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#ネタバレ 映画「街の灯」〈1931年〉

「街の灯」〈1931年〉
1931年作品
願い
2003/7/19 8:18 by 未登録ユーザ さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

ラストシーンのお話です。

何度観ても泣けて、しかも、当然にハッピーエンドだと思ってきた・・・でも本当にそうだったのだろうか。

誰かがこの映画のラストシーンを指して「映画史上に残る空前絶後のラストシーン」だと言っていた。同感である。だからそれを語るのは恐れ多いが、改めて少しだけ考えてみた。

別投稿でも触れたけれど、この映画は「見ること」を描いた作品だと思う。映画の冒頭の除幕式のシーン。幕がかかっているとき、集まった人々は期待しながら祝辞を聞いているが、幕が下りて、そこで寝ていたホームレスのチャップリンが現れると、いっせいにブーイングとなる。

それから大金持である泥酔者のエピソード。彼は泥酔するとチャップリンと意気投合し、大邸宅に客として親友として招き入れるが、翌朝になり酔いが醒めると「誰だこいつは」とばかり追い出すのである。

他にもまだあるかも知れないが、これらのエピソードは「見ること」について風刺したモチーフの一片である。

そして映画史上に残る名ラストがやってくる。目が見えるようになった花売り娘とチャップリンとの、劇的な再開となるのだ。これもまた同様にモチーフの一片であるはずだ。

そこには「あなたなの・・」と言ったきり絶句する花売り娘と、無邪気にはにかむチャップリンがいる。映画はそこで終わる。

前二つのモチーフの暗示するところで行けば、チャップリン達のこの恋は悲恋に終わる。彼女はチャップリンの外見を見てしまったからだ。

他の映画の中には、表面的にはハッピーエンドと見せかけて、実はそうではないう名作西部劇もあるぐらいだから、この映画「街の灯」がそのような作りになっていたとしても不思議ではない。もし、仮にそうだとしても、私はこの表現の上品さが好きである。

しかし、ここにはさらに奥があるのかもしれない。あのラストで花売り娘は、見知らぬただの浮浪者だと思ったチャップリンに、コインだけでなく「一輪の花」も差し出したのである。

この「一輪の花」には、実は監督であるチャップリンの願いが込められていたのではないだろうか。少なくとも私はそう思いたい。何の願いかは改めて語る必要もないだろう。

そういえば映画「フラッシュダンス」でも一輪の花がとても印象的だった。

追記 ( 恋は盲目  )
2007/10/10 17:11 by 未登録ユーザさくらんぼ

> 別投稿でも触れたけれど、この映画は「見ること」を描いた作品だと思う。

喫茶店でぼーっとしていたら、BGMの映画音楽に「街の灯」も流れてきました。

少し哀しい事も最近多いせいか、なんだか涙が滲んできた時、突然「街の灯」の主題が聴こえてきたのです。

恋は盲目

恋は自分の好き勝手なイメージを相手に投影して理想化し、夢見るような状態の事を言うのではなかったかと思います。でも、生身の相手の真実の姿を知ると、恋は冷めていくことが多いのです。

「街の灯」の盲目の娘は恋する乙女の象徴です。そして時が過ぎ、彼女の眼が開くのです。彼女は相手の真実の姿を観て、恋が冷めるのですね。

私の若い頃は、恋愛の気配を感じると、相手の女性をもてあそんではいけないと思い、恋愛の初期段階で、精一杯誠実に自分の等身大の姿を語りました。そして、それでも去らなかった女性のみを受け入れようと思ったのですが、去らなかった女性はおりません。

チャップリン先生の教訓は正しい様です。

追記Ⅱ ( 捨てられたチャップリンは・・・ ) 
2007/10/13 20:47 by 未登録ユーザさくらんぼ

> それから大金持である泥酔者のエピソード。彼は泥酔するとチャップリンと意気投合し、大邸宅に客として親友として招き入れるが、翌朝になり酔いが醒めると「誰だこいつは」とばかり追い出すのである。

映画音楽の類似を根拠に、映画「セント・オブ・ウーマン」はこの映画へのオマージュだと、あちらに書き込みましたが、再度「街の灯」を観てみたら、シーンにも関連が感じられました。

大金持ち(盲目のアルパチーノ役)が拳銃自殺をしようとしてチャップリン(学生)が止めるシーンがあります。二人で高級レストランへ出かけるシーンがあります。ダンスのシーンも。その後、大金持ちが酔っ払い(盲目)ながらクルマを運転するシーンもあります。映画「セント・オブ・ウーマン」を思い出すシーンの数々です。

ところで、「街の灯」のラストで、どうやらチャップリンは娘から捨てられるようなのですが、その後チャップリンはどうなるのでしょうか。諦めてまた浮浪者の生活に戻るのでしょうか。そのヒントを見つけました。

あの大金持ち、自殺騒ぎを起こした大金持ち、あの時は、恋の真っ只中で幸福感に酔った様になっていたチャップリンが励まし、助けるのですが、あの大金持ちの自殺の理由が、妻に逃げられた事によるものだった様なのです。ここに関連付けと、暗示が有ります。

娘に捨てられて、誰にも励まされなければ、チャップリンのその後も・・・。

「街の灯」はなんと言う悲劇なのでしょう。

追記Ⅲ ( テーブルランプ ) 
2015/3/29 10:32 by さくらんぼ

もの心つくと、わが家では裸電球が天井からぶら下がっていました。傘は白くて丸いお皿の様な形でした。

昔はどこも、そんなものです。

その後、その裸電球が裸蛍光灯になっただけで、現在まで続いています。

そんなわが家には、洒落た照明の文化などはありませんでした。

居間は蛍光灯の事務的な白い光が、部屋中まんべんなく照らしていますし、逆に自分の部屋はPCのディスプレイとUSBライトだけで、暗い。

調光機能のついた、目に優しい特殊白熱電球付の、武骨な読書ランプもありますが、最近、あまり使っていません。読書は喫茶店でしますので。

それが、だんだんと「癒しとしての灯り」が欲しいと思いだしたのでした。

そんな折、街を散歩中に、魅惑的な光を放つテーブルランプを見つけたのです。

私は何度も店の前を通ったのち、勇気を出して中に入ってみました。

それは筒状のランプシェードに西洋絵画が書いてある、とても個性的なものでした。のちにネット検索しても同製品は見つけられません。

そして、なにより安かった。

ランプって、高級品もありますが、安いものも多いのですね。気軽に衝動買いができる値段でした。

そうやって、生まれて初めて、わが家に入った、西洋文化の香り、テーブルランプ。

たそがれ時に、初めてそれを自室の闇の中で点燈した時の驚きと幸福感を、なんと表現しらよいのでしょうか。

まるで部屋の中に「愛の神が降臨した」感(おおげさな)がありました…

ランプには最初40Wの白熱電球が付いていましたが、眩しいくらいなので、紆余曲折津の結果、今は1.4Wの電飾用・電球色LED小型電球に交換してあります。読書には暗いですが、ぼんやりとした雰囲気があって、お酒や音楽鑑賞には最高です。

よく100万ドルの夜景とか言いますが、数千円のランプで、部屋の中にも100万ドルの幸福感を再現できるのですね。

中年のオジサンになって初めてそれを知りました。

知らなかった、この半生を悔やんでいます。

過ぎ去ってしまった愛の無い人生。

無知、無教養とは、とても残念で哀しいことなのですね。

今、映画「街の灯」の意味がやっと本当に解った気がしました。

盲目の少女にも、チャップリンの心から出る、愛と言う名の灯りが、その電球色の暖かい光りが、ハッキリと見えていたのです。

開眼するまでは。

追記Ⅳ ( 映画「きみの瞳(め)が問いかけている」 ) 
2020/11/13 9:18 by さくらんぼ

映画「きみの瞳(め)が問いかけている」は、映画「街の灯」をモチーフにした韓国映画「ただ君だけ」のリメイクのようです。

追記Ⅴ 2022.4.9 ( 花売り娘 )

チャップリンの実像に困惑した花売り娘は、(ここからは描かれていない)一旦は逃げ出しますが、やがて戻ってくる顛末のようです。このストーリーを感じ取った人たちが、映画「街の灯」モチーフとした作品を、映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」など複数作り、その中でラストを可視化しているようです。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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