本を読もう!(10)

 『ことばは壊れない 失語症の言語学』 
    久保田正人    (開拓社)


 文章であれ口頭であれ、自分の意思を誤解のないように伝えたり、相手の意図をできるだけ正確に読み取ることは、大概のひとにとってなかなか大変なものなのではないでしょうか。
 しかしこれには「生来のもの」も多分にあるのでしょう。卑近な例で恐縮ですが、私の兄は子どものころから何時なんどきでもオールマイティなコミュニケーション能力を発揮できる性分でした。ですから今ではその能力にますます拍車がかかり、大企業の集まるイベントでの基調講演や、京都大学などの一流教育機関でレクチャーをしたりするまでにいたっております。(←あるとき私の主人が部下を研修に派遣したら講師が自分の義兄だった、ということもありました。)
 ではコミニュケーション能力を自前でまかなえないタイプのひとたちはどうすればよいか、そのカギとなる教材的なものとして、「言語学」に注目してみたいと思います。なかでも「失語症」といわれる状況に置かれてしまった方々の「話法」や「失文法」を言語学的な観点から着目することで、人間はどのような情報にアクセントを置きながら相手の真意ををつかんでいくのか、そのことが順を追って理解できるようになります。

 今回、このような失語症に関する著書をご紹介したかった動機として、私自身が教育の一端を担う者として、しかも医学部小論文を数多く添削してきた者として、患者やその家族に寄り添った思慮深いコミュニケーションをとれる医師になるために必要な術を、受験勉強を通じて示すことができる限界までたくさんの事例を通じて学んでもらいたい、ということが挙げられます。

 気持ちが動転し自分の言いたいことがうまく伝えられない患者や家族に対して、相手の立場を尊重し思い遣りに満ちたコミュニケーションをとることを、医師はもちろんのこと、配慮が必要な立場の方々と接する機会の多いひとたちには守ってもらいたいと強く願っています。
 そういった心を寄せる意志疎通場面が常に求められているひとは(←相互に優しいコミュニケーションは、本来何時でも誰にでも求められていることですが。)、相手の言葉遣いを言語学の知識を生かしながら聞くことで、よりはっきりとその意図をつかむことができるでしょう。
 例えば、いわゆる「失語症」のひとは、発話において(今回ご紹介しているこの著書の表現を借りれば)「正しくまちがえる」ということをしているので、そのあたりのことを踏まえてきちんと着目すべき点に着目すれば、相手がこちらに伝えたいことをかなり正確に把握することができる道筋が見えてきます。

 生物の進化の過程において偶然か必然かは分かりませんが、人類は言語を獲得しました。そして言語そのものの仕組みや、人間が言語を運用する能力を身につける歩みを振り返ってみれば、その深遠さに感嘆の心をもってして、コミュニケーションをとる相手も自分も、肯定的に受け入れることができるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?