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高齢者連れの旅で、おどろいたこと~!

4人の両親を、次々と介護、お看取りさせていただき卒業させていただきました。
途中、色々な経験させていただいたので、その体験がどなたかのお役に立てたら!と思って、投稿させていただきます。


義両親とは、結婚当初から同居でしたので、ここでは義両親とわかりやすく書きますが、自分の気持ちの中では「両親は4人」でした★
実家の両親よりも、同居年数も長いし、関わりも深いかも。
考えてみたら、不思議な縁ですよね。

ともあれ、義母の実家は秋田にあり。
ちょうど、義父が亡くなる1年半前に、義父の発案で「秋田に行こう」という事になりました。

「もう義母を実家に連れて行ってあげられなくなるかも?」という勘みたいなものが、義父にもあったのかもしれません。

で、家族皆で行こう~という事になり。
電車とか切符とか、レンタカーとかの予約をする事になりました。

夫が、引きこもってしまってからだったので、新幹線の切符の手配などは、わたしがやったのですけど。
その時、乗り換え時間などは、一応余裕もって取ったつもり、ではありました。

ところがですね~、東京発だったのかしらん?
当時、秋田新幹線の「こまち」と青森方面へ行く「はやて」って、連結してて一緒の電車だったのですね。
(ちなみに、今は違うみたいです。「はやぶさ」と連結することはあるのかも?)

乗り換えに、思いのほか時間がかかってしまい、東京駅のホームに着いた時には、もう出発時間がせまっていました。
乗る予定の「こまち」は前の方。
でも、ホームの横に停まってる新幹線は、後ろ車両の「はやて」。

途中までは同じなので、とりあえず乗ってしまえば、「こまち」の自分たちの座席までは中を通っていけば良いか~って、思っちゃったわけなのです。

ところが!
「はやて」と「こまち」って、先頭同士が連結してるのですね・・・。
先頭車両まで行くと、中からは、向こう側に行かれなかった!

でも、どこの駅の停車時間が長いのかわからないし。
そもそも、自分の感覚では、次の駅で降りて、隣の車両へ行けば大丈夫!と思うじゃないですか~?

で、次の「上野」駅で、車両を乗り換えようと一旦皆で降りたわけです。

ところが、新幹線の頭が長~い!!
もう行っても行っても、こまちに到着しないんですよ~!

あっという間に発車ベルが鳴り始めるし。
きゃ~!どうしよう~!?って感じに、皆で走りました!!

とりあえず、こまちのドアまで行って抑えてるから!って、杖ついて歩いてる義父、そろりそろりの義母を振り返ったら。

杖振り上げて、走ってました~!!

いや~、ビックリした~。
人間、その気になれば何とかなるんですねぇ~。
とりあえず、間に合って、全員乗り込むことが出来ました。


その後、義父母ともども、体調を崩すことも無く、無事に秋田へ行ってこれて、本当に良かったです。
この年に行ってなかったら、もう翌年には行かれなかったので、「行きたい」時が、「行き時」なのだと思いました。


この後、義父はぴんぴんころりで、突然亡くなり。
相続税などの手続きが終わった頃に、わたしのガンが発覚し、手術が終わって退院した翌月に、義母が転んで骨折して、義母の介護に突入しました。

でも、相続で発覚した土地トラブルが奇蹟的に解決して、今の家に引っ越した年に。
義母を連れて、また秋田に家族で行ってきました。
この時は、新幹線移動はもう無理かも?と思ったので、夫と私で運転して、途中で宿をとりつつの移動でした。

この時の義母は、認知症も進んできていましたが、まだ自力で歩けるし、会話もちゃんと出来て、一応自立できてる頃でした。

でも、義母の実家の近くに宿をとって、温泉に入ろうとした時に。
自力で洋服脱いでた義母でしたが、側にいた知らない方に、ああ~!って言われて。
見たら、リハパン脱いだ足元が、水びたしになってました。

道中のドライブインなどで、トイレ行く?と聞いても、わからない、と答えていた義母でした。
この時、はじめて「出ることがわからなくなっている」のだという事に気づきました。

我慢するとかしないとか、以前の問題もあったのですね。
水びたしになっていても、本人、気づかなかったんです。

認知症って、そんな部分もあるのですね。

前、近所に住んでいた友人の舅さんは、しもの認知症、だと言っていました。
排泄だけが、自分でわからない、コントロールができなくなっているのだそうです。それで、お風呂を汚してしまうのだと、言っていました。

本人は、気づけばどれだけショックなことでしょう。
責めても叱っても、しょうのない事なのです。


ありがたい事に、義母は、大きい方は感覚があるようで、そちらは大丈夫だったので、助かりました。

子どもたちが小さかったころ、トイレトレーニング中には、そんな事もありました。
漏らすのはしょうがないけど、大きい方を、部屋にてんてんと、落としものしてくれたり。
わざわざ脱いで、部屋で大やってくれたり、プールに入れたりしてくれたツワモノもいました★
(そういえば、あの子は「洗おうとおもったんだ」って言ったのよね・・笑、幼児の行動にも意味があるのか~と思ったのでした★)
いま、思えば、子どもは量が少ないので、たいした事ではなかったワケですけどね。


なんとなく、認知症になって、そういう排泄物の失敗をされる方を聞いてみると、とてもまじめで、立派だった方が多いような気がします。
もしかして、赤ちゃんの時に、たっぷり失敗しておいた方が、良いのかもしれないなぁ~と、よく思いました。

または、お世話する方も、子どもで耐性が付いている方が、そんなに苦労じゃなく過ごせるような気もします。


どちらにせよ、「今起こっている事がすべてではない」って思っていると、案外楽にスルー出来るように思うのです。
だって、今起こっている事は、絶対移り変わる事なのです。
永遠にこのまま、っていう事はないので。

特に老人介護には絶対「終わり」が来る時があって。
それは「さよなら」という終わりです。
義父のように、昨日まで元気だったのに、突然さよならが来る事もあります。
そしてそれって、老人だけじゃないのですよね。

なので、どこか「行きたい」時に行けるならば、行けば良いし。
やりたい事もやれば良いし、日々を毎日、大切に過ごしていきたいな、と介護を卒業させてもらって、思っているのでありました~。






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