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シロクマ文芸部 | 物書きジム

本を書く人々の間で人気のトレーニングジムがあった。それは神保町よりは九段下寄りの、寂しげな住宅街の中にある。
いかにも物書き風情が好みそうな、ボロアパートの一室を改造して作られたジムには、数人の男たちが出入りする様子が見られた。
「ああ、どうも」
「ああ……」
いかにも人付き合いが苦手そうな男二人が、ほとんど同時に入口のドアをくぐる。

「おたくは、えっと……」
「毒婦。、アンダーグラウンド、殺人犯はそこにいる」
「ああ、なるほど」
「そういうあんたは?」
「黒い家、ぼっけえきょうてい、よもつひらさか」
「はいはい。わかりやすい」
二人は、自分の好きな本を3冊あげるという、このジム流の自己紹介を済ませて、それぞれわかれた。

大きな鏡の前では、片手で腕立て伏せをする初老の男の姿があった。
「あれ、あの人ってもしかして」
「そうそう、『ナオミ賞』作家の久保田さん」
「ラララ・ラブゴング!あの作品、良かったよなあ」
「あの人が、あの見た目で恋愛小説を書くなんて、信じられないけどな」
「あれって、かなり書くのが大変だったって、なんかの雑誌のインタビューで見たよ。腱鞘炎に3回もなったらしい」
「だからさ。長く書き続けるために、あの人、ここのオールデー会員になって腕を鍛えてるんだよ」
「へえ、やっぱり売れてる人は違うな」
二人はうんうんと頷きながら、元気よく上下する久保田の男らしい腕を見ていた。

一方、二人の男たちから羨望の眼差しを向けられた遅咲き作家の久保田は、少しでも良いところを見せたくて、焦っていた。初老ということもあり、既に体力の限界だったが、ここでラストスパートをかけたかった。まるで、締切に向けて全ての力を使い果たす時のように、猛烈に腕立て伏せを加速させた。

「おお~」
ジムにいる全員が、久保田の腕立て伏せに釘付けになった。

しかし、その時。

突然、久保田が大きな悲鳴をあげてマットに突っ伏した。そして、バタバタとマットの上を暴れ回った。
「いてぇぇぇ!!」
手首を抑えて叫び続ける。
スタッフが駆け寄り、久保田の耳元で声をかける。
「大丈夫ですか?締切!」
「いででで……こ、今月末!」
久保田が叫ぶと、スタッフはすかさず大きな声で、フロア中の物書きたちに呼びかける。

「どなたか、今月末の締切までに、続きを書ける方はいませんか!」
フロアはざわつき、誰もがお互いを観察し合った。
あの人はノンフィクション、あの人はホラー。
一人一人が、それぞれの得意分野を思い出していた。

「失礼ですが、あなたは?」
奥でなりを潜めていた痩身の男に、スタッフが声をかけた。男は数秒、黙っていたが、ついに口を開いた。
「こころ、君の膵臓をたべたい、サヨナライツカ……」
「君に決まりだ」

ぱらぱらと拍手がおこった。
「たのんだぞ……」と久保田の弱々しい声がする。恋愛小説家志望の細身の男は、力無く頷いた。



[完]


#ショートショート
#シロクマ文芸部

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