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PKPK(パパッと簡単ぱぱキッチン)9

私は現在、登録販売士として、あるドラッグストで働いています。

管理資格者として、医薬品の販売、接客などに携わっています。

小売業という業種の関係上、夏、冬などの、いわゆる繁忙期は特に忙しく、言葉通り、目の回る日も多々あります。

私が勤めるお店は、熊本の、海辺の町にあり、この時期は海水浴、魚釣り、キャンプ、ドライブや帰省のお客さんでいっぱいです。

お盆の時期が終わり、やっとまとめて休暇を取得することが出来ました。

渋滞、バスや電車の混雑を避けるために、子供達も私の休みに合わせて帰省しました。

息子は大学生、娘は専門学校に通い、それぞれひとり暮らしをしています。

帰って来ると、まずは三人でいつもママのお墓参りに向かいます。

家を出て川沿いの道を歩き、坂道を登ってさらに急な山道をひたすら歩くので、夏場は汗びっしょりになります。

私の妻は、二十三歳の時、病気で他界しました。

だから息子も娘も、ママの顔を写真でしか知りません。

三人でお墓参りに行く時は、いつも必ずママの話をします。

笑顔が素敵で、パパは、ママが笑う時、目がなくなってしまう表情や、大笑いする際はおなかを抱えて転げ回る仕草が大好きだったことなどを話してあげます。娘はそんなママに似ていて、子供の頃の写真を見ると瓜二つなのでびっくりしてしまいます。

妻は、推理小説や漫画が大好きでした。

名探偵コナンや、金田一少年の事件簿の単行本をたくさん持っていて、出会った頃はそんな話で盛り上がりました。

息子が生まれた時、『コナン』という名にしてもいいなぁと、本気の眼差しでつぶやいていたのもいい笑い話です。

「パパ、おれさ、その名前じゃなくて安心してるよ。勉強嫌いだしさ、あんなに可愛くないし名前負けしてたよ。パパ、回避してくれてナイス!!」

「確かにな!!!」

そうやっていつも笑います。

妻がもうひとつ大好きなこと、
それが料理でした。

冷蔵庫に残っているわずかな食材をあれこれアレンジし、まるで居酒屋のようなレシピに変えるのでいつも感激でした。

「玉子焼きとかラーメンとか炒飯とか、簡単に見える料理ほど難しいんだよね!そこが腕の見せ所なんだ!」

いつもそう得意気に語っていました。

そしてもうひとつ。

「ご飯はさ、楽しく明るく笑って食べたいね。鉄板とか大きな鍋をみんなでつついて、最後まで家族みんなで食卓を囲めるような料理がいいな!」

少し大袈裟ですが、それが妻の料理に対する決して譲れない哲学でした。

私は妻に出会うまで、あまり料理に対してこだわりを持ち合わせてはいませんでした。

栄養があればいい。
お腹いっぱいになればいいじゃん。
お酒のつまみとして合えば満足。

それくらいにしか考えていませんでした。

「お腹いっぱいになる為だけなんて寂しいよ。辛い時とか悲しい出来事なんて生活してたらたくさんあるし、だから晩御飯を家族で食べて、嫌なことも忘れるくらい笑いながら食べれるような、そんな食卓にしたいよ。大好きな人とか家族が笑顔になれるようにあれこれ考えて手を加えるから料理は奥が深いって思うよ!」

妻はいつも、そう真剣に語ってくれました。

子供たちは、鍋料理と鉄板焼きが大好きです。

一年のうちのほとんどがこの料理です。

「今日の晩御飯なんにしようかね?」

「今度帰省したら何食べたい?」

『キムチ鍋!!』

『おでん!!』

『すき焼き!!』

『お好み焼き!!』

まるで申し合わせたかのようなハーモニーです。

我が家の鍋にはたくさんの出汁に加え、笑顔と涙がいっぱい染み込んでいます。
子供たちが保育園にあがり、大学生になった現在まで、そしてこれからも食卓の真ん中には鍋と小さなホットプレートがあり、小さな家族のいろんな話をじっと聞いてくれます。

さて、二人が帰って来ている間、みんなで協力して晩御飯を楽しく作りました。たまには違う料理も楽しいです。

自家製のお漬物に挑戦!
娘のリクエストのカツ丼。
息子と釣った獲物です。
美味しい刺身になりました。
定番の鍋です。
居酒屋風に。
夏らしいさっぱりとしたワインで乾杯!
すき焼きはやっぱり美味しい!

ご飯を食べる時、仕事の話になりました。

子供たちは医療系の学校に進学しているのですが、なかなか思うように就職活動が進んでいないらしく、心配そうでした。

「パパなんてさ、熊本帰って来てからも転職してるんばい!」

「そもそも三十歳になってからしたこともない仕事にも就いたんだけん、なんとでもなるよ!」

そう言って励ましました。

生きて行くのに仕事はとても大切です。

世の中は貧富の差が大きくなり、老後だけでなくて今日、明日を生きるのにも苦労をする、本当に大変な世の中だと思います。

だからどんな仕事でもいい、汗水流して一日を終えて、今日も頑張ったな!と自分を褒めてあげれるくらいの生活を送ってほしいなと、父としては願っています。

人に偉いも偉くないもないと思います。

どんな人でも赤ん坊として産まれた時は顔を真っ赤にして大きな声で泣き、周りの人が笑って守ってくれました。

その時、どうかこの子が元気でいて欲しい、それだけを心の底から願ったはずです。

私はなんにもない人間で、果たしてこの子達は私の子供としてこの世に生を受けたことが幸せなんだろうか、もっと違う父親の子であったなら、ママを亡くすこともなくもっと笑って生きていけたんじゃないだろうか?

運転中、仕事中、お酒を飲む時、いつもそんな考えが頭をよぎります。

その時は、天国の妻の言葉を思い出して、いつも上を向くようにしています。

「ご飯は楽しく、笑って食べようよ!」

と。

私の職業は、「父親」だと思っています。

ゴールも定年もありません。

子供たちが笑ってくれれば何もいりません。

仕事、人間関係、将来のこと、いろいろ悩むかも知れないけれど、パパはいつもいつも、見守っているよ!

頑張れ!
負けるな!

休んでもいいよ!

勝たなくってもいいよ!

いつでも羽を休めに遊びにおいで!

日が沈みそうな時だって、虹がかかるよ!

あ、今日は何を作ろうかな?

















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