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今日ときめいた言葉67ー「許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む」(美智子上皇后の歌) ー 八月に思うことー

(タイトル写真は4travel.Jpより転載 モンテンルパ刑務所)

毎年、8月6日、9日、15日が来ると考える。式典が催され、これらの日だけはマスコミもこぞって特集番組を組み、戦争体験者を登場させ、戦争は2度とあってはならないと語る姿を放映する。そして決まったように、体験者が少なくなっていくなかで、この歴史的事実をどのようにして継承していったら良いのかで終わる。だが、ここには被害者としての日本国民しか語られていない。

2023年8月11日付 朝日新聞「強いた犠牲 日本に自覚願い」によると、

「フィリピンのマニラの市街戦で10万人の市民が命を落とし、フィリピン全土では111万人が犠牲になったとされる。厚生労働省によると、太平洋戦争による犠牲者は日本人だけで約310万人。アジア全体では2千万人という説もあるが、はっきりしない。

終戦から78年となり、こうした歴史の継承が課題となっている。2015年に朝日新聞が日本とドイツで実施した世論調査では、戦時の歴史を学校で「しっかり教わった」はドイツの48%に対し、日本は13%だった。

この年の戦後70年談話に関する調査では、戦争に関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」という内容に「共感する」とした人が63%に及んだ」

この記事は何を意味しているのか?

第一に、日本は、加害の歴史と向き合えということ。
第二に、学校教育の中で、近現代史をしっかり学ばせているかということ。
第三に、「戦争に関わりのない世代に『謝罪を続ける宿命を負わせてはならない』の意味をしっかり考えるべきだということ。

第一の論点
私はマレーシアに10年住んだので、日本軍の被害にあった人の生の声をよく聞いた。特に中国系の住民はずいぶん過酷な扱いを受けたようだ。戦争が終わりそのまま残留した日本人の子孫もいた。日本の書店には置いていないような日本の統治時代の本もだいぶ読んだ。「足を踏んだ人は覚えていないかもしれないが、踏まれた人はそのことをいつまでも覚えている」の通りである。

第二の論点
近現代史を学校できちんと教えない。私の高校時代、ある教師は「『現代史』は受験には出ないから自分で読んでおいて。時間切れ」と言った。そうかと思うと別の教師が言った「歴史の教科書は、なぜ縄文時代から始まるんでしょうね。現代から始めてもいいと思うんですがね」という言葉が昨日のことのように思い出される。

「人間の眼は、歴史を学ぶことで初めて開くものである」「戦争は国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味はそこにある」(2023年2月22日付 朝日新聞 半藤一利氏の言葉)

半藤氏の言葉に基づくなら、我々日本国民の眼はまだ開いていない、と言うより、開かされていない、いや開かないようにされているのではないか。近現代史をきちんと教えない教育がズーッと続いているのだから。それに先の戦争についての総括もきちんとされていない。

「日本は近代の戦争の歴史を、きちんと教えてこなかった。中学高校の歴史教育も少しずつ変わり始めている。子供達の脳裏に、生き生きと当時の社会が蘇るような教育をしてもらいたい。当時の文学や、絵画や音楽や演劇、映画などに接する機会を作り、実感のある歴史教育をしてもらいたい」(2023年1月22日付朝日新聞 寄稿「侵攻 飛び交う『歴史の亡霊』」政策研究大学院大学教授 岩間陽子氏の言葉)

戦前、戦中、戦後、我々の先人はどのように楽しみ、どんな生活をし、何を考えて現在に至ったのかを実感として学校教育の中で考える必要があるのではないか。学習指導要領にある国語の教材「ごんぎつね」に11時間もの時間を費やすのなら、同様に同じ時間を現代史にも使ったらいいのに。

第三の論点
「戦争に関わりのない世代に『謝罪を続ける宿命を負わせてはならない』」
そうだろうか。私には戦後、日本が加害の歴史を認め、それを受け止める外交をしてこなかったツケがいつまでもついて回っているように思えて仕方がない。謝罪をしないならその理由を明確にしない限り、被害を受けたと思っている側は納得しないだろう。「忘却とは忘れ去ることなり」を狙っているのだろうか?

ドイツのメルケル首相は「ドイツがおよぼした戦争被害について、ドイツがしたことだ」と認めたし、レーガン大統領だって日系住民の強制移住を誤った政策だったと謝罪している。なぜ日本の政治家は謝罪することを忌避するのか。

自国の兵士の遺骨さえいまだに放置したままだ。ミャンマーの奥地を訪ねた時、日本兵を埋葬したお墓に案内された。建てられた墓標の前で、線香の煙が漂っていた。墓を守っている人がいるのだろう。ミャンマーと言えば「ビルマの竪琴」ではないか。

毎年八月が来ると同じことを考える。その日一日だけで終わってしまうのではなく、学校教育や日常生活の中で考えることができるのではないかと。「民主主義とは何か」という問いではないが、目に見えない思いや感情は問い続けないと消えてしまう。希薄になった時「戦争」ということが言われ始める。もうすでに、「戦える日本」になろうとしている。残り少なくなった被害者があんなに訴えているのに、である。「軍人には恩給が出ているのにその他の被害者にはなんの補償もない」といった戦後処理の差別は依然解決されていない(2023年8月15日付朝日新聞「戦後処理の差別 問い続ける」)

タイトルの美智子上皇后の歌は、日本軍のBC級戦犯が収監されていた刑務所のあったモンテンルパにできた博物館に展示されているそうだ。この歌は、妻子を殺されたエルピディオ・キリノ元大統領が日本兵の戦犯に恩赦を与えたことを思って作られたそうである。「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べたそうである。


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