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小説 | ならわし (⑤)

結局、夫の母からは欲しい回答を得られないまま、帰路についた。
謎は深まるばかりだ。夫の母はしきりに伝統を「受け入れる」ことを勧めてきた。

世の中にはたくさんの出産方法がある。今は、自分が望むバースプランを考えて出産に望めるよう力を入れている産院も多い。
分娩は畳の上でフリースタイルで、アロマを炊いて、曲を流して、夫に抱かれながら……。私だって、少しは意識していたところだ。それが急に、伝統だからと、怪しい産院に連れて行かれ、夫は睾丸のチェックまで受けた。事故は確実に起きているようだし、当日頭の上に立ちはだかる夫の姿を想像するだけで気分が悪くなる。
私は家に着くと倒れ込むようにソファーに横になった。仰向けになるにはお腹が重く、ゆっくりと体を横に向ける。すると子どもがお腹の中で元気に動く様子があった。最近はとくに動きが激しくなってきていて、私の中に存在する生命のたくましさに日々励まされている。

私はお腹を擦りながら、カレンダーに目をやった。予定日がだんだんと近づいてきていた。もう逃げようにも逃げられないのだ。冷静に考えれば、お産の方法にいつまでもこだわって、この大事な時期に家族と溝を作っていることは、なんのメリットもない。まして、そのことでストレスがかかってお腹の子供に悪い影響でも出たら大変だ。
頭の中で、先程の義母の言葉が蘇る。

「貴女、子どもを守りたいでしょう?」

そうだ、私はこの子を守りたい。例の出産方法に多少難はあるが、私とこの子にそれほど大きな負担がかかるとは思えない。

私は家族が欲しかった。ずっと落ち着く場所を求めていた。私がこれまでに掛けてもらえなかった愛情を誰かに注ぎ、誰かからも注がれてみたいという強い欲求がある。私が伝統に倣えば、きっと夫の家族は私を今よりもっと受け入れてくれるだろう。夫の父も母も、謎は多いが私に親切であることは間違いない。私は、誰かと家族になりたい。

心が決まれば、きっと穏やかに出産当日を迎えることができる。夫にも優しくできて、夫からも愛されるのだ。
私は段々と嬉しさがこみ上げてきた。お腹の膨らみがより一層愛おしく感じると同時に、今日一日の疲れから、急激な眠気に襲われ、いつしか目を閉じた。




つづく


#短編小説
全九話



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