(小説)桜源郷(十四)
(十四)葉桜の下で
既に夜の帳が降りて、雨も止んでいた。なのにまだ傘を差したまま、哲雄はサクラの木の下で、呆然と立ち尽くしていた。
サクラちゃんが消えた……。サクラちゃんて、もしかして幽霊?
それでも哲雄は、サクラのことがいとおしくてならなかった。
幽霊でもいい。ぼくはサクラちゃんが好きなんだ。
「サクラちゃん、何処に行ったの?お願いだから、もう一度ぼくの前に姿を見せて」
悲痛な呼びかけ。そしてしばし待ってみたけれど、サクラは現れそうにない。すっかり花を落としたサクラの木も、風が止んだ夜の中で沈黙を続けるばかり。空には星が瞬き、桜並木を照らす月光も眩しい。
哲雄は仕方なく、孤児院へと帰っていった。
次の日もまた次の日も、哲雄はサクラの木の下に通った。しかしサクラが姿を現すことはなかった。
「じゃ、しばらくってどの位?」
「一年位、かな」
サクラの言葉を思い出し、哲雄はため息を零した。
あーあ、一年かあ。長いなあ……。でも!
哲雄は思い直した。
一年もサクラちゃんと会えないのは、確かに寂しい。でも一年したら、また会える!一年なんてあっという間じゃないか。
絶望から希望へ。哲雄は一年後のサクラとの再会を楽しみに、ひたすら待つことにした。
春から夏へ、夏から秋へ、秋から冬へと季節は巡った。会えないと分かっていても、哲雄は毎日、葉っぱだけのサクラの木の下に通った。そこにいると何だか気持ちが落ち着いたし、まるでサクラと会っているような気持ちにもなれたからである。そんな哲雄をサクラの木の木漏れ陽が、キラキラと慰めるように照らした。
冬には柏尾川の桜並木に、雪が降り積もった。もうすぐ春。春になれば、サクラに会える。
その想いが哲雄に、冬の寒さすらも忘れさせるのだった。
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