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映画 윤희에게 (ユニへ)

韓国文化院の主催する「コリアンシネマウィーク2020」でオンライン上映された映画 윤희에게 (ユニヘ)の感想文。

※ストーリーの詳細にも言及しています。

冬の小樽が似合う二人

送るつもりのなかった手紙をきっかけに、かつて恋人同士だった二人の女性の縁が再び冬の小樽で繋がる。

日韓に離れて暮らし、お互いに相手を捨ててしまったと感じていた二人が、自分達ではどうすることもできなかった事情を見つめて「私たちは何も悪くなかった」と思えるようになるまでの話。

長年会えなくても、送るつもりのない手紙をユニに話しかけるように何通も書いていたジュン。あのときが一番幸せだった、別れたあとは罰だと思って生きた、というユニ。それだけ想える相手に出会えたことと、一緒にいることを許さなかった環境について考え込でしまった。

ジュンの手紙を見つけて、捨てたり隠したり責め立てたりせず、姪/母にとってとても大切な人へ宛てたものだと感じて二人の縁を再び繋いだおばさんとセボムがいたから二人はまた出会えた。

ユニ役のキムヒエさんは無言で考え込む佇まいだけで絵が完成する。台詞がなくても徐々に変化する表情だけで心の動きが感じられる。主演お二人の半ば諦めたような、大きな感情があるのにそれを押し込めて我慢して生きる演技が印象的だった。

ここ数十年の変化

中年の女性二人の関係に焦点を当てた作品を観ていて、たぶん二人より20歳くらい若い自分との世代差を感じて興味深かった。

ジュンが自分に好意のある女性を断るときに言った「これからも(女性を好きになることを)秘密にした方がいい」は私には残酷に聞こえた。好意に答えられなくても、それ自体を隠すべきものだと伝えるって、必要以上に相手を傷つけているんじゃないかと感じた。

ジュンはそうした方がましだと思うような経験をしてきたということを伝えるためのシーンなのかな。

ジュンは母が韓国人ということも秘密にしていたし、私の世代より厳しい差別に直面してきただろうことも想像がつく。

一方でユニは大学に行かせてもらえなかった。(ユニは高卒で技術もないから転職は難しいだろう、と言う兄が大卒なのは、単に彼が男性だったからではないのだろうか?)そんなユニは「セボムには本人がもういいというまで勉強させるつもり」と。

この台詞を聞いたとき、ほとんど同じことを私に言った母の姿を思い出した。兄妹の中、兄だけに大学教育を与える家庭が今よりもっと一般的だった時代の話。

「美しいものしか撮らない(から人間は写さない)」と言いつつ母の姿はカメラに収めるセボムと、彼氏のギョンスのシーンはほほえましかった。車中でセボムがギョンスの頭を指で押してからかうシーンがなぜが印象に残った。

この二人の関係はすごく自然で、対等に見えた。セボムはソウルの大学に行く予定だけれど、ギョンスは地元に残る予定。「止めないの」と聞くセボムに「せめてセボムの道を阻まないようにしないと」とギョンス。

深読みしすぎかもしれないけれど、「女が男についていく」「男の方が女より高学歴であるべき」っていうのは現代の高校生にはあまりない価値観だろう。

字幕には反映されていなかったしうろ覚えだけど、最後のユニからジュンへの手紙に「ユニが女性に惹かれていると気づいた家族に精神科に連れていかれた」というようなが一文があった。(聞き違いでなければ。)彼女たちの過ごした時代はそれくらい同性同士の関係に無理解だったのだと改めて思いだした。二人が再会する前の、諦めきったような寂しそうな態度も納得がいく。

もしユニとジュンが2020年に青春を過ごして出会っていたら、再会するまでにこれほど長い時間が必要だっただろうか?もしかするとユニは男性との結婚を選ばなかったかもしれない。ジュンは手紙を投函していたかもしれない。ここ数十年で(決して十分とは言えないけれど)日韓の同性愛を取り巻く環境は少しずつ良くなっているんだと感じた。

最近公開されるクィア映画は若い世代に注目したものがまだまだ多い。この作品みたいに「ないことにされてきた二人の関係」に光を当てた、中(高)年のクィアを主役にした映画がもっと増えるといいなと思った。







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