嫌な記憶の中にポジティブを見つける勇気

約2ヶ月半ぶりに、10月からお店でアルコール提供。
最近〝飲み放題〟の文字もちらほら目にするようになった。

私の場合、待ってました!というわけではなく、偶然にも規制緩和の初日、外で食事と共に飲む機会があった。
周りを見渡しても、皆楽しそうにお酒を飲みながら会話を楽しんでいる様子は見ているだけで和む。

仇となったアルコールの話

アルコールというものの存在が私の中でクローズアップされたと同時に浮かんだのは父のこと。こういう思考モードになるとき父のことが浮かぶのは、私の中でもはや定番(苦笑)

父はほとんどお酒が飲めない。世代からしても、上司同僚とお酒を飲み交わすことが仕事のひとつだった。そんな時代に下戸というのは、それだけでも不利で、結構それなりの苦労があったようだ。

私は父にも母にも似ることなく、お酒には強い体質(隔世遺伝?)。
育った家庭内にお酒を飲める人がいなかったので、そもそも家で飲むという習慣が全くなく、私自身がお酒に強いと知ったのは、外で先輩や友人と飲むようになってからだった。

飲んでるとき皆が程よく緩んで和んでいる雰囲気は、家では味わったことのないもので、私はお酒自体というより、皆とお酒を飲む場にいることが割と好きだった。アルコールに強いという私の体質は、外では大いに役立った。

一方、家では真逆の効果となってしまった。

父は飲めないことが父が若いころから相当なコンプレックス 。もともと強かった私への様々な風当たりは、自分の娘はアルコールに強いという事実が判明して以降、ますます酷くなった。お酒を飲んで和めたらいいと、私は家でもお酒を飲み始めたことがあったが、そのたびに、背筋が凍るような目で睨みつけ、ときには、ずいぶんいい身分だな、と怒ってどなりつけてきた。何度かそんなことがあったのち、私は家でお酒を飲むことをやめた。

嫌な記憶の中を見つめるゆとり

またしても、アルコールにまつわる嫌な記憶がよみがえってしまった。
でも、案外落ち着いている自分もいた。

最近は自分自身を見つめることに対して、少しゆとりが出てきている。
封印していた嫌な記憶や感情と出会っても、なんとなく、まあ大丈夫、という、根拠のない自信がある。

実際、この嫌な思い出が湧いてきたときも、少しぐらいいいこともあるはず、とさらに見つめて考える余裕があった。

何かをきっかけにどうせ思い出してしまう記憶なら、いいことも見つけておいたほうがお得かも、とも思っていたから、一度考えてみたかったのかもしれない。

そして…いいことは案外すぐに見つかった。

アルコール依存症になる人の多くがアルコールに強い人だ。仕事上でも、アルコール依存に苦しむ人を担当する機会があるが、そこそこか結構飲める人のほうが依存症になりやすい。

私はアルコールに強い体質だから、この傾向に当てはめると、アルコール中毒や依存になる可能性は高いほうに入るのだけど、飲酒の家庭環境となると、かなり面倒だったことで、自然と環境に応じてコントロールする術が身についた。周りが飲めない人ばかりだと、お酒は高いとか、体に良くないとか、といった情報も散々耳にしているし、飲めない人たちとはお酒抜きで楽しめるので、これは案外よかったのかもしれない。

楽しんで飲めないと意味がないと思い知らされる経験を積むことになったために、今でも適量を越えて飲むことが選択肢にない。場に応じて、飲酒という行為をコントロールして使い分けが出来ることが私の中でいつの間にかデフォルトになっていた。

悔しさや憎しみをバネしない

久しぶりに、アルコール規制緩和をきっかけに嫌な記憶がよみがえり、その中からよかった面も見出せた。

これは、自分の中に少しずつエネルギーが溜まってきたからかもしれない。
嫌な記憶の中にプラスの要素を見出す作業は、案外勇気というエネルギーがいるものだ。

一瞬のパワーなら、悔しさや憎さをバネにしたほうが大きなものが出るなと思う。でも、悔しさや憎しみをバネにすると、そのあとそれらをなかなか手放せなくなる。自分の中で、悔しさや憎しみに役割を与えてしまったら、手放したいと思ってもなかなか手放せないのだ。結構手っ取り早くて使い勝手がいいし、いつの間にか自分のパワーの源みたいになってしまう。

私自身は、自分の中を悔しさや憎しみのパワーでいっぱいにしたくないと思っている。私のとっての最強、最適解は、悔しさや憎しみなくして、自分自身からパワーが出ること。これは、一見、パワーを生み出すバネがどこにもないように見えるけど、自分の中にパワーがあると信じる力や勇気が、悔しさや憎しみに代わるバネの役割になる。

早速アルコール解禁をきっかけに、ポジティブ探しにスイッチが入った。悔しさた憎しみから、ではなく、自分の中にエネルギーを溜めて勇気を出していい面を見つけていったほうが、気持ちが楽になるし、元気が出るものだ。嫌な記憶は出てきても、勇気を出せたあとは、悔しさや憎しみもないからスッキリして気分は悪くない。

私の中には、数々のネガティブな体験で出来た、たくさんの穴やほころびがある。
でも、少しずつ自分と定期的に向き合っていくうちに、穴やほころびは、癒しから修復作業に繋がって、小さくなっていったり、気にならなくなってきているのかもしれない。そうして、エネルギーがいつもより溜まって、ポジティブを探したくなったのかもしれない。

嫌な記憶全体を書き換えてしまって、父よありがとう、とはまだまだ到底言えないけど、自分の中で、こんな体験からでも得したことだってあるさ、と自分に声かけが出来て、今のところ、上出来かなって思う。

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