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【ショートショート】伝説の先輩の伝説

「ウソ!? ヒュウガ先輩じゃん!!」

リカがいきなりそんな叫びを上げた。

人生初のバイトが怖いからって、幼馴染の私に「お願い! ウチと一緒にバイトして!」と泣きついてきたうえに、研修初日の今日もさっきまで泣き出しそうなくらい緊張していた子が、いきなりすごいテンションだ。

「ちょっとリカ、声大きすぎだから」

「え、だってヒュウガ先輩だよ? あのヒュウガ先輩!」

リカが指差す先には、私たちのバイト先であるコンビニの制服を着た、20代くらいの男の人が店長と何か話をしている。

「ヒュウガ先輩って誰? 知らないよ」

「あ、そっか、ユウナは中学の時ブラバンじゃなかったもんね。あのね、ヒュウガ先輩は……」

そこで店長が戻ってきて、研修が始まった。
リカのテンションはスイッチを切ったように一瞬で戻ってしまい、元の泣きそうな顔で店長の言葉を聞いていた。


研修が終わると、帰り道でリカはスマホで動画を再生しながらヒュウガ先輩について怒涛のプレゼンを再開した。

それによると、ヒュウガ先輩というのは私たちの4つ上で、中学の吹奏楽部でトランペットを吹いていた「伝説の人」らしい。

4つ上ということはもちろん同じ時期に中学に通っていたわけではないので、リカは一緒に部活動をしたり、生で演奏を聴いたりしたことはない。
けれど、毎年新入部員はヒュウガ先輩の演奏動画を観る決まりで、同時に部内の先輩からヒュウガ先輩がいかにすごかったかという「伝説」を聞かされるのだそうだ。

また、卒業後もヒュウガ先輩はたびたび吹奏楽部の練習を訪れて、演奏への感想や、「皆で一つのものを作り上げる意味」とか「モチベーションを維持することの大切さ」とかいったことを部員全員の前で話してくれるらしい。

「……なるほどね。卒業しても自分たちのことをそんなに考えてくれてるんだって思ったら、先生の言うことよりずっと刺さるよね」

「でしょ? ユウナもわかるでしょ? すごい人なんだって、ヒュウガ先輩は。ほら、この動画も観て! マジでこのソロが神だから!」

――こんなに誰かに尊敬されたり、誰かを熱狂させる人ってすごいな。
きっと、普通の人とは何かが違うんだろうな。

研修で緊張しすぎた反動なのか、スイッチが入りっぱなしの状態で次々と動画を見せてくるリカを見ながら、私はそう思った。


実際、ヒュウガ先輩は何かが違う人だった。
……あまり良くない意味で。

入って1ヶ月の私よりも仕事を覚えていないし、お客さんにはいつも愛想がない。
なんというか、ヒュウガ先輩からはやる気のようなものをまるで感じられなかった。

これが、話に聞いたあの伝説の先輩だとはとても思えなかった。
けれど、リカにそれを言うのも気が引けて、私は何も言わずにいた。
リカは塾の関係でヒュウガ先輩とシフトが重なることはなくて、あの子の中では伝説の先輩は伝説のままだったから。


そんなある日、私はヒュウガ先輩と2人でシフトに入ることになった。
普段どおりに仕事をこなして、もう少しで上がりの時間になる時だ。

「あのさあ、いつも買ってたタバコ、ないんだけど」

ひとりの中年の男の人がレジの後ろのタバコの棚を見回しながら、レジに立っていた私に声をかけてきた。

「タバコの名前を教えていただけますか? お調べします」

「いや、棚がカラになってるとかじゃなくて、スペースが消えてんの。俺、毎日買ってたんだよ。毎日だよ? なんでそういう商品をさあ、いきなり売らなくなったりするわけ? 客が必要なものを売るのがそっちの義務だろ!?」

相手の声がどんどん怒鳴り声のようになっていく。
これって、もしかしてクレーマーか。
店長から気をつけるように言われていたけど、初めて会った。
こういう時は、まず謝って……

「申し訳ありません、あの……」

え? ここからどうやって続けるんだっけ?
言葉が、出てこない……!

「お前なんだよ、ふざけてんのか!?」

相手が手を振り上げた。
ヤバい、どうしよう!

思わず目をつぶってしまったその時。

「お客様。当店を毎日ご利用いただき、ありがとうございます」

ヒュウガ先輩の声だ。

「この度はご希望の商品をご用意できず、大変申し訳ございませんでした。商品名をお教えいただければ、担当の者にかけあって、後日ご用意させていただきます」

おそるおそる目を開けると、ヒュウガ先輩はいつもの無愛想な口調で喋りながら、男の人が振り上げた腕を掴んでいた。
相手は必死に振りほどこうとしているが、びくともしない。

「おい、離せよ!」

「ですが、店員への暴力行為はなにとぞご遠慮ください」

表情ひとつ変えずにそこまで言うと、ヒュウガ先輩はパッと手を離した。

「クソッ!」

男の人は手首を押さえながらそれだけ言うと、逃げるように店から出ていった。
ヒュウガ先輩は何事もなかったようにドリンクの品出しへ戻っていく。
私は次のお客さんが入ってくるまで、放心状態で立ち尽くしていた。


「あの、さっきはありがとうございました」

「ああ、気にしないで」

シフトが終わった後、私はバックヤードにいたヒュウガ先輩にお礼を言った。
実は、「お疲れさまです」「お疲れさまでした」以外の言葉を交わしたのは初めてだ。

「いえ、本当に助かりました! あと、すごかったです!」

「すごい、か……」

ヒュウガ先輩は私の言葉を繰り返しながら、ふっと苦笑いをこぼした。

「きみ、あのブラスの子の友達だろ? 俺のこと聞いたことある?」

「はい。伝説の先輩だって聞いてます。本当にすごい人だって」

「……そうなんだ」

ヒュウガ先輩は今度は悔しそうな顔を一瞬だけすると、さっきみたいな苦笑いをしながら話し始めた。

「俺、子供の頃から親に格闘技やらされててさ。それで。トランペット始めたのは中学だから、格闘技やってた時間のほうが長いんだよ」

「そうなんですか」

格闘技のことは初耳だった。
それで、さっきみたいなことができたんだ。
すごくやせているし、吹奏楽部出身だから勝手に運動が苦手そうなイメージを持っていたけど、人って見かけによらない。

「俺ずっと音楽やりたくてさ。中学でトランペット始めて、本当に楽しかった。中3の時には、俺は誰よりトランペットが上手い、上手くなれるって思って、高校もブラス部が強いところに入ったんだけど、全然ダメ。周りは俺より上手い奴ばっかりで。3年間ソロを任されるどころか、ファーストも取れなかった」

話しながら、ヒュウガ先輩の表情は苦しそうなものに変わっていった。
私が言った「すごい」という言葉がカギになったのだろうか。
こんな内容、ただバイトのシフトが一緒になっただけの相手に話すことじゃないと思うけれど、話の勢いは止まらない。

「俺、トランペットで輝きたいんだよ。だけど、俺の頂点はとうに過ぎてる。あんな中学の部活くらいで」

あんな、中学の部活くらい?

嬉しそうにヒュウガ先輩の話をして、褒めちぎっているリカの顔が頭に浮かぶと、私はつい言ってしまった。

「私、友達にあなたが演奏しているところの動画をたくさん見せてもらいました。演奏している姿がすごく楽しそうだなって思いました。あの楽しそうな姿は、皆が褒めてくれていたから楽しかったんですか? それとも、好きな、やりたかったトランペットをやっていたから楽しかったんですか?」

これは言ってはいけないのかもしれないな、と頭の片隅で思いながら、私はさらに続けてしまった。

「伝説だって言われて、常にすごい人でいなきゃ、価値がないんですか?」

ヒュウガ先輩が目を見開いた。
心底驚いたというような顔だ。

「……さあ、どうだったかな。もうわかんないよ」

消えそうな声でそう返したヒュウガ先輩は、なぜかとても幼く見えた。


それから2週間くらいして、ヒュウガ先輩はバイトを辞めてしまった。
理由は本人の希望だと店長は言っていたけれど、もしかしたらクレーマーの件でなにかあったのかもしれない。
そうだとしたら、あの時ちゃんとクレーマー対応ができなかった自分にも原因があるのかもと考えると、スッキリしない日々が続いた。

そんな時、リカからURL付きのメッセージが届いた。

『ヒュウガ先輩が配信始めてた! マジ最高だからこのアーカイブ見て!』

URLを開いてみると、ヒュウガ先輩が笑顔でトランペットを片手に喋っている。

『どうも。自分なりに楽しんで演奏していこうと思うんで、良かったら聴いていってください!』

その演奏を観ていると、リカからさらにメッセージが届く。

『ヒュウガ先輩、なんか演奏スタイル変わったんだよね。昔の動画だと、譜面にバッチリ当ててくる感じだったのに、今はなんか自由っていうか。でもこのスタイルもイイ! 再生数もめっちゃ伸びてるし、ホントすごいよヒュウガ先輩って!』

画面の向こうではヒュウガ先輩が体を揺らしながら、踊るように全身で演奏している。
私は心から楽しそうなその姿に、そっと「いいね」を贈った。

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