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覇者の痕 #絶叫杯

(三国志のパルプ小説です。6,800字あります)

 その日、飛将軍呂布は曹操軍に降伏し、ほどなく首が飛んだ。
 他の捕虜の処遇も定まり、あとは参謀の陳宮を残すのみである。
 彼は陣幕の中で縛られ自由を奪われていた。主と仰いだ男の死に顔を、目を細めて見やる。

「ひどくお寒い幕切れじゃないか。いったい我々はどこで間違ったのか。私が味方しようとも、敵に回ろうとも、曹操め、あやつが関わると堤が切れる」

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───西暦198年末、徐州。
 呂布は曹操軍に攻め入られ、連戦連敗して下邳(かひ)に籠城。参謀の陳宮は「攻め続けて疲弊した曹操軍を、今こそ突くべきだ」と説くが、精彩を失った呂布の首がうなずく事はなかった。
 対する曹操は、これ以上攻めても損害を出すだけと判断し、本拠地兗州(えんしゅう)へ撤退を考えていた。しかし配下から水計が進言されると、彼はその魅力に屈して計略を採用する。
 かくて下邳城の戦意は、堤防決壊の策により真冬の洪水に沈んだのであった。

 呂布の首に今さら何を問うても、返事があるはずもない。陣幕の下で陳宮は一人ため息をもらした。
 物思いから覚めたのは、背後の足音に気づいたときだ。
 噂をすれば影───曹操───捕虜の生殺を握る勝利者が背後に立っていた。

「陳宮よ、旧友と少し話さんか」
 背の低い壮年の男から、度量を感じさせる深い声が響く。彼は客人をもてなすように、陳宮に対談の椅子を勧めた。
 手を貸してもらわずとも十分に歩ける。むしろ、その意志さえあれば小走りに逃げられるほどの縛り方だった。だが陳宮はそうしなかった。曹操と言葉を交わしたかったからだ。
「いいとも、まだ私を友と呼んでくれるならば」
「ハハ、もとはと言えば、そなたが儂に反逆したのだぞ。あれから、はや四年か。陳宮、なぜ我らはこのような事態に陥ったのか」

───ああ、これこそ曹操だ。
 陳宮は思った。命懸けで伝えた事も、都合の悪い事はないものにしてしまえる。曹操は学習熱心だが、その根本は常に臨機応変。陳宮は辛抱強く応えた。
「一度や二度で分からぬならば、何度でも言おう。お前が戦いに明け暮れ、統治をおろそかにしたからだ」
「いや、儂は兗州統治に最善を尽くしていた。軍師のそなたは知っているはずだな」
「もちろん身に染みている。が、私達はどうにも見解の相違があるようだ。お前は我が故郷兗州の内政を軽んじ、無法に徐州を攻めた」
「まだ言うのか、徐州の連中は我が父を無碍に殺したのだぞ。父祖の仇討は無法にあらず」

 無音の陣幕で両者は睨み合った。曹操から譲歩の気配は感じられず、陳宮も表情を強張らせざるを得ない。

 曹家は最高位の宦官や大臣を輩出した家柄だ。仇討は徐州侵攻における鉄板の口実となり、過去、陳宮の制止はことごとく無視された。
───しかし論点はそこではない。
「ご父君の死の無念は認めよう。だが私は今、堤防決壊を始めとする治水放棄について話をしている」
 陳宮が言い逃れをするなと言わんばかりに釘を刺すと、曹操は口をすぼめて黙った。痛い所を突かれたようだ。
 中華の不文律───天下の盟主は水利の守護者たれ。
 それが陳宮の依って立つ論拠だった。曹操はいまだ天下の盟主に至る途上ながら、すでに皇帝を擁し奉り、司空の座にあって土木工事の強権を掌握する大臣である。
 治水に心を配るべき者が、実際には破壊して回っている。そのことが陳宮には不満で仕方なかった。

 しかしこの陳宮の論は、曹操を擁護する人々に封殺されてきた。過去幾度も、故郷でさえ。だから今彼は逃亡よりも、ここで直接訴える道を選んだ。

「曹操よ、私はお前に、乱世を鎮める盟主の才覚を感じたからこそ助力し……」
「そうとも、だから我々は力を合わせようと誓った。だが陳宮、君が裏切ったのだ」
 陳宮の言葉尻をとらえた曹操は、食い気味に論を封じた。その声の冷たさに、どれほど多くの者が自ら屈したことだろう。けれど陳宮はここで退こうとは思わなかった。
「責任転嫁はやめてくれ。お前は戦乱に乗じて、水利を荒らして回った。それを私が知らないとでも? 盟約が破られた以上、今さら誓いなどと」
「戦いを早く終わらせるため、と言っても納得してくれんか」
「袁術、陶謙、呂布。敵対者とはいえ、その水利を破壊して勝ちを誇るなど、正気の沙汰ではない。他の計略も考えられる状況で、なお平気な顔をせよと言うのか?」
「そうだ、それでこそ儂の軍師というもの」
 曹操は我が意を得たりとばかり大きく頷いた。

───どこまでも私をいたぶるつもりか。
 陳宮は首を横に振って抗った。
「その軍師像には断固反対する」

───少なくとも呂布は、そんな態度とは無縁の男だった。計略の無理解や策の拒絶はあった。それでも彼は私の治水に口を出しはしなかった。自然と呂布の首に視線が向かう。もう二度と交じり合うことはない。今さらながら思う。どうしたら私は彼とうまくやれたのだろう。
 後悔の念を曹操の言葉が遮る。
「馬好きのその男が、君の策を用いていれば勝てたかね?」
 勝者が指差した先には、鉄鎖に縛られた呂布のむくろ。天下の騎兵集団を率いた猛将は、今や見る影もない。
「曹操、今さら死者を責めても仕方ないだろう」
「そうだな。猛獣を御せなかった君の失策だ」
「さすが漢の司空殿、正論だ。言葉もない。もう嬲らないでほしい」
 そこでしばし沈黙が下りた。

2.

 静寂を破って先に動いたのは曹操だった。腰を上げて歩み寄り、陳宮の手に自らの手を重ねる。
「では……そなたの、老母や妻子をどうするのか」
 陳宮は、曹操が時間稼ぎをしているのに気づいた。この小男は、優位に立って初めて慈悲心を見せる。実態は、人材を侍らせたいという所有欲であり顕示欲だ。彼の意を忖度できれば長生きできよう、たとえ私の成したいことができなくても。

 陳宮は自らの命と信条を天秤にかけながら、ゆっくりと口を開いた。
「天下を治める者は相手の親を殺したり、その家を途絶えさせたりしますまい」
「確かにそうとも。儂はそのような事を望まない」
 曹操の声は温かく、嘘は感じられない。謝罪と命乞いさえこの場に添えられるものなら自分は赦される。そう陳宮は確信した。だが服従は自分の使命を放棄するに等しい。だから口に出してはこう言った。
「いま私の家族の生死は貴公に握られ、この手にはありません」
「大丈夫だ、家族の面倒は見る。それよりも、そなたほどの知恵があれば、儂の考えは見通せるはずだ。儂を見よ陳宮、いたずらに死を望むことまかりならんッ」
 曹操はなかば懇願し、なかば命令した。

 陳宮は黙って立ち上がった。陣幕の外には刑場が用意されているはずである。そちらへ向かって歩き出そうとするが、曹操が腕をつかんで離さない。言葉が継がれる。
「なぜ儂に逆らう。なにが不満だ、ずっとそなたを大切に想っているのに」
 旧い友から親身に問いかけられ、陳宮は今一度、胸の内をさらけ出す事に決めた。
「されば改めて問おう。土木を束ねる司空の座にありながら、堤防を壊してまで争うとは何事」
「我が父の仇、憎き徐州陶謙との戦いに勝つためだった、分かってくれい」
「仇討は構わん。しかし治国の礎たる水道を切ってくれるな。他州と言えど同朋なり! 治水者としてこれ以上は看過できぬ」

 曹操の軍師になる前、陳宮は治水の実務者だった。故郷兗州の統治において、水利の責任を負うべき代弁者でもある。生業を軽んじられた怒りがこみ上げ、曹操の手を振り払った。
「曹操よ、貴公こそなぜ目を背けるのか。兗州水利が滞れば黄河下流域は水に悩み、人が人を喰らう地獄に陥ろうぞ!」
「ハッ、儂が堤を切り始める以前から、各所でそうなっていた。だがそれは幾十年に渡る失政の積み重ねであり、断じて儂の責任ではないわ!」
「曹操! 漢の急所を知ってなお、治水を乱して回るかッ!!」
「仕方ないのだ……ッ! 強敵難敵は多く、儂にはまだまだ力が足りぬ。ゆえにしばらく治水を脇に置き、早急に勝つ道を探ろう。天下を束ねれば、治水などいくらでもできる。だが今は無理だ、それだけのことを、なぜ分かろうとせんのだ」

 曹操の言い分を聴いて、陳宮は歯を食いしばった。
 それだけのこと───曹家と陳家の文化とはかくも違うものか!
 始祖たる禹王(うおう)が築きし恩沢に生を受けながら、議論がまったく噛み合わぬ。統治とは治水なりとの気風で育ち、黄河水利を守り継ぐ役目を陳宮は生きてきたのだ。いま自ら治水を放棄し、それどころか壊し、流域の恩恵に浴す数百万の戸籍を脅かせるはずもない。

「約束したはずだ曹操、ないがしろにされた帝の恩沢を復興させると」
「それは今も変わっておらん! 堤防を切る場合もあるというだけの事だ」
「だめだ、国が自ら堤を切れば、民心は荒廃するぞ! 水利を守ると誓ってくれ!」
 陳宮は曹操に掴みかかった。襟に手をかけて力を込める。重い石を治水の礎石に据えるかのように、じっくりと締めあげていく。
「服従させたいのなら、私を恩沢の責任者に任じよ!」

 突然の申し出に曹操は顔を赤らめた。莫大な予算を抱える治水権を、感情に任せて与えられるわけもない。
「儂は必要なら壊す。帝の恩沢とて改める。子供じみてわがままが過ぎるぞ陳宮、儂に命令をするな!」
 曹操もまた胸倉をねじり上げる。今度は陳宮が顔を赤らめた。
 結局この場の支配者とは、権力と武威を誇る曹操なのだ。
「行いを恥じよ曹操、なぜ徐州を地獄にした。物事には限度があろう。上に立つ者が争えば、下に立つ者もそれに倣うだけではないか」
 陳宮は言葉で刺した。並みの相手なら倒れる急所を。
 だが曹操は権威の色で睨み返す。
「そんな悠長なことを言っておれば呑みこまれるだけだ。時間はない、これでも間に合うかどうか分からん。天下には倒すべき強敵がひしめいておるのだぞッ!」
 両者は襟を乱し合い、強引にねじ伏せようとするものの、互いに拮抗して打ち震える。

 水掛け論、平行線、泥仕合。陳宮にはその現実が痛く重い。
「なればこそ曹操、我ら士大夫が襟を正さねば」
「すでに乱世、後漢の天命は消えつつある。それすらお前の知謀は読めんのか?」
 曹操の声が苛立ちを込めてささやかれると、陳宮は心が冷えるのを覚えた。決然として曹操を押しのける。
「帝をないがしろにして早くも王者ヅラとは……よかろう、禹王が末裔を見くびるなよ」
「陳宮ッ、いつまでそんな古い血筋を誇るか! 壊して創り直す時は今ぞ!!」
 苛立ちを煮えたぎらせて曹操が声を荒げれば、対する陳宮は圧迫をはね返さんといきり立って咆えた。
「よいか曹操、貴様が南面に至れば南下能わず、己が死を水面に映して呪われよッ!!」
 騒ぎを聞きつけ、諸将が陣幕へと駆けつけて来る。
 武器に手をかけた配下を、しかし曹操は手で制止した。

3.

 曹操の眼前で、陳宮がゆっくり歩み始めた。
 フラフラと覚束ない足どりだ。危険のないことを見てとった諸将は、いぶかしみつつも二人を遠巻きにする。

 牢獄めいた人臣の輪の中で、曹操は思い通りにならぬ現実に直面した。
 陳宮の心が欲しい、されど叶わない。鬱悶として持病の頭痛がうずき始める。
「フ、ハハ、どうした陳宮その千鳥足は。己の無力に酔っ払いでもしたか」
「この命を使って呪いをかけているのだ曹操。我が志を忘れ得ぬように」
 陳宮が両手で印を結びながら、呪詛じみた言葉をぶくぶくと吐き始める。

 曹操は当代きっての知識人であり、リアリストである。陳宮の騙るような呪いが存在しない事を知っている。しかし同時に、大多数の民がそうした無知蒙昧を支えに活きている事もまた知っている。恐れるべきか、笑うべきか。己の天秤にかけた時、とある言葉が克明に曹操の脳裏を支配した。

───禹王の歩み。

 二千年の昔、かつて黄河の流れを分水し、九つの州に分け、水利をもたらして繁栄に結びつけた偉大なる歩法。治水のために浅瀬を巡り、脚は水に洗われて細り、すね毛は抜け落ちた。幾度も怪我を負い、まともに歩く事さえ困難になって、それでも恩沢をつくり続けた。それゆえ禹王の歩みに触れた者の感は激し、自ら助力を申し出たと言われる。それが禹歩、中華に大輪を咲かせてみせた帝王の歩み。
 いま目の前で陳宮の成している物の正体を、曹操は看破した。頭がきしむ。
「なぜ、それほどに儂を、目の仇にするのだ、陳宮よッ!」
「水利を軽んじれば死が這い寄ろう。子々孫々、統治の恩沢を忘れるな……!」
「もう歩くのをやめよ、陳宮!!」
「やめんぞ。やめさせたいなら斬るがいい」

 曹操は周囲を見た。すでに人垣は十重二十重に囲み、いつでも殺せる構えである。重罪人の首を刎ねる処刑人も舌なめずりして準備中だ。
───こやつらの内、どれだけが禹歩の事実を知っておる!?
 疑心暗鬼にかられつつも、曹操は心の声を打ち消した。誰も知るまい。曹操はたまたま大宦官の孫に生まれ、深淵なる知識体系を得た。だが、そのような古代の抽象概念は一般人にとって何の益もないのだ。そう、誰も曹操の不義を指摘できる者はいない、この陳宮さえ殺したならば!
 唸りを上げる頭痛を打ち倒さんとばかり、肚の底から大音声を響かす。
「頼む陳宮!! もうやめてくれ、お願いだ、これ以上儂を困らせんでくれ!!!」
「なんだみっともないぞ曹操! それではお前も私と同じわがままな童子のようではないか!!」
 禹歩は止まるどころか、独特のリズムを持って脚が擦り動いた。陳宮の顔は必死ながら、今この時を活きんと輝きを放っている。
 曹操は恐れを抱いた。徐々に増してゆく陳宮の求心力。禹王の余徳に、人心が惹かれていく。
 配下の面前で辱められた曹操は虚栄心に敗れ、カッと短剣を抜き放ち陳宮を刺し貫いた。
「陳宮ッ!!!!」
「曹操……ッ」
 旧い友は歩みを止めた。
 一人は斃れ、一人は膝をついた。
 言葉が、双方から失われた。

4.

 後に、曹操は華北の袁紹という大勢力を下し、中華の覇権をほぼ掌中に収めた。彼は治水を重んじて水路を開くとともに、屯田で食料不足の改善に励んだ。
 202年には黄河治水の要・浚儀に赴き、主要用水路の一つ睢陽渠(すいようきょ)を補修した。晴れ渡る空の下、祖先を祀り、ともに戦って散った戦友を弔い、民の安寧を願う。

 穏やかな水路の流れを見ながら曹操は思い出す。
 かつて袁術と戦った際、この堤を切って水攻めを行った事があった。今さらながら、陳宮との離別はそれが発端だったのかも知れぬ。過去の経緯を見つめなおせば、答えは明々白々だというのに。

───儂は陳宮を裏切り者と蔑み、周囲にもそう認めさせてきた。

 眉間に力を込めてうなだれる。足元の礎石に打ち寄せる水面のきらめきが目にまぶしかった。
「陳宮よ、この浚儀で君と語らった日が懐かしい。かつて君は言ったな」

───黄河治水こそ中華土木の根源。黄河分水を司る開封の地とともに、この浚儀は各方面への放水量を定める重要拠点だ。農耕はもとより水運にも欠かせない。だのに百年以上も予算が降りず、我らは自前でこれを保守している。聞こえぬか曹操、風に乗って空を渡る浚儀の悲鳴が。このまま政治が乱れれば、遠からず黄河治水は破綻する。帝の恩沢は露と消え、民は拠り所を失うだろう。禹王の末裔たる陳家の務めとして、それだけは阻止せねばならん。力を貸してくれ曹操、私もまた全力で支えよう。

 たゆとう水音の合間に、曹操は交易を求める友の声を聞いた。陳宮の遺志を実践に移せるようになるまで、長い歳月がかかった。
「陳宮よ、これで良いか。浚儀を中心とした用水路を、君の魂を修築したぞ」
───よくやった曹操。その才で誓いを果たせ。さもなくば司空の座を降りよ。
「陳宮、おお陳宮、まったくそなたは手厳しいな」
 淀みない水路の流れを眺める曹操。
 風に揺れる黒いひげの先から、しずくが落ちて礎石に染み入った。

***

 さらに曹操は、数年がかりで華北を平定する。
 彼は中華を総覧する丞相府を設置、帝権を代行するとともに司空位を廃止した。漢の実権は手の内にあり、位人臣を極めて前途洋洋。曹操はついに帝を擁して南に向き直り、居並ぶ百官を見下ろした。平伏して北面する群臣に讃えられ、彼は魏公・魏王へと進んでゆく。

 だがそれ以来、曹魏は不思議と川に祟られるようになる。
 208年、曹操は長江を越えられず赤壁で無惨に破れ、孫呉に名を成さしめた。218年には漢中争奪戦で惨敗し、蜀漢に漢水を明け渡す。
 そして220年、南面すれども南下能わずの呪いに違わず、曹操は65年の生涯を終えた。

 それらが陳宮の遺言に起因するものなのか、残存する史書が語ることはない。

(完)


《筆者後記》
後の世にいわく、陳宮の身の処し方には不明な点が多く、その知謀と決断の背景は今なお謎に包まれています。よってこの異聞は、史料から導き出された可能性の一つにすぎないものの、人物列伝の欠損を補う試みとしてネットに奉納する次第です。


これは、バールさん主催「野郎どもが互いの名を絶叫しながら殺し合う小説大賞」参加作品です。


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