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毒親のこと

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記事一覧

学生生活のこと

学生生活のこと

これはセルフカウンセリングである。
──と、突然ながら宣言しておく。

私は破綻しかけた家庭環境で育った経歴があり、色々なコンプレックスを潜在的に持っている。
普段は水底に沈み、穏やかな水面を湛えていても、ふとした瞬間にざばりと姿を表す感情と対面する。

私は私のことを少なからず好きだし、褒めてあげたいと思う。
それは人に話しても、相手の負担になるだけだと自覚している。だからここで王様の耳はロバの

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決別の思い出

(前回までの毒親記事をご参照ください。)

弁護士や管財人との手続きも終わり、私がやるべきことは弁護士費用の月々の返済と、実家から離れるということのみとなった。

思うに、毒親育ちの人間がぶつかる最大の問題は「決別」である。

生まれた時から、親の思う当たり前を叩き込まれた私たちは何が普通なのかがよくわかっていない。親という井戸の中で育った蛙は大海を知らないのだ。
そして、成人してもなお心の中に傷

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弁護士との思い出

弁護士との思い出というのも変な話なのだが、タイトルに困ったのでひとまず。

私は父の借金を担いで弁護士に助けを求め、自己破産の段階に入った。
その際手続きに手こずったこともあり、管財人との面談が必要になってしまった。
管財人というのは、自己破産の申請者が生活再生能力があるのかどうかと妥当な申請であるのかどうかを審査する、裁判所側の弁護士だそうだ。

「なので、ここで変なことを言うと申請が通らなくな

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自己破産の思い出

(前回までの毒親記事をご参照ください。)

父が私名義で作った多額の借金が原因で、私は自己破産手続きをすることになった。
某所、ビジネス街に立ち並ぶビルの一つに法律事務所があった。
入口に秘書さんがいて、奥に通される。
電話で話した通り、少しプレーリードッグみたいな挙動ながら話しやすく物腰の丁寧な弁護士だった。

私は、借金の原因と自己破産をしたいことを包み隠さず伝えた。
「それは……大変でしたね

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借金の思い出

(前回までの毒親記事をご覧ください。)

「お願いがあるんだけど」
コンビニの駐車場、暗い車内の中で父親が言った。
内容はいつもの金の無心とは違った。
私の名義を貸してくれ、ということだった。

父親はなぜ金が必要かの理由をごちゃごちゃしゃべっていたが、私にとっては心の底からどうでもよかった。
理由はいつも嘘八百、今までだってそうだったんだから。
「これはお父さんの借金なんだよね?自分で返すんだよ

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就職の思い出

(前回までの毒親記事をご覧ください。)

大学中退を余儀なくされた私は、
地元の大型ショッピング施設でパートタイムを始めた。

同じ職場のパートさんたちはどの人も優しく、
問題なく働くことができた。

ただ一つ、親からの電話を除けば。

「水道が止まってる。払ってきて」
パートさんから、お父さんから電話が来てるわよと言われて
出た電話がこれだった。

いや勤務中ですが?
休憩中でもないですが?

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大学中退の思い出

ある日突然、父親に
「明日から学校通えないから。中退するって申請してきて」
そう告げられた。

私は高校で一回経験したはずなのに、冗談を言っていると思ってしまった。
いや、本当に冗談を言っているような軽い口調なのだ。

父親は入学時に、入学金と前期分の学費しか用意していなかった。

後期の学費の見通しなんてまるで立っていない状態で、
奨学金は私の与り知らない何かに使い込まれていて、
言われた時には

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大学入学と束縛の思い出

父親が「大学に進学しろ」と言ったときはかなり驚いた。

高校時代に退学寸前まで行ったのに?
というか中学ですら給食費払ってなかったのに??

私は当然就職するものだとばかり思っていたので、
まさに鳩に豆鉄砲だったのである。

ともあれ、私はまだ勉強できることがうれしかった。
滑り止めは受験費用がかかるので、高校入学の時と同様推薦一本の受験となった。
推薦で受けられる学校の中から、私が学びたい科目の

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高校時代の思い出

(前回までの記事をご覧ください。)

父はどこで何をしているのか、まったく家に帰ってこなくなり、
そのおかげで見とがめる者もいない。
窓のない2.5畳ほどの部屋を私の物として割り振られ、
その部屋のドアが勢いよく開けられることに怯えた。

ドアが開くときは決まって説教が始まるときで、
そこから立たされて2時間は罵倒され、時にはビンタされるからである。

リビングには一切行かなかった。行く権利が無か

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高校入学の思い出

(前回までの記事をご覧ください。)

入学する高校を選ぶ基準は、
①家から徒歩で通える
 交通費がかからない。定期代なんて親が払ってくれるはずもない。
②公立である
 高い授業料を払ってくれるはずもない。
この2点だった。

幸い比較的まじめな性格だったので、
授業をきちんと聞いていたおかげで成績に難は無く、
推薦をしてもらえることになった。

受験料もばかにならないので、
推薦一本、受ける学校も

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中学生の思い出と、本

図書館に入り浸りながら、私は中学生になることができた。
なんとか制服も鞄もそろえてもらった。

母は私の教育や身の回りの世話には一切手をつけなかったので、
買いそろえるのはすべて父が行った。
ただ、なぜか体操服だけは買ってくれなかった。
入学して1か月は買ってもらえなかったので、
毎回体育を制服の状態で真っ赤になりながら受けていた。
いじめの対象になってもおかしくなかったが、
なんとか何もなく済ん

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中毒性

『虐待は中毒性がある』という記事をネットで見かけたことがある。
母はそれだったのかもしれない。

家に滅多に帰ってこない父、子供を育てながら行うパート、度重なる引っ越し。
生活費も多分入れてもらえていなかっただろう。
家という閉鎖空間の中で、年齢1桁の子供が二人と、血を分けていない陰気な子供1人。
(この頃にはすでに読書が趣味で物静かな子だった。)
ストレスをぶつけるならもちろん、私が適役だ。

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誰が痛むのか。

(前回までの記事をご覧ください。)

妹が生まれ、弟も生まれ、
家族は赤ん坊の存在をもって再構築されるかと思われた。

というのも、もうお気付きかもしれないが
仕事を理由に家にほぼ居ないため、父親の存在が希薄すぎるのである。

弟妹が生まれてもそれはあまり変化はなかったが、
赤ん坊という存在は偉大で、家庭内がしばらくぱっと華やいだ。
両親もそこそこ仲が良く見えた。
私も例に漏れることなく弟妹をかわ

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小学生の頃の思い出

母は、しつけに厳しかった。

小学一年生の私に風呂掃除、部屋の掃除を完璧に教えたがり、
母の求める完成度に満たない場合は、
立ったままや正座での数時間の説教と夕飯抜き。

帰りの遅い父親をそのまま正座で待てと言われ、
律儀に待っていたところ、我慢できず床で丸まって寝てしまい、
翌朝の休日は朝食無しで部屋の掃除の開始。
空腹で動けなくなってしまった私に対して、
「一日くらい食わなくても死なない。大げ

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