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人生を桜色に

大好きな桜の季節がきた。

自然は本当に美しくて
癒してくれる。

朝、目覚めて青空が綺麗で
いいお天気なだけで嬉しくなる。

春の陽射しと、風が心地よくて
大好きな春を感じられて幸せ。


今年はお花見に行けなかったけど、
通院の時に街に咲いてる桜や
病院内の満開の桜を見ることができた。

風が強い日で、桜吹雪が綺麗だった。

でも自分の中では
まだ桜不足気味。

毎年、桜の時期は
カメラで沢山撮っていたので
カメラロール内にある
桜の写真を見て癒されている。


青空にピンク色の桜が映えて綺麗。
風や香りまで感じられそう。


満開のソメイヨシノも綺麗だった。
また行きたいな。


八重桜もボリュームがあって
可愛くて好き。


枝垂れ桜もとっても綺麗だけど
写真に綺麗に撮るのが
なかなか難しかった。

オオシマザクラ


やっぱり桜が綺麗すぎる。

エネルギーもパワフルで
多くの人を魅了する力が強いのも納得。

ユキヤナギ


春の景色、植物も好き。

花がたくさん咲いてきて
カラフルな春色になって嬉しい。

自然が美しい日本に生まれて良かった。


両親が普通ではないこと。
そんな家庭で幼い頃から辛かったこと。

やっと主治医や臨床心理士、
病院関係者、訪問看護師さんたちに認知されて
理解されたことで救われた。

通院時に、最近は両親のどちらかに
付き添ってもらって
病院内では車椅子を親に
押してもらっている。

だけど毎回、二人とも
私の診察には同席せずに
診察室の出入り口まで車椅子を押して
その後、主治医に挨拶もせず、
逃げるように出て行く姿を見て
主治医たちも困惑していた。

訪問看護師さんも
両親は自宅にいるのに
4ヶ月の間、一度も挨拶をしたことがなくて
「どんな人たち(両親)なのか
ずっと気になっていた」と言っていたこと。

そのことを主治医にも話したら
「それは怪しいと思われるな」と
両親の普通でない態度にびっくりしていた。

私の病状のこともあって
先生も両親と話したいけど、
二人ともがそんな感じだから。

病院関係の人たちがなんとか
私が楽に過ごせるようにと考えてくれてる。

主治医や病院関係の人たちが
両親の態度に困惑していること。

今後、診察室に入ってもらって
説明などを聞いてもらいたいと先生が言っていたことを両親に伝えて
ようやく両親も自分たちがそういう風に思われているんだと自覚できたみたい。

最初は二人とも
「先生たちに変な風に思われているなんて嫌だし、もう病院の付き添いも行かへんわ!」と

いつものように逆ギレしていたけど
この前ようやく訪問看護師さんに
両親が挨拶してくれたので
今度からは診察室にも入ってくれるかも。

先生たちみんな
今後もし私が話せなくなるくらい
しんどくなった時に
両親の態度を見て
ちゃんと対応できるのか心配してくれている。

私もそれが心配なので
今までの癖で
しんどくても両親に頼れず
無理して頑張ってやろうとしてしまう。


父親はASD自閉スペクトラム症、
アスペルガーだったり
母親は難聴があるという理由はあるけど、

そもそも二人とも他人に対して
娘の私に対する関心や共感力、
人の心に寄り添う気持ち
思いやりに乏しい。

両親ともにコミュニケーションも乏しくて
私は幼い頃から、話を聞いてもらえず
愛情を感じたり
心を満たされたり
安心感を感じることができなかった。

父は私が中学生になった頃
ある日突然、自宅に帰って来なくなって
母と私たちで警察に行ったこともあった。

探偵事務所に依頼して
ようやく父は不倫して
別の女性とその連れ子と
一緒に暮らしていることがわかった。

それから10年以上
ずっと別居していたので
今は同居してるけど
あんまり父親という感じがしない。

父はよそよそしい態度だし
そもそも話しかけると嫌がって
こちらを見ずに
背中を向けたまま会話している。


昨年になって、妹の最期の時に病室で
父に会った臨床心理士さんが
父はASD自閉スペクトラム症、
アスペルガーだと気づいてくれた。

長年の理解できなかった苦しみ、
謎が解けた。


妹が病室で亡くなって、
みんなが悲しんで泣いている時に

父は部屋の隅に立っていた
臨床心理士さんに笑顔で
何度も椅子に座るよう勧めたり
それを断られると
また笑顔でとぼけた態度をしていたみたい。

明らかに、周りの空気が読めなくて
一人だけその場に相応しくない
浮いている態度をしていたそう。

その数時間前にも
妹が危篤になって
すぐに旦那さんと子どもたち
母を呼んでくださいと
父は看護師さんに言われたけど、
結局電話でもメッセージでも
的確に伝えられていなかった。

1時間半を過ぎても誰も到着しなくて
私が連絡し直して
ようやく二人とも理解できて
慌てて病院に駆けつけた。

車やタクシーなら
15〜20分くらいの距離なのに
一番遅かった母が病院に到着したのは
危篤から3時間後になっていた。

母は父からのメッセージでは
電報のようで、変換も間違えて
全く状況がわからない文章だったと。

それが父の特性。

まだ謎なのが
病院の受付や事務の若い女性には
なぜか自分から笑顔で挨拶して
世間話などするのに

主治医とか、ちゃんと話をして欲しい人には
挨拶もちゃんとできず
目も合わさず
逃げるように去って行くこと。

父は自分の父親の威厳に
逆らったことがなかったみたいで、
そのかわりにマザコンだったようなので

周りからは全く理解できない行動も
父の中ではっきり基準があるのかな?と思う。


母親もコントロール、支配、
ヒステリー、モラハラが強い人。

父が不倫して帰ってこなくなってから
さらに精神も病んでいった。

妹は中学、高校と不登校になって
その後も引きこもりで
自室にこもって、ほとんど話さなくなった。


母は、唯一の話せる相手の私への
ストレス発散、モラハラが
さらにキツくなっていった。

両親とも親という立場を利用して
自分たちが気に入らないことをすると
癇癪、ヒステリーを起こしたり
モラハラをしてきた。

ずっと苦労してきたことを
やっと他の人に
わかってもらえるようになったことで、
改めて、めちゃくちゃしんどい人生だったなと思った。

機能不全家族で毒親だったなと思う。

何度も泣いたし、絶望したし
この親の元に生まれたことを後悔した。

生きづらすぎる人生だった。


心身の繊細さ、敏感体質もあって
地球の人間生活が無理すぎて
故郷の星に還りたいと何度も願っていた。


私は妹がいることと、
犬を飼っていたことで
心を育まれて救われたなと思う。

子どもの頃から
犬を飼っていない時期の方が
少なかった位
いつもそばにいてくれて癒されていた。 


今はその大切な存在がいなくなってしまい
心身にダメージを受けた。

みんな天国に旅立ってしまったから。

家族の問題は、外からは見えにくい。

子ども時代は特に
自分の親、家庭が異常であることを気づきにくい。

子ども達が、病にまでなってしまう前に
助けがある世の中であって欲しいと願う。


体調は、しこりの痛みと浮腫の圧迫感、
息苦しさがある。

両肺への転移で、酸素飽和度が低くなってきて
動いたり、寝る体勢だと酸素がさらに低くなって苦しくなりやすい。


医療用麻薬のオキシコンチンとオキノームで何とか、しのいでいる感じ。

心配していた副作用はそんなになくて
強い痛みや苦しさが緩和されるので
今は医療用麻薬に
めちゃくちゃ助けられている。

ただ、医療用麻薬で
貼るタイプのフェントステープは
一度貼った時に、
眠気と吐き気とめまいがキツくて
剥がしたあとも
半日以上、吐き気が続いて中止になった。

ほんの小さなサイズの貼るタイプの効果、
威力にもびっくりしたし
合わない薬には注意だなと思った。

この間撮ったCTでは
左肺に溜まっていた胸水は減ってくれていた。

ただ、肝臓にも転移があるかも。

酸素飽和度が低くなってきてるので
緩和ケアの先生は、在宅酸素をしてもいいかもという話になったけど、
乳腺外科の主治医は
まだギリギリ?大丈夫みたいな考えで
また次回までに色々考えてくれるそう。

背中を起こしていると90台前半はあるけど
動いたり、横になると80台後半くらいになるので息苦しさがある。

脈拍も速いので、
楽に過ごせるようになりたいなと。

毎日、身体の痛みや圧迫感、
息苦しさがある生活。

身体を不自由なく自由に動かせて
好きな場所に自由に歩いて
好きなように制限なく過ごせるって
本当に奇跡で恵まれていて
幸せなことなんだなと羨ましく思う。

でもご飯は美味しく食べられるので
それは感謝。

だからできなくなったことよりも
今できることに感謝して
少しでも日々を楽しみたい。


大好きな自然の写真を見ていると
懐かしさや思い出がよみがえる。

当たり前のように
過ごしていた日常が
今はキラキラした宝物に見える。

そして本当に美しい世界に
生きていたんだなと。

自然や地球にも
支えられ癒されていた。

愛おしい世界。


音楽もいつもそばにいてくれた。

人生で何度も救われてきた
大好きな曲。

また最近聴いていて涙が溢れた。


ハナレグミ「サヨナラCOLOR


人生のすべてが
桜色に変わっていきますように


天使の愛に包まれて
穏やかな日々を過ごせますように

暗闇の中に光の花束を

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