ハッピードリンクショップ

 ハッピードリンクショップ。車が優に三台くらいは停まれるだろうという広さの駐車場のような空き地に、自動販売機がいくつか並んでいる。その横には縦長の看板が道路に面して掲げられていて、そう書かれていた。ハッピードリンクショップ。紺色の地に、黄色の文字が配されていて、目立つ看板だが、内側から光っているわけではないので、あたりが暗いとそれなりに近づかないと文字を読むことはできない。以前ネットで調べたら、山梨と長野を中心としたエリアに展開されているという事業のブランド名だった。自動販売機がいくつか並んでいるだけなのだが、ショップ、という名前がついていると、それだけでなんとなく、ただの自動販売機コーナーとは違うような気がしてくるから不思議だ。東京では見たことがないし、こうして田舎を訪ねて来たときにしか見かけないのだが、運転していたり、歩いていたりしているときに見かけると、つい、声に出して読み上げたくなってしまう。ハッピードリンクショップ。その看板を見つけると、ふと、何年か前の夏のことを思い出すことがある。その年の夏、おれは夏休みを取って、父の生家の家に泊まっていた。二十年以上前のことになるが、子供の頃には年に数回は遊びに来ていた家だった。父の生家であり、まだ生きていた頃は祖父が暮らしていた家だったが、誰も来ないようになってからもう随分と経っていた。その年の初夏に、離れて暮らしている父から、たいした価値にはならないと思うが、その家を売却しようと思う、という連絡があった。売られてしまう前に数日滞在してみようと思い、実家に寄って鍵を借りて、一人で来た。到着した初日は、まずは寝室にする部屋をとにかく片付けた。一応、客用の部屋があったので、そこを寝室にすることにしたのだが、数年分の埃と汚れを落とすところから始めなければならなかったし、置かれていた寝具は湿り気を帯びていて、とても使う気になれなかったので、買い出しに街に出た時に、ファッションセンターしまむらで安売りされていた新品の夏物新具を買った。祖父が死んだ時に、あらかたの荷物は片付けたし、その後の数年くらいは、別荘のように家族で泊まりに来たりしていたこともあったし、何年か前までは、両親がふたりで来たりしていたこともあったので、荷物の多さに関してはそう酷くはなく、比較的、片付いてはいた。だが、誰も来なくなってからの数年の間に溜まった、年数を重ねた埃や汚れの掃除にはそれなりに骨が折れた。初日はとにかく寝るスペースを確保するのに手一杯で、水回りに関してはとりあえず使えるようにする、という程度だったが、その翌日にはキッチンや風呂やトイレを本格的に掃除して、これならしばらくは暮らせそうだな、というくらいには綺麗になった。ガスや電気や水道は、使いもしないのに基本料金を律儀な父親が払い続けていてくれたおかげで、そのまま使うことができた。三日目の朝になると、前日に買い込んできた食材で作った朝食をベランダで食べて優雅な朝を迎えられるくらいには生活が整った。一応、別荘地には該当しないのだが、ほとんど別荘地のような奥まったエリアに建っている家なので、近隣にはあまり家はないし、生い茂る木に囲まれて迎える朝は気持ちのよいものだった。朝の早い頃から湿度と気温が高くて過ごしにくい東京の夏が信じられないくらいの快適な気候で、夜寝る時ももちろんエアコンなんか使う必要がないし、そもそもエアコンはついてすらいなかった。どうせ売ってしまうのだから、べつにしなくてもよかったような気もするが、なんとなく手持ち無沙汰な気がして、かといって家の中の掃除には飽きてきていたので、三日目は、荒れ放題だった庭の手入れをして過ごした。草を刈り終わって、表の通りが見渡せるくらいになった夕方過ぎに、フェンス越しに女と目が合って、名前を呼ばれた。顔にも声にも覚えがなかったが、声をかけられた瞬間に、その女の存在をおぼろげにではあるが思い出したような気がした。わたしのこと、覚えてる? おれは曖昧に頷いて、手を振った。女は手に買い物袋をぶら下げていて、野菜が入っているのが見えた。よかったら、コーヒーでも。女の名前を思い出せないことをやや申し訳なく思いながら、そのことを償おうとするかのように、おれはそう声をかけて、庭に入ってきてもらい、テラスのテーブルの席を勧めた。ブラックで大丈夫? とコーヒーを淹れながら台所から声をかけると、女は振り返って頷いて、また庭の方を眺めた。女の存在そのものはすぐに思い出せたのだが、なんという名前でどういう関係だったのかはいまいち思い出せないままだったが、なんとかそれがバレないように相槌を打ちながら女の話をきいているうちに、死んだ祖父の友人の孫娘で、昔から祖父の家の近所に住んでいて、うちの家族が遊びに来た時にはよく一緒に遊んでいたが、メールも携帯もない時代だったし、訪れなくなってからは全く会わないし話さないようになって疎遠になってしまった、ということがわかった。女のおじいちゃんも数年前に亡くなったらしく、今は親とは別にそのおじいちゃんの家で一人で暮らしているのだと女は話した。何日か前から見慣れない品川ナンバーの車が停まっているのを前を通るたびに見ていたら、目が合って、それがおれだと確信したから声を掛けたらしい。女の実家は商店街がある方に建っているが、いま女が暮らしている家は、うちよりも少しだけ奥まったところに建っているので、散歩を兼ねた買い物の帰りに通るのだと言っていた。お互い一人で夕飯を食べる予定だったことがわかり、それだったら、とうちで一緒に食べることになった。女が持っていた野菜を炒めたり、おれが昨日買っておいた肉を焼いたりして、それらをやや洋風な味付けにしてワインと一緒に食べた。食材を切ったりするのは一緒にやったが、火入れや味付けは女が担当してくれた。田舎だからさ、料理くらいはちょっとお洒落な感じにしないと、やんなっちゃうから、色々。そう言いながら作ってくれた料理はワインにぴったりと合っていた。思いがけず楽しい夕飯になったことが、おれは素直に嬉しかった。お互いに酒が進むと、夕方にコーヒーを飲んでいた時には話さなかったようなことも話すようになり、それぞれの仕事の話に始まり、女は結婚を約束していた男と半年前に別れたことを話し、おれはここ一年くらいはもう全然彼女がいないということを話したりした。話しているうちに子供の頃のことも思い出してきて、夜に肝試しをしたこととか、庭で花火をしたこととかを懐かしく話した。フミコ。ふいに、おれは女の名前を思い出したが、それが本当に正しいかどうかの確証はなかったし、間違っていたら悪いと思って、声には出さなかった。女はワインの酔いで、頬がほんのり紅くなっていて、笑って目を細めた時の表情が艶っぽいとおれは思った。ワインのボトルが空になって、グラスの中に残ったワインをそれぞれで飲み終わる頃、女は席を立ってキッチンの方に歩きながら、散歩でもいく? と、思い出したように言った。酒の買い置きもあとはビールがひと缶あるだけだったし、酔い覚ましがてらちょうどいいね、と言っておれも席を立った。夜道を並んで歩いていると、ハッピードリンクショップの看板が目に入って、女は声に出してそれを読み上げた。ハッピードリンクショップ。昔からさ、なんか読みたくなっちゃうんだよね、あれ。さすがに一人のときは声には出さないけどね。二軒目に遭遇したハッピードリンクショップで女が選んだペットボトルのソーダを一本買った。財布は置いて来ていたが、どこかで買えたら酒を買おうと、おれは千円札を一枚だけポケットに入れてきていた。ソーダをふたりで回し飲みしながら歩いているうちに、どちらからともなく手を繋いだ。それは本当に自然な動作だった。そして、手を繋ぎながら、繋いだその手の感触から、その後におそらく起こるであろう一連の出来事が、酔った頭でも容易に予想できてしまったような気がした。甘い期待に胸が躍るのと同時に、なんだか予定調和的ですべて面倒に思えそうにもなったが、昔子供の頃に遊んでいた相手をこうして手を繋いで夜を歩いているということは、とはいえ悪いものではなかった。女がどういうつもりだったのかはわからないが、ひんやりと冷たい風が吹く夜の中では、互いの体温は貴重な温もりだった。気がつくと民家が全く無くなって畑だらけの道を歩いていて、道路の真ん中にふたりで寝そべった。信じられないくらいの量の星が見えて、おれはこれまでとこれからの自分の人生のことを考えながら、空を眺めた。思い出したようにぽつりぽつりと女が他愛もないことを話して、空を眺めたまま、それに相槌を打ったり返事をしたりしていたら、気温がさらに下がって来たような気がして、おれたちは身体を寄せ合って、星空の下で互いの目を三秒くらい見つめ合ってから、唇を重ねた。お風呂沸かしてくるね、一緒に入ろうよ。おれがコンドームの口を縛っていると、女はそう言って裸のままバスルームの方へと歩いて行った。星空の下で互いの体に触り合っていたら本格的に寒くなってきたので、女の家にふたりで帰って、それから、寝た。コンドームは女がタンスの引き出しから出してくれたので、それを使った。女が部屋から出て行ったあと、俺は使用済みのコンドームをティッシュに包んでゴミ箱に放り込んでから、女のベッドに横になって、枕に顔を埋めた。女のベッドはいい匂いがして、その香りをおれは鼻から吸い込んだ。翌朝、別れ際にfacebookで連絡先を交換した。女の名前はおれがおもっていた通りフミコだったので、おれはひとりでほっと胸を撫で下ろした。フミコのアカウント名はローマ字表記で、どういう漢字を書くのかはわからなかった。去年の暮れ、フミコが結婚の報告をfacebookにアップしているのを見た。おれはその投稿に超いいねを押しておいた。おれはいまだ独身のままだ。その夏、東京に帰ってから、何度かフミコから連絡が来たが、おれはなんとなく返事を返さないままだった。どうして連絡を返さなかったのかはいまでもよくわからないし、なぜフミコとあの夜寝たのかもよくわからない。フミコとはそれ以来、一度も会っていないので、あれが最初で最後のフミコとしたセックスだった。フミコとのセックスは、良くも悪くもなくて、どんなセックスだったのかはもう全く覚えていない。父の生家はその後すぐに土地ごと売られてしまって、いまはもう更地になっているらしい。おれは来年、三十五になる。

(2020/09/06/22:45)

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