アメリカというだけで全てが特別に思えてしまう

英語が好き!
英語を使いたい!
そんな気持ちを抱えて日本で過ごしていた私。
海外生活、特に、英語を第一言語とする国での生活に憧れていたのは言うまでもない。
幸運なことに、今、こうしてアメリカにいる。
そして、この幸運はまもなく終わりを迎える。
日本に帰る時が迫っている。

どう考えても、日本の方が暮らしやすい。
日本生まれで日本育ちの私。
衣食住すべて、日本のものの方が慣れているし落ち着く。
だから、日本に帰ることは喜ばしいことなのだ。

もちろん、慣れた場所や親しくなった人との別れはさみしい。
でも、日本での落ち着いた生活を考えたら、プラスマイナス0と言えるのではないか、と思う。

しかし、ここにきてモヤモヤと晴れない気持ちが湧いている。
これからアメリカでの生活を始めるという人のSNS投稿を見ると、嫉妬に似た感情を抱いてしまうのだ。
何でだろう。

「アメリカにいる」ということが、私の中でどこかものすごく「特別」な条件となっていたのだろう。
仕事もしていない、何の特技もない自分が、唯一日本にいる友人知人に差をつけられるものが、「アメリカに住んでいる」という項目だったのだ。
だから、この看板をさげて日本に帰った後のことを想像して、恐れている。
自分が「何者でもない」者に戻ることを。

アメリカにいたって、日本となんら変わらぬ生活をしていたのに。
ただスーパーで食料品を買って、娘は学校に行って、時々病院や習い事に連れて行って、たまに友人とランチして、家族で近場にお出かけして…。
それが全て、「アメリカ」で「英語」を使って行われるだけで、一気にものすごく特別なことのように感じる。

アメリカ、というだけで。
英語を使う、というだけで。
それだけで何だかカッコいい。
それだけで何だか胸をはれる。

何なんだろう、この感じは。
文字にして書いてみると、むなしい。

もう一度書くが、実際のところ、日々の生活の中でやっていることは日本とそんなに変わりはない。ほぼ同じ。
自分でもあきれるくらいに、私自身が、
アメリカでの生活を「特別」だと強く思って過ごしていたのだ。

日本に帰った後、私は大丈夫だろうか。
アメリカでの思い出にしがみついて、過ぎた日々ばかりを考えて過ごすのではないだろうか。
そうはなりたくない。
そうなってはいけない。

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