やりたい人がやる、でいいという空気(現地校の保護者たち)

現地校で、"Teacher Appreciation Week"という週があった。
これは、学校の先生やスタッフに感謝の気持ちを伝える週である。
花を贈ったり、お菓子を差し入れしたり、ギフトを渡したり…学校やクラスで「月曜はこれ、火曜はこれ、水曜は…」という具合にテーマを決めてやったりすることもある。

こうしたイベント時に目の当たりにするのが、日本のように「必ず全員でやる」とか「同じ学年の先生には同じことをする(同じものを渡す)」とはならない、「やるもやらないも各家庭で決めていいよ」というスタイル。

クラス代表のママが、「Teacher Appreciation Weekで、ギフトを渡そうと思います。参加する家庭は返信してお知らせください。」と一斉メールを送ってきた。
20数名いるクラスだが、最終的には、半分ほどの家庭しかその案にはのらなかった様子。
「個別にやりたい」という家庭もあるし、「特に何もするつもりはない」という家庭もあるのだ。
全員がのってこないからと最初の案が立ち消えになることもなく、参加しない家庭に対して文句がでることもなく、実に平和にその準備は進められる。

日本人的思考の私は、「クラス全体で足並みそろえて」とならない感じに驚かされる。

クラスや授業で使う物についても、たびたび「寄付」という形で各家庭の協力を求められる。
ティッシュとかえんぴつとか、粘土とか紙コップとか…。
先生が必要な物品の一覧表をメールに添付して、各家庭で用意できるものがあれば名前を記入する。
早い者勝ちだし、必要な物が少なければ、もちろん全員が名前を書くことなく済まされる。よって寄付をしない家庭も出てくる。
毎回同じ家庭の名前がずらりと並んでいる気がするが、嫌ならやらなければいいだけだし、「あの家庭は全然やらない…」などと批判の声が聞こえたことは一度もない。

自分ができることはやる。
自分がしたいと思ったら参加する。

保護者のこうした態度が心地よいと感じるが、
反面、いつも同じようなメンバーがクラスのため学校のために奮闘してくれているのを見ると、「本当にこれでいいのかな」と思ったりもする。

日本でこのような制度を採用したらどうなるだろう?
もしかしたら、誰も「やる」と手をあげなくなる?
それとも、案外気持ちよくやってくれる人が多くいたりして?

そんなことを考えながら、私も先生に渡すものをせっせと準備した。

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