にじっくり時間をかけられないジレンマと戦うこともありながらも、いつもなんとも幸せで楽しい作業でもあるのです。

というのも、僕は幼少の頃から20代中頃まで海外の生活に憧れていたような若者だったものですから。
今初めて他人様に告白するとですね、アメリカに住みたい、とずっと思っていて、中学生の時にはミルウォーキーに住む女の子と英語で文通とかしてたこともあったし、テイタム・オニールに英語でファンレターとか送ったこともあるくらいでしたから(無謀!!!)。笑

そんな若者だった僕も、日々音楽活動に没頭する日常を送る貧乏ミュージシャン生活の中、徐々に海外生活の夢は薄れ、英語への取り組みも情熱を失っていったようです。
まあ人生怒涛でしたから、何かと楽しく悩みながら生きてきたわけなんですね。

24、5の頃、アメリカへ3週間の旅へ。
中古レコード屋を回り、その頃は日本になかったタワーレコードに行ってレコードを物色したり。

ベイグドポテトというライブハウスで日本人の仲間のバンドの方が全然上手いしいい曲だよなとか思いながら地元のバンドの演奏を聴いたり。

ドジャースのキャップを被ってロスの郊外の住宅地を散歩してたら
庭先でビールを飲んでるおじいさんが
「お前はチャイニーズか!」
と聞いてきたので
「違うよ。ジャパニーズだよ」
と答えたら、
「おお!日本でドジャースは有名なのか!」
と聞いてきたので、
その当時僕はドジャースのファンだった(野茂がドジャースに入る10年も前のこと)ので、ハーシュハイザーやガービーが好きだと言ったら
「おおお!なんとスティーブやオーレルを知ってるのか!一緒に飲もう!おーい!ビールを持ってきてくれ!」って家にいる奥さんに叫んで、ビールを奢ってもらってドジャースの話をしたり。ww

ロスに滞在したその旅で、アメリカとはこんなに薄っぺらい感じなの?という勝手に膨らんでいたアメリカへの憧憬はすっかり失うような印象もありましたが、それでもロスで短いながらも生活した雰囲気は格別で、簡単な英語もなぜかその頃は話せたし、半月も生活してると最後の方は一部英語で物事を考えるという感覚まで味わえたくらいでしたから。w

なので、今もその頃の憧れた感覚や匂いは身体に残っていて、海外での生活を語っている文章やエッセイを読むと、キュンとした想いが掠るのです。w

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この歳になって振り返ると、海外旅行も数えるほどしか行けてなかったし、海外に出て世界を見るという人生は歩めなかったことにはほんの微塵ほどは後悔もありますが、それでも来世へのお楽しみということにして余生を過ごしたいと思うのです。

そうでなくても、なかなか素敵で怒涛な人生だったとも思えますからね。w

来世こそ。
日本人として海外に住もうと思います。w



こんな時代だからこそ、魅力的なことをやってきた人の今とこれからへの想いを聞きたい!これから何かを目指して進もうとしている人に、そこに立つ人の願いのような想いを届けるべく、WEBマガジン「STAY SALTY」を作りました。想いを同じくする方のサポートよろしくお願いいたします。