成し遂げられたことなんて大したことはなく、ただ病気を言い訳にのうのうと好き放題浪費をしながら生きている。 明日も宅配で死ぬほど荷物が届く。 悪魔も泣き出す、4月が終わる。
久々に腰を据えて日記を書いている。といっても残り6分だ。 さようなら。
旧友と話した。楽しかった。これからバイトです。
生きてる。死んでない。死なせてくれ。
お風呂に入った。恋人との1ヶ月記念にゆったりと温泉を堪能した。温泉という場所の効果なのか、過思考に陥らずにゆっくりと湯船に浸かることができた。 楽しい一日だった。幸せだった。これが永遠ではないかもしれない恐怖に、未だ怯えている。
たくさんの事が決まっていく。やる気に満ちている。このまま、このままずっと頑張っていたいんだ。おねがい、ゆるして。このしあわせをずっと続けさせて。
酔ってるので何も書きたくない!自由になりたい幸せになりたいころしてくれ!
帰りたくて仕方がない。研究室という現実から逃れたい。 そして帰ったら帰ったで寝て、何も出来ない自分が憎たらしい。つくづく自分にはあまくってびっくりする。結局この日記だって23時半を過ぎてから書いているわけだ。何一つちゃんと出来ない。愚かだ。 決めたことをやり遂げられる人間になりたくて仕方ない。でも意志が弱すぎる、欲望に負けてしまう。どうしたらいい?
日記をつけるということを、23時という日付が変わるギリギリまで忘れてしまうことを辞めたい。 今日は寝溜めの一日だった。土日は深夜のアルバイトがあったから、自分では認識していなくてもなんだか疲れが溜まっていたらしい。 だから今日は過思考に晒されていない。考えすぎて死にたくなっていない。不思議だ。いつもだったらもっと死にたくなっているのに。 精神的にも身体的にも健康でいられるならそれが何よりだ。明日はゼミ資料を準備しなければならないし、まだ眠っていたい。 こんなクソみた
しにて〜笑 と今朝方日記のつけ忘れを危惧してこんなことを書いていた。すっかり忘れていたので驚いている。つい8時間前の私は、しにたかったらしい。 精神は常に不安定で、こと家族金銭面のストレスには弱い。今はなぜだか手の震えが止まらなくて驚いている。自分のことすら自分でどうしようも出来なくて脳内でだけ破壊衝動が渦巻いている。 今は抗鬱剤を服用したからか思考はあまり過剰では無いけれど、大抵は考え過ぎて鬱になっているような気がしてならない。気がする所ではなく、きっとほぼ確定の原
バイトに行く前の電車でこれを書いている。相も変わらず愚かだ。母親を回避して、問題は山積しているけれどそれらを無視してしあわせを感じている。やっぱり愚かだ。 死んだ方がいい。やっぱり。
愚かな人間なので早めに日記を書くことにした。気温が20℃を超えて、生きていることがまだましになってきた。また居候として家事をこなすことで利他的な性質が顕著に表れ、生きることがなんとか出来ている。相変わらず朝4時に目が覚めるけれど、隣に人間がいる温もりに安心してぼうっとしていられるのだ。 通院ではどうやって話そう。寝れないけれど安心感はあるんだ。ひとりだったら虚脱感から抗鬱剤をのんでしまうけれど、それがなくてほっとしているんだ。 そしてその束の間の安心が恐ろしいのだ。
パンツがない状態でこの日記を書きそうになった。昨日があのザマなので今日はちゃんと書こうと思ったのに、結局ギリギリの時間までこれを忘れていた。なんとも愚かだ。 日付が変わる少し前まで、書けるだけのものを書こう。私の恋人のカレーが美味しかったこととか。いない時の鬱状態が酷いこととか。同棲なんて甘い言葉じゃなくて居候という言葉を使っていることとか。 今の私は相手に懐いた地域猫らしい。相手からしたら棚からぼた餅のように降ってきた、転がり込んできた? 人間である。もはや自分でも猫
酒に酔って日記を忘れそうになる愚かな人間だ。早く死んでしまえばいい。恋人を一人寝て待つ。寂しいものだ。
死にたくなる。常に希死念慮と共にある。でも今は恋人といるので、その時だけはほわほわとした暖かな気持ちで生きていることができる。不思議なものである。 他人を行動基準に据えなければ生きていけないのだと、この2週間でよく分かった。相手に合わせて家を出る、ご飯を食べる、掃除をする。相手に合わせた生活が全部苦ではない。むしろ生活能力は向上しており健康的だ。朝起きて、ご飯をつくって、相手を待ちながら洗濯物を畳む。主婦のようだけれどなにひとつも私にとってデメリットはない。 ひとりなら
母親と会う。それだけで涙が出てしまった。山手線の中でなんとも滑稽な姿を晒している。 沢山の問題が押し寄せる。研究、授業、免除申請、奨学金、バイト、通院、減らない薬、母親、希死念慮。 どうしたらいいのかも分からずに、日記だけは必死に、しがみつくように書いている。本当ならこんなもの、書いている場合じゃないのに。 noteという媒体を選んで日記を公開することにした。許容範囲が広いな、と感じたからだ。いつか私がここで小説をアップしても、許されそうな緩さ。日記、エッセイを書き続