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短編「殺人VHSビデオ」(10枚)

 三回目か四回目かあるいは五回目かに見直したときそれがどうやら本物の殺人映ビデオであるらしいと判ってきた。最初はまっくろな映像の静止画かとおもってしばらくみているとまっくろな画のなかに傘のない裸電球がぱっとつく。それでこれは再生中なのだなとわかる。手ぶれ感あるハンディカムでうつしだされる空間は中東のテロリストがよくアメリカへ発信する反イスラムジャーナリスト地下処刑場のようだ。アメリカとイスラムとの簡単な対立の構図でみてしまっていたうえにそういうドキュメンタリーふうに凝ってつくられた映画かなにかだろうと高をくくっていたらじっさいは記録映画もほどとおい素人が撮った粗悪モノだったがものものしい臨場感と鉈一本で淡々とひとを解体してゆくリアリティはどの映画よりも優っていた。そのうえどの映画も小説も独自のお手製のうさんくさい手法でしか描きだすことができない死がまざまざと映しだされていた。適当に置かれたのかまずマイクがどこに設置されどこへむけてあるのかつかめない。そのため無数の雑音がほうぼうから同時に立体的に耳にとびこんでくるし映像が粗悪なため逆に聴覚が闇の梟の目のようにするどさをましブラウン管のなかでなんどもくりかえされる殺人にこちら側からアンテナをはりめぐらせることになる。両の耳を一対の梟の目にすると自然と目をつぶることに。ふくらむ想像はいつもよりも三乗増しに。そこは地下壕などではなく残響音のない密閉されたコンテナのなかか。湾岸にたちならぶ倉庫街の一角のボーイング機や軍用輸送機がずらりならんでいる広大な格納庫のなかか。殺人ビデオにとって場所はそれほど重要な情報か? 重要かもしれない。耳にとびこんできた順に。銃火器を迅速に手入れしているようなカチャカチャカチャ。手慰みでジッポーライターをひらくリズミカルなパキンカチボッ。くっちゃくっちゃくっちゃガムを噛みつばをぺっ吐く。ポテトチップスの袋をあけるガサゴソ。近くにつながれまてを強いられている飢えた大型犬がどう猛なぶるるるる。飢えた大型犬をからかう男が吠えまね。どっと複数の笑い声が。パキンカチボッ。アルミ皿かなにかにスプーンかなにが小刻みにカチカチ。パキンカチボッ。火をもらうタバコチリチリチリ。ぺっ。すぅ〜は〜。カレーかなにかをすするズズズズ。ぺっ。どう猛なぶるるるる。くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ。すぅ〜は〜。ぺっ。パキンカチ。犬をからかう男のどう猛なぶるるるる。パキンカチボッ。ぺっ。パキンカチボッ。ギィ。窓がいくどかたたかれ。パキンカチ。戸がきしむ。周りは閑静な住宅街だったのか隣家の芝の庭のスプリンクラーの蛇口がひねられッシュッシュッシュッシュッシュッシュとびだす水のいきおいにたわむれる若い男と女の嬌声。パキンカチ。下方からは路地裏のトタンをバタバタとぶつかって逃げまどう鶏を追いかけまわすこども。パキンカチ。裏手は首都につながる町ゆいいつの道路で砂埃をたててはしる大型トラックだかマクロバスだかいや内乱中の装甲車や戦車のような物々しい車輌が引き戸をひくのとは別種のガラガラガラガラ…    パキンカチ。天井だか脇だかを勢いよくはしる洟や蕎麦をすするのとはちがったズズズズという地鳴りのような振動が壁を…    パキンカチボッ。壁をへだてたとなりBスタジオでは月面着陸でもしているのかとそろそろと目蓋をひらく。パキンカチ。ビデオに映るのは一個の裸電球がてらす疑いの余地のない地下洞窟の処刑場だ。戦車が隊列を組んでちかくをすすんでいるらしく地響きの振動ガガガガガガガガガガ天井と石壁をつたいズズ。ズズズズ壁の溝からしろい埃が吹く。パキンカチ。イスラム語だろうか。パキンカチ。後ろから下品な談笑がきこえるがことばがまったくわからない。パキンカチ。手ぶれハンディカムはゆっくりと左へパン。パキンカチ。ふぞろいに組まれた岩壁を背景に羽虫の死骸や粉塵が流紋をえがくように舞っていて画面をしろく曇らせる。パキンカチ。カメラがズームアップしながら奥の影へとあゆみ寄る。パキンカチ。ひからびてしろくひっくりかえった猛毒サソリ。パキンカチ。水滴を垂らせばもどりそうなぺったりとつぶれた条虫の親玉じみた無脊椎甲殻やすで。パキンカチ。石壁に背をもたれた未満児とおぼしき白骨死体。パキンカチ。未満児のものとおぼしき拳骨大の頭蓋骨を住処とする真っ赤な炎のような舌をだしいれする蛇が眼窩をぬるりと移動する。パキンカチ。そこだけみょうに演出じみてきれいにされた整然とヘルメットとセットに岩壁に立てかけられた磨かきぬかれた数丁のカラシニコフのズームアップ。パキンカチ。ッヒャッッヒャッママダミエルダ。パキンカチボッ。カメラワークへの嘲笑にもカメラへの中傷にもきこえる下品なわらい声に反応したカメラが不意に真後ろにいるうす暗い人影をとらえそうになると突然巨大地震がおきたかのような縦ゆれが生じてカメラは天井を映したまま不自然な形で画面はきり替わる。パキンカチ。やや左にかたむいたままフォーカスはいく日も飲まず食わずで椅子に縛られていたせいかぐったりしてはいるがそれでも餓死するには恰幅が良すぎる太鼓腹の男に固定されている。パキンカチ。頭にはスーパーマーケットのロゴが印刷された茶色い紙袋が。パキンカチ。画面いちめんまっしろな膜のように付着した粉塵が黄色と青と赤の三色旗のような布きれで丁寧に拭かれる。パキンカチ。ラピド! パキンカチ。ヘイラピド! パキンカチボッ。なにかをせかし囃したてる声を無視し背筋がゾッとするほど恐ろしく蒼く澄んだうつくしい虹彩をもつ一個の目玉が画面いっぱいにこちらをぐるりとなめる。パキンカチ。うるんでさらに蒼くうつくしく澄んだ一個の眼球が魚眼レンズとなってハンディカムの後方で陣取ってわらう五人の影と飢えてよだれを垂らしいまにも狂いとびかからんと眼をぎらつかせる一匹のジャガーのようなくろい大型犬を映しだている。パキンカチ。準備がととのったのか突然なんの予告もなしにむかって左手から頭にくろい布をまきつけた執行役があらわれる。パキンカチ。執行役はタバコをすぱすぱ咥えている。パキンカチ。執行役は殺人や犯罪とは無縁といったこれといってなんの取り柄もなさそうな太った肉屋風情の男だ。パキンカチ。とっぷりと太った精肉店店主よりも肉屋風情をかもす執行役は手によくなじんだ商売道具然としたあかぐろくよごれた鉈の両面を確認する。パキンカチ。親指の腹で刃の研ぎをみて鉈をにぎる。パキンカチ。首をかしげもう一度鉈の重さを確かめる。パキンカチ。まるでオールスター常連のメジャーリーガーがネクストバッターズサークルでバットグリップの微妙な位置を確認するかのように。パキン。それから腕の力をぬいて鉈を肩甲骨のつけ根の穴から勢いよくとびでる蛇のようにするどくスナップを利かせてふりあげとどまった上空でこんどは手首をがっちりとかためて肘から撓んでは凄まじい速さでおそってくる鞭のようにびゅんとふりおろす。パキンカチ。二度。パキンカチ。すぱすぱやった最後に親指と中指でタバコをカメラへむけて弾く。パキンカチ。とっぷりと太った精肉店主よりも肉屋風情をかもす執行役は鉈を空中でくるっと一回転させてブッチャーがまさにじぶんの天賦の職であるかのように淡々と空腹で真っ赤に目を血走らせ狂気じみる大型犬がひくくぶるるとうなるなかスーパーマーケットの紙袋をかぶせられた太鼓腹の猪首から切断を始めた。一時停止を押して巻き戻す。きゅる。ゅるきゅるきゅるきゅきゅ…     殺人ビデオはイスラム語圏でなくスペイン語圏と踏んだ。でてくることばや韻をふくんだノリなどを総合すれば撮影された場所は中東でなくスペインでもなく南米だ。さらにいえば治安がわるく期待されぬ政治改革よりも現実的で手っとり早く現金をつかむ手段のひとつとされ誘拐が多発するコロンビア。さきカメラの砂埃を拭った三色旗のような布きれはどこかの国旗にみえたがおれはコロンビア国旗をしらない。南米にある国のどの国旗もしらない。北米だか中米だか南米だがのカリブ海のどこにスエズ運河だかパナマ運河だかがあるのかペルーやコスタリカやエルサルバドルがどこらへんにあって映画でよくみるパブロ・エスコバルやシナロア麻薬カルテルがじっさいにどのジャングルあたりを拠点にしてコカイン製造しているのかじつはおれはまったくしらない。それらみんな小説や映画からえたただのマユツバだしったかぶり男だ。だが今回はコロンビアにしておく。便宜上だ。便宜上そうするといろいろなものがつながって合点がいく。なぜわざわざハンディカムで撮ったのか。それをわざわざVHSテープにダビングしてあるのか。それは個人で観るあるいは個人に観させるためだ。つまりこれは世界で起きている宗教戦争や紛争や対立でテロリストなどがネット上で主義や主張や恐怖を効率よく不特定多数に拡散させる目的じゃなくきわめて個人的な撮影でアシが特定されにくい誘拐身代金目的のための殺人VHSビデオ…     ゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅ…     きゅる。このビデオは本物の殺人ビデオだ。じっさいにあった殺人現場をうつしている。でもするとじゃあなぜまたなんの主張もイデオロギーもない至極個人的な特定のだれかにむけた誘拐の身代金目的の純粋たる恐怖しか映しださない殺人VHSビデオテープがこんな世界の裏側にまで流出しているのか…    その動機っていうのはいったい…    そんな疑問をいだきながらおれはまた殺人ビデオの再生ボタンを押しズボンをおろし熱った下腹の芯から擡げた竿をしごきはじめた。


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