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自分を飾る言葉を選ぶ

周りにあふれるモノ・コト・言葉たち

noteは私にとって自分を向き合う場。
noteに書くたび自分と向き合う。
今のところ私に合っている方法に思える。

心地よい感じ。ちょうどいい。しっくりくる。

こういう感覚がとても大切だ。
大したことじゃない、と思っても、時にじっくり味わってみる。

育ちの過程でキツい経験の多かった人は、我慢は得意でも、心地よい感じ、ちょうどいい、しっくりくるようなモノやコトを選んで、自分のそばに置くのは少し苦手かもしれない。

なぜなら、じっくり味わう…そんなことすらも、味わうための最初の瞬間をまず自分で掴み取らなければならない。案外と受け身ではない、積極的な作業。
自分の気持ちや感覚をキャッチして味わう作業が日ごろのルーティンになってないなら、自分のとってちょうどいい何かを見つけて味わう、といっても、何から?どこから?となる。

HSPともなると、感覚に敏感だから、なおさらちょうどいいなんて見つけにくい。私がそうなのだけど、五感に限らず、例えばことばの感覚、語感みたいなものにも敏感だったりする。同じ単語でも前後につく形容詞だったり、表現の仕方やタイミングで、ニュアンスが違うから、その違いをつぶさに読み取って、さらに空気まで読んで…疲れる。

たくさんの言葉を見聞きして、自分がついネガティブになってしまうような表現は見ない聞かない使わないのが一番。
だけど、意識すればするほど、やたら目に飛び込んできたりもするものだったりする(苦笑)

心地よくない表現を置き換える

日ごろ何気なく使っている表現の中には、自分の世界の中でもすっかり言い古されていて、その言葉以外表現しようがない、当然のこととして、人と話す時、頭の中で考えるとき、多用している言い回しがたくさんある。

でも、自分を超えたこの広い世界には、そんなに限定されたものばかりでないどころか、表現は無限に広がっている。
だとしたら、別の表現に置き換えられるものだってたくさんあるはず。

ここで、ひとつ例えをあげる。

私は、自分が大多数の人と違うスタート地点、言ってみれば、マイナスからスタートだったと思うことが時々ある。なかなか厳しい家庭環境で育ったという意味での、マイナスからのスタート。

こういうときに使う、マイナスという表現。

これは表現の一つとして、多分正しいし、周りとも共通理解を得やすくて便利。
だから、自分の状況を表す言葉として何度か使ってきたし、私の頭の中に当たり前のようにスタンバイしている表現のひとつだ。

マイナスはマイナス以外ないのでは?
確かにそんな気もする。

でも、自分を語るとき、いつもマイナスからのスタート、と表現していて……
私自身は全く明るくならない。悔しさが込み上げてきたり、これを糧にして…なんて思うこどあるけれど、その時点で変な力みがあるのを感じる。
あまり好きな表現ではないし、わたしにとって心地よくもないし、ちょうどよくもない。

そこでふと思った。
同じマイナスって意味だとしても、穴があいている、とか、ほころびがある、ってしたらどうだろう??

穴があいているから、ほころびがあるから、自分の中のエネルギーが漏れて貯まりにくい。疲れやすい。
マイナスのスタート、とだいたい同じことを言い表わしているように思う。

穴。ほころび。
表現を変えてみたら、私にとってマイナスという響きより少し良かった。
穴は塞げばいいし、綻びは直せばいい。そう思えた。

ここでは、私にとって、というのが大切。
おそらく、私が穴やほころびに対してマイナスよりいいと思えたのは、私は愛着あるモノは穴があいてもほころんでいても、直してでも使おうというところがあるからだろうと思う。

例えば、お気に入りの服。私は少し破れたり虫食いの穴があいたとき、捨てることもあるが、直すこともある。

私の体型では合う既製服が少なめなので、体にしっくりきて気に入ったデザインのものがなかなか見つからない。だから、お気に入りを見つけると、見つけたときの喜びも大きくて、着ているうちに愛着も湧いてくる。買い替え時でも、直すという選択肢が自然と入ってくる。

私が日頃マイナスとしていることは、この愛着あるものたちのほころびや穴となんら変わらない、と思ったら、直せばいいでしょ、穴を埋めればいいでしょ、と思いやすくなったのだ。

マイナスという表現は、プラスのするまでの過程があまり楽しくない感じ。歯を食いしばってやっとみんなと同じスタートに立てるという感じがどうしても私の中にある。

一方、穴をふさいで直すのは、歯を食いしばらないし、むしろ直ったらまた楽しめる、うまく直すぞ、とちょっと楽しいゲーム感覚。私には断然こっちが楽しい。

自分の表現は自分で飾る

私たちは、日ごろからさほど意識することなく、巷で使われているいる表現で自分自身の存在や人生を飾っているように思う。

たとえ大して気に入らなくても、流行っているから、伝わりやすいから、という理由で、安易に表現を普段使いする。気軽でコスパのいいファーストなんとか、みたいに。

確かに、最近使われるようになった表現を、会話やネット上のやりとりに取り入れることは、コミュニケーションがスムーズになることも多いし、便利な一面はある。私自身も場面場面であえて使い分けすることも多い。

でも…自分を表す言葉に関しては、もっと自分中心で選んでもいい気がする。
ずっと自分とともにいるのは他の誰でもない自分自身。
表現するたびに嫌な感覚があるなら、しっくりこないのなら、気づいた瞬間に投げ出していい。瞬間から、自分にちょうどいい表現を探し始めたらいい。

情報が溢れるとともに言葉も溢れるご時世だから、自分のことぐらい、丁寧な表現選びが出来るゆとりがほしいなと思う。

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