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何が「好きではないが重要なこと」の最後の踏ん張りになるか

10月3日(月)


ここ2ヶ月ほどnoteから離れていましたが、
文字を書くことが自分なりのストレス発散であり、
思考の整理ということを思い出し、
久々に書き進めています。

今日は
何が「好きではないが重要なこと」
の最後の踏ん張りになるか
というテーマでお話しします。

結論は教師の人間性と周りの人間関係
公立中学校で働いている中で
見たものをもとに書いていきます。


生徒の回答から見える実態


突然ですが、あなたは国語は好きですか?

僕が働く中学校の生徒の実態では
50〜60%が好き、まぁ好きと回答しました。
国語以外に数学や理科で同じ質問をしても、
割合はほとんど変わりませんでした。

結果としてその教科に対して
全体の6割が好き
4割が好きではありません(嫌い)です。
好き嫌いを2択と考えれば、
半分ずつに分かれるのも自然でしょう。

ではあなたに2つ目の質問です。
国語の学習は重要(大切)だと思いますか?

こう聞くとどうでしょうか。
(重要と誰もが答えるような質問ではあるが…)

実際、生徒の回答では
80〜90%が重要、まあ重要と回答しました。

その教科が本当に嫌いであれば、
重要ではないと回答することもあるでしょう。
しかし、数値だけを見ると、
好きではないものの重要と考える人
一定数いると考えられます。

学校で学習する教科の好き嫌いは
もちろん誰にもあります。
ですが、実態としては大部分が学校で行う
教科の学習を重要だと捉えています。

とはいえ、好きではない教科の学習は、
気が乗らないことが多いと思います。

あなたの嫌いな教科は何ですか?
その教科が明日はなぜか2時間連続で授業があります。
これだけで行きたくないと感じませんか?


何が最後の踏ん張りになるのか


学校の教科に限定した話かもしれませんが、
「好きではないもの」だが「重要なもの」に
取り組むモチベーションはどこから湧くのでしょうか。
何が最後の踏ん張りになるのでしょうか。

学校での学習という部分で僕が出した結論(仮説)が
・教師の人間的魅力
・良好な人間関係

です。

教科そのものは好きではなかったが、
面白かった先生だから授業を聞いていた

という経験はありませんか?

これが教師の人間的魅力と僕は捉えています。
授業というコンテンツ以外の部分
(教師のパフォーマンス)で
引き込めるかが大きな要因だと考えます。

もちろん人間の相性なので、
先生の好き嫌いも人それぞれだと思います。

もう一つが良好な人間関係です。

具体的なイメージは
・自分は嫌いな教科だが仲の良い友達はその教科が好き
・隣の生徒が助けてくれる
・周りが取り組んでいる
などです。

自分1人では頑張れないが、
周りに支援してくれる人がいる。
この状態が必要不可欠だと考えます。


教師がするべきことは何か


実態を上記したように捉えて、
教師がするべきことは何なのでしょうか。
僕自身が何をしていくかベースで書いていきます。
(教科の専門性を学び続けるのは大前提なので割愛)

尊敬される大人になる

一つ目が尊敬される大人になることです。
ぼんやりとしたイメージではありますが、
自分が尊敬できる大人の要素を書き出し、
一つずつ近づくことが大事だと思います。

人間的魅力を感じる人というのは、
尊敬に近いと僕は捉えているので、
このように書いています。

人が繋がる仕組みを作る

もう一つが人が繋がる仕組みを作ることです。

良好な人間関係を構築するために、
授業だけでなく様々な場面で
人と対話や協力する機会を作ります。

仲の良い友達だけに依存しない協力関係の輪を
教室内でどれだけ広げられるか。
この仕組みを教師がどれだけデザインできるかが
鍵になるのかと考えています。

実際に何ができるかは試行錯誤中ですが、
今の自分の結論はこの2つです。


今日は
何が「好きではないが重要なこと」
の最後の踏ん張りになるか
というテーマでお話ししました。

学校という限定的な場ではありますが、
僕が出した結論が
・教師の人間的魅力
・良好な人間関係

です。

これからの試行錯誤については
また発信していきます。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます!!

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