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国語力の意味の選択肢を広げながら深掘りしてみた

私は国語に対する苦手意識はありませんでしたが、コミュニケーションの問題が起こる度に、自身の国語の能力の低さを呪うときがあります。

国語のコミュニケーションで関連性ががあるかと言うと微妙なところですが、ディベートの類も苦手ですし、理系出身にも関わらず「論理的」に話すことが苦手という致命的な弱点があります。

国語が得意か苦手かよりは、国語が何のために存在するのか。こちらの記事を読みながら考えてみました。

今回はそんな話です。国語と言えど扱うジャンルは幅広いので、どのような方向性で育てていくかもだいじかもしれません。


文章の理屈を理解すること

記事からの抜粋ですが、読書には「感想を考えるようにして読む」というスタイルと「理屈を考えるようにして読む」というスタイルがある。

物語(エッセイ)の類は読み手の感情がだいじです。読み終えた果てにどのような感想を持つのか、感情から来る面白いかつまらないかですね。

一方でミステリー(推理系)の類は読み手の論理的な理解がだいじになるので、伏線回収がきちんとされているかなど、論理(ロジック)の観点で面白いかつまらないかを判断することになります。

国語のテストなどはそうですが、基本的に文章中に答えは書いてあります。もしくはヒントが書いてある(ヒントから類推して答えを導出するなど)。要するに、出題者が求める答えを文章中から引き出せるかどうか。

そう考えると、国語の能力が一般社会で必要なことのように思えてきます。文章を読むことは避けようのないことなので。私たちが求められる「国語力」と言うのは文章の理解と簡潔な説明(提示)になるのでしょう。

感想を自分なりに表現すること

前にこんな記事を書いたことがありました。国語の力とは、自分の思考を言葉で自由自在に表現することに尽きます(引用)。

ここで言う「国語力」とは、感想を基準にした能力を指します。舞台はインターネットの世界ですが、自分の意見を前面に出したり、その場で議論も行うなど。

大学入試で登場する「小論文」は特にそうですが、文章の引用に留まらず、そこから自分の意見を理路整然と述べる必要があります。この辺は理屈を理解するだけでは成し得ません。

何を国語力として評価するか

高度な文章を理解して、相手が求められる答えを導出すること。自分の思考(感情)を整理して、自らの意見として述べること。

このふたつはいずれも「国語力」に相当することではありますが、方向性は別物だと思います。教育としての国語はおそらく前者に相当するでしょう。

どちらが正解ということではありません。時代背景や個人の立ち位置次第で正解は大きく変わるのです。

記事で書かれている「理屈のクイズ」という言葉が指す通り、教育(テスト)としての国語の見方はそうなのだと思います。今回はこの記事を読んだことで、自身の中で「国語力」の選択肢が増えたように感じました。

おわりに

今回は「国語力」は何かを考える良い契機でした。自身がこれまで考えていた「国語力」とはまた別の方面を知ることになりました。

自分は言葉を以て意見を表する力が「国語力」だと考えています。その力をこれからもブログを通して伸ばしていきたいです。

そして、自分の言葉を磨きながら、相手に刺さるような言葉の使い方も学んでいきたいです。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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