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言語化することの大事さ、そして難しさ

たまに、ポカンとされたり、話が噛み合わないことがあった。

考えていることが伝わらなかったり、共感が得られないととても悲しい気持ちになる。

僕は人から「ロジカルだね」とか「論理的だ」と言われることが多い。
これは自分でも気がついていて、確かに理系の分野で院生をしていることや、プログラミングをしていること、また順序立てて物事を話すこと、日常で生活をしていても「ああ、僕ってロジカルなんだ」と思うことは多い。

けれど、頭固くなりたくないとはずっと思っていて、小説も好きだし、感性も大事にしたいと思ってこうして感性を重視してnoteを書いたりもしている。

そんな僕が苦手なことが「人に伝えること」なのである。
僕の中でその原因は「論理をすっとばすこと」なのである。
きちんと論理的に筋道立てれば伝えることができるのだけど、それをすっ飛ばしてしまう。
それほど話すのが得意ではないので、長い論理を人に説明するのはわりと緊張するし、場合によっては自分でも論理をすっ飛ばして結論に至ることもある。
要は「ズボラ」なのだ。

例えば昔あったのは、僕は読書が好きなことからある日突然「読書アーティスト」という肩書を名乗り始めたことがある。
それにはきちんとした理由があって
・これからはSNSのブランディングが大事だと思った
・僕のアイデンティティは「読書」かなと思った
・アーティストに憧れていた
・漢字+カタカナの組み合わせの響きが良かった
などいくつかある。

けれど、これらを全部説明するのを面倒に感じてしまって、それで急に「読書アーティスト」なんて言い始めたのだから、それは伝わらないわけである。

先日、「スープストックトーキョー」の創業者の遠山さんのお話を聞く機会があった。
そこで彼がおっしゃっていたのは、「アートとビジネスの違い」だった。

アートもビジネスも自分にしか見えていないものを実現さえるという点では同じだけれど、アートは一人でやり、ビジネスは人に伝えることでみんなで実現する

という話をされていて、僕はここにもビビっと来た。
やはり、人に何かを伝えたり、ビジネスとして実現するためには「言語化」というのが必要なのだと思う。

それまでも人に伝えることに対しての苦手意識があった僕はこうしてnoteをはじめたりしていたわけなのだけれど、この話を聞いて言語化の重要性を再確認した。

「難解な本を読むときには、本を読む目的と自分にとっての重要性を3つずつ書いておく」というテクニックがある。

最近、研究のために使う本の積読が溜まってきていたので一気に読むことを決意した。
それで先ほど、それぞれの本に対してそれらの目的と重要性を書き出して見たのだが、ここで困ったことになったのである。

全然言語化できない、、、。

なぜこの本を読むのか?
なぜこの本が自分にとって大事なのか?
この答えが全然出てこないのである。

けれど、人からのおすすめだったり、読みたいものは読みたい。
これって、論理的と言われている僕だけど、けっこう直感的なのでは?と思ったりもする。

そしてこのことからの学びは、意外と「解像度が低かった」ということだった。
つまり「なんとなく」で本を読んでしまっていたということだ。
もちろん読まないよりは良いのだけれど、「難しい本を読むときのコツとして、しっかり自分にとっての目的を落とし込む」ということが大事なのかもしれない。
言語化はその手段なのである。

つまるところ、自分の中のものをしっかり言葉にできる力がまだまだ伸ばせそうだ。
日々のnoteなどで意識していきたい。

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