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ハマった映画「パトレイバー2」


パトレイバー2(P2)
 私の大好きな映画の1つで、押井監督の戦争論といった内容です。公開が1993年ですから、もう30年前になるんですね。
 世間一般の戦争映画(といわれる映画)の多くは、戦闘や戦場を描いたり、それぞれの立場での視線で戦いを描いたものが多い様な気がします。きっと戦争に対する認識は、その立場によって大きく異なるからでしょう。大きな判断を担う高級指揮官と前線で戦う一般兵士では、戦争に対する認識が同じなわけがない。
 そんな中、「そもそも戦争、平和とは、何か」といった、戦争自体を語っている映画は中々ありません。P2とは、正にそういった映画なのだと思います。そういった内容ですから、一度見ただけでは、ストーリーの展開や演出、描かれるシーンやセリフの意味、そして映画のテーマを理解するのは、なかなか容易ではありません。しかし、この作品には、押井監督が伝えたい、やむに止まれぬテーマが必ずあるはずです。そこを感じとり、考察していくのが面白い。寧ろ、これだけのテーマを2時間弱に収めるのは、凄い監督能力だと驚嘆します。この、とても考え尽くされた作品は、今、観ても充分通用すると思います。
 さてさて、P2を何度も観て、押井監督の著書等を読みまくり、私が行き着いた解釈がこの記事です。ですから、監督の著書等での言葉がどこかに入り込んでいると思いますし、ネタバレの塊です。御承知ください
 
1 P2とは、どんな物語なのか。
  ズバリ、正義の味方の話です。「悪事は許さない!」「何としてでも、守るべきものを守る!!」 というヒーローの話。もう少し具体的に言うと、「“自分が信じる”警察官としての正義」という信念や「警察官としての “自分の”テーマ 」に基づいて行動する警察官たちが活躍する話です。
 そんな彼らは、自己実現のためならば、 組織 (警察) への反逆すら厭うことがありません。
 彼らは、P1で 「箱舟」という東京の未来をぶち壊しました。
 P2では、上司の意向に背き、 勝手に犯人 (柘植) の逮捕へと動きます。この上司たち、状況認識が鈍くて平和ボケ。良くも悪くも、穏便に事態の解決を図ろうとする典型的な現代の公務員です。寧ろ、主人公たちが公務員や組織人間としては不適格なのです。故に愚連隊と言われ、 無茶苦茶に見えるのです。
 しかし、だからこそ、彼らは非常事態で活躍できるのであり、その活躍のために生み出されたキャラクター、即ち主役なのです。
 P2における特車2課のメンバーは、ほとんど世代交代している2代目です。そんな2代目たちは、上司たちと同じように、ごく普通の公務員で、警察官としてのテーマやビジョンを持っていません。ですから、後藤が柘植との戦いに招集するのは、初代第2小隊メンバーなのです。南雲も (初代第2小隊の上司ではなかったものの)、柘植の逮捕という不正規の任務を遂行できるのは、このメンバーしかいないと考えたのでしょう。
 
2 本作品のテーマ 
 (1) 人生のテーマ (獲得目標) を持つこと
   自分の人生にテーマを持つことは、とても大切なことです。 そして、後藤と南雲(以下「後藤たち」といいます。)、そして柘植は、それぞれの人生のテーマを持っています。立場は異なっているのですが、なんとも似たようなテーマを持っている・・・というか、同じテーマを持っています。 
そのテーマとは、“自分が信じる”警察官/自衛官 としての正義であり、言い換えるなら“自分の信じる”モラルなのでしょう。 
(2) 自己実現、そのための優先順位決定
自己実現とは、社会の上で組織を動かし、自分のテーマを実現することです。そのためには、必ず優先順位を決めなければいけません、
  ア 自己実現
    警察官や自衛官は公務員であり、そもそも“正義の味方”ではありません。もしも、政権側と異なる正義を実現しようとすると、クーデターを起こすしかありません。だから、後藤たちと柘植は、反旗を翻してでも自己実現をするのです。
後藤たちは、柘植の逮捕という、自分が信じる警察官としての正義のため、事なかれ主義で正義を失った警察に見切りを付けて、元部下を動かします。
 一方、柘植は、“傍観するだけで何もしない神様”、すなわち日本人に警鐘を鳴らすために、部下を見殺しにした自衛隊という組織を去り、自分の同志たちを動かした。
かつて、自分の部下を見殺しにした状況を日本の首都に作為し、「さあ、同じ状況だ。今度は、お前たちの番だ。どうする?」と部下を見殺しに側に問うのです。
  イ 優先順位
    自己実現するためには、テーマを決めることと同じくらい、 優先順位を決めることが重要です。
なぜなら、自分が迷わないためです。逆に言えば、 人は常に迷うし、迷うべきであるし、迷わない人間を信用すべきではないのです。
   (ア)  後藤たちと柘植
     彼らにとっては、自分の正義を貫くことが第一です。逆に、離職すること、逮捕されること、組織の存続などは、 どうでもよいのです。だから、自分の部下(組織)を平気で動かせる。
 ただ、後藤たちと柘植とでは、立場が逆です。柘植は、常に先手を打って、すべてを思惑通りに計画を完遂した側ですが、犯罪者 (悪)です。
 一方、後藤たちは悲しいかな、柘植の企てを全く阻止できない後手側です。しかし、柘植を逮捕できる唯一の存在(警察官)であり、正義の味方 (善)です。
  (イ) 荒川
     面白いのは、この3人と似て非なる存在の荒川です。彼は、3人と同様、自分の信じる正義を持っています。しかし、同志である柘植が決起しても、なぜか行動を共にしません。それどころか、逆に「柘植が逮捕されると、自分の立場が危うくなる」と考え、警察に協力して、自らで柘植を確保しようと企てます。
この行動は、一見不可解ですが、その理由は簡単です。荒川にとっての1番優先すべきことは、現状維持なのです。彼は、公務員という立場を捨てられない。逆に言えば、彼は、自分の正義を貫くことや自己実現するために職を棄て、人生を賭するほどの重きを置いていない。置けない人間なのです。即ち、“何もしない神様”の1人なのです。そんな人間だからこそ、柘植は彼を見放したのでしょう。
 そして、今度は後藤から「あんたはなぜ、柘植のそばにいないんだ?あんたは、柘植に見捨てられたんだ」と問われても、荒川は何も答えません。応えられないし、答える資格がないのです。
 正義の味方の物語は、普通の公務員が主役では成立しません。だから、荒川は“あたかも中心人物のようで、中心人物には成り得ないキャラクター”、すなわち脇役を担うために生み出されたキャラクターなのでしょう。
 (3)  柘植の作戦
   柘植は、モラルを失った日本人に対し、以下に示す作戦を決行することで警鐘を鳴らします。
  ア 対象者は、モラルを失った戦後の日本人
    戦後、日本は「豊かな生活」 を手に入れることを至上とし、モラルを捨ててきました。飽食を求め、目の前のことにのみ興味を示す。戦前まで「善」であった愛国心、礼儀、お天道様、食べ物 (命) や他者への感謝について軽視、蔑視してきました。
 かつての敗戦は過去のできごとであり、外国の戦争は所詮、他人事。外の世界との繋がりを顧みることなく、見たくないものに蓋をする。
 TVなどから何でも知ることができるのに、そのモニター越しの世界に現実感を持てず、何もしない神様。それが戦後の日本人 (以下 「現代人」といいます。) の正体なのです。
  イ 作戦の目的
    自分たちの世界だけに満足し、閉じこもり、何もしないという、モラルのない人間になっている。 そんな、自分たちだけの世界に閉じこもることは、過ちであることを告げる。
   (ア)  「コンビニから水洗便所まで」からの脱却
      戦後の日本人は、外部社会との繋がりを知らない、リアルに感じることができない。自分たちが消費しているもの(食べ物や平和)は、誰が何を犠牲して作られ、どこからくるのか。自分たちが消費し、恩栄を受けたものは、どうに処理されるのか、それらをどのように考えるべきなのか、という外部との繋がりを「そんなことは、どうでもいい、考えなくてもいい」と考えるようになる。だから、食品がどのような過程で売り場に並び、トイレで流した後のことなどに興味がないし、食料が安全に輸入されることに疑問を抱くこともないのです。現代人にとって大切なのは、欲望 (腹) を満たすことであり、頂く命や屠殺者に感謝などしないのです。
そんな現代人に、 外部や他者の存在を突きつけるのです(意識の喚起)。
   (イ)  何もしない神様、日本人への警鐘
     柘植が経験したPKOにおいて、モニター越しに状況を傍観し、自分の部下たちを見殺しにした本部。それが日本人なのです。
    a 状況認識が遅く、判断ができず、危機管理ができない。
    b 状況に現実感を持てない。
   (ウ)  「何もしない神様」 の否定
      自分に害が及ばないからといって、 無責任に戦争の映像すらエンターテイメントとして消費することにNOを告げる。
   (エ)  欺瞞に満ちた偽りの平和を破壊する。
  ウ 作戦の目標
   (ア) 東京の孤立化 (外部との断絶、 情報の遮断)
   (イ) 戦争状況のデリバリー
      自分の部隊が一方的に全滅したルールで東京に戦争を演出する。
      何もしない神様が自分に与えた状況を、今度は自分が“何 もしない神様”へ与える。
  力  モニター越しの映像に現実感を持てない理由
   (ア) 映像媒体は、そもそもリアルを感じれないツールなのです。
   (イ) あらゆる情報の入手が容易であり、何でもできる気になっている。
   (ウ) あらゆる情報が集約されるので、全てを知ったつもりになる。
  エ 作戦の方法 
   (ア) 通信施設(NTTやNHK)、橋を破壊する。
   (イ) フェイク映像(F16Jのミサイル発射事件スクランブル騒ぎ)
   (ウ)  飛行船による警告
     飛行船は、手を出してはいけない存在であり、人間が手を下すと怒り狂う神様なのだと思います。
  (エ) 誰も期待していない状況への誘導
     警察と自衛隊との対立関係。警察の失墜により、自衛隊に治安出動が下令されます。
 
2 映画の演出
 (1) 目視とモニター映像
   目の前における現実とモニター越しのリアル感のない映像。
   PKO(肉眼で戦う敵歩とレイバー内のモニター映像で戦う自衛官、そして柘植がコックピット外で見た被害状況)、スクランブル騒ぎ(自衛隊防空指令所のレーダー画面上のフェイク映像)、羽田空港上空の目視映像とレーダー画面、F16Jが映っているフェイクニュースの映像やカラオケ映像、ECM下での戦闘と目視による戦闘。情報の信憑性、すなわち、どの情報が現実でフェイクなのかは、判断の仕様がないのです。
 (2) コックピット等、モニター映像を多用し、 情報が集約される場所。多くのモニター映像のみによって判断を下す場所が多数登場する。 レイバー(PKO、シミュレータ画像、ECM下での戦闘、アイボール・センサー)やスクランブル機のコックピット内、PKO本部、ミサイルのセンサー、ニュース番組 (フェイクニュース)防空指令所内、戦闘指揮車内、羽田空港のレーダー室。
 (3) 内部と外側
   コックピット内と外側、 橋や通信施設を破壊されて孤立化した東京。
 (4) 柘植の意図は、明示されない。
   本作の主役は、後藤たちと元特車2課第2小隊のメンバーですから、本作は、彼らの目線(悪者に対峙する正義の味方)で語られる物語です。逆に柘植は敵であり、悪者の動機は(存在するものの)、明確に語られることはありません。寧ろ、物語には邪魔になると思われます。
 (5) 俯瞰している神様 (外部)
  ア 冒頭シーンの石造
  イ 飛行船
    神様に手を出したら天罰 (ガス) が降る。
  ウ 埋立地の柘植
3 柘植が「もう少しだけ見たくなった」と言う理由 
 (1) 柘植の想定した事態
   テーマを持たず、外部との繋がりについて何も考えず、あらゆることを知りつつも現実感を持たず、ただ傍観するだけの“何もしない神様”。そんなモラルのない日本人たちに「さぁ、どうする?」と戦争状態を付与する。といっても、柘植は既に結末を確信しており、それは「パニックに陥り、翻弄し、 何も判断できない」と諦観したものでしょう。さらには、「この計画を阻止できる者など存在しない」、「自分を逮捕しにくる人間など、存在しない」とも確信していたのでしょう。
 (2) 柘植の想定外な事態
   柘植の作戦は、すべて計画通りに成功します。ただし、想定外に行動している警察官がいます。それが後藤たちと松井です。
   勿論、柘植の部下が、適時、彼らの行動を柘植に報告するのは当然でしょう。後半における特車2課への攻撃は、この報告を基に柘植が指示したものだと思われます。また、後藤は、自分たちの行動が柘植へ報告されているのは当然だと予測していたのでしょう。だからこそ、事前に戦力(98式)を分散配置したのでしょうし、南雲へ「特車2課は、たぶん壊滅したよ」と発言したのでしょう。
彼らの行動は、諦観している柘植の目には「状況を理解し、危機を察知し、状況をリアルに感じ取り、傍観せずに当事者として行動できる、数少ない(自分と似た)モラルある日本人」として、付与した状況に対する唯一の希望に見えたのかもしれません。「まともな日本人が、この国には、まだ存在している」というところでしょう。
 (3) 柘植の予感
   柘植は、上記を想定しつつも、同時に「自分を逮捕する(できる)のは、自分と同様に“自分の正義”というテーマを持った彼女であろう」と予感していたと思われます。また、最後に彼女と会いたいという欲望から「彼女に逮捕されたい」という願望もあったのでしょう。この2点が、南雲への事前連絡の理由となるのです。
そして、自分を逮捕しに現れた警察官は、なんと南雲だったのです。
彼女は、東京に発生した戦争状況を傍観などせず、当事者として犯罪者(悪、敵)である自分を逮捕するために行動した。そして彼女は、「あなたには、あそこに住んでいる人たちも幻想に見えるのか。あそこには、実際に人が生きている」という“外部をリアルに考える”感覚も持っていたのです。
 (4) もう少し見ていてい景色
    (1)~(3)の要因である後藤、南雲、元第2小隊隊員と松井の行動は、まさしく柘植の警鐘に対する(柘植の望んだ) 回答だったのです。そして、彼らの行動は、柘植に「東京も、まだまだ捨てたものではない。もう少し見ていたい」と思わせたのでしょう。
4 柘植のPKO派遣(島流し)の理由
  「高温多湿という、レイバーの運用に向かないところに柘植は行った。なぜかな。」と後藤は言います。
  柘植は、レイバーを戦闘で使用することに係る開発の第一人者です。このことから、彼は開発職種であり、普通科(歩兵)や機構科(戦車)といった戦闘職種ではないと思われます。即ち、実働部隊 (経験者) ではなのです。
映画冒頭の戦闘での、あまりに杜撰な柘植の指揮からも感じ取れます。
そして、PKOへ派遣させられた理由は、南雲との不倫、すなわち不祥事に対する戒めだと思われます。だから、柘植がPKOへ行った理由の話で、不倫話は出たのでしょう。

以上となりますが、ここまで読んでいただき、本当に感謝いたします。
ありがとうございました。

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