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【連載小説】雨がくれた時間 10.意外な素顔

前回の話はこちら 第9章「二つの笑い声」
始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」

       10 意外な素顔

 改札を抜けると、雨のあとの少し湿気を含んだ風が前髪を揺らす。
 ホームの端に目をやると、線路の先を見つめてたたずむ澤村の姿があった。
「すっかり、やんだな」
 なにも言わず隣に立つと、澤村は線路の先を見つめたままそう話しかけてきた。
「ほんと。さっきまでの雨が嘘みたい」
「ああ」と頷く彼の首筋に小さな切り傷があるのが目に入る。
「どうしたの?」
「ん?」
「それ」
 きょとんとした顔でこちらを見ている彼の首筋を指さし、傷があることを告げる。
「ああ、これか。今朝、カミソリをうっかり滑らせた」
 澤村はそっけなくそう答えると、耳のすぐ下をまっすぐ走る一センチほどの傷を、人差し指でゆっくりとなぞった。
「あの人も、よくカミソリで切ってたわ」

「悟と一緒にするなよ。あいつはただの不器用だ」と言って澤村は笑う。
「そうね。確かにあの人は不器用だった」
 牛乳パックの口さえまともに開けられない、そんな人だった。
「今朝はうっかり寝過ごして、少し慌ててたからな」
「寝過ごすって、あなたが?」
 思いもよらぬ言葉が彼の口から出たことに驚いて、つい声が大きくなる。
 何事もきちんとしている澤村にとって“うっかり”とか“寝過ごす”という単語は、まったく縁がないものだと思っていた。
 実際、知り合ってから二十年は経っているが、彼が遅刻したところなんて仕事どころかプライベートですらも見たことはなかった。
「俺だって、寝坊することくらいあるさ」
 そう言って彼は、再び傷口をなぞる。
 そのしなやかな指の動きに、なぜか目が離せなかった。
「絆創膏くらい貼ったら?」
「大丈夫だ。これくらいの傷すぐ治る」
 澤村は、じっと見つめる私に気づく様子もなく、どこかうわの空だ。

「だめよ、そんなに触っちゃ」
「ああ」
 そんな答えを返してきたけれど、彼は相変わらず、心ここにあらずといった表情で傷口をなぞっている。
 まだ塞がっていない傷口に触れることへの心配と、どうしようもなく彼に惹きつけられてしまう自分への牽制とが入り混じった「触るな」という言葉に、効果はまるでないようだった。
「知り合いなのか?」
「え?」
 ふいにそう聞かれて、思わず間の抜けた声が出る。
「さっき話してただろ。若い駅員と」
「ああ、彼ね」
 傘のこと、そしてついさっきの駅舎でのやりとりを澤村へかいつまんで説明する。
「今どき、めずらしいやつだな」
「でしょ。まっすぐで、一生懸命で。ほんとに可愛い子だったわ」
「可愛い……ね……」

 澤村はそうつぶやくと唇を強く結んだ。それはなにか不満がある時によく見かける彼の癖だった。
「あ、もしかして妬いてる?」
「俺が誰に妬くっていうんだよ」
 わざとからかって言った私の顔を見もせずに、彼はぷいっとそっぽを向いてしまった。
「もう、からかっただけじゃない」
 背が高くガッシリとした見た目と、そんな子供じみた態度があまりにもかけ離れていて、笑いをこらえきれずに吹き出してしまう。
「いくらなんでも笑いすぎだろ」
「ごめん。でも、すねる仕草が健太とまるで同じなんだもの」
「すねてなんか……それに俺は、小学生じゃないぞ」
「そうね、ごめんなさい。からかって悪かったわ」
 口ではそう言ったものの、こみ上げる笑いをどうしても抑えられない。
 そんな私に呆れたのか、澤村は深いため息をつくと、しかめ面のまま空を仰いだ。

(続)


第11章『晴れていく迷い』はこちら






Twitterの診断メーカー『あなたに書いてほしい物語3』
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#書き出しと終わり  から

「雨が降っていた」ではじまり 、「私にも秘密くらいある」がどこかに入って、「あなたは幸せでしたか」で終わる物語を書いてほしいです。

というお題より。

もしかしたら「あなたは幸せでしたか」では終われないかもしれない物語です。

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