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ドクメンタ15 ありとあらゆる人のいみ


カッセルという街へ行ってきました。
ドクメンタを見るために。

と書いておいてすでに三度目。
前回までのお話はこちらです。 


1955年に始まったドクメンタ、およそ5年ごとに開催を続けて、今年でもう15回目となりました。戦後、瓦礫の山から復興を遂げたカッセルも、今では「ドクメンタの街」として世界中から観光客が訪れ愛される街となりました。

第一回目が開かれたころのカッセルとは比べものにならないほどに景色は変わり、広大な緑地と立ち並んだたくさんの木々が印象的で、街を訪れる人の多くが、自然と共に生きる緑豊かな土地、といった感想を持つことでしょう。

in Kassel 2022

しかし戦争で一度は焼け野原になったカッセル、放っておいたらいつの間にか木が生えていた、なんてことはありません。そこには、成すべきことを信じて成し遂げた人の姿がありました。

その人の名はヨーゼフ・ボイス。戦後ドイツを代表するアーティストです。

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1982年、カッセルの街では、第7回目のドクメンタが開催されていました。

初めのドクメンタから今日までメイン会場として使われている美術館前の広場に、なにやら大きな、そしてたくさんの石柱が山積みになっています。

これがボイスの作品「7000オークス」の最初のかたちです。

documenta 7 / 1982 © documenta Archiv 
documenta 7 / 1982 © documenta Archiv 


いったいなにがどうなってこうなったのか。
順を追ってみていってみましょう。

まずボイスは、1982年に行われたドクメンタ7へ参加するにあたって、「7000 オークス」つまり「7000本のオークの木」というタイトルの作品を出品することを決めます。

その作品内容は、カッセルの市街地に、その名の通り「7000本のオークの木を植える」というもので、その植えられたすべてのオークの木の根元にはカッセル近郊で採掘された玄武岩の石柱が立てられる予定でした。つまり、7000本のオークの木と7000本の玄武岩の石柱、この玄武岩の一時的な仮置き場として指定されたのが、ドクメンタ会場前の広場でした。


木を植える。美術展で。
しかも7000本、て本気でしょうか。


当時、ボイスはそれまでの数多くの奇抜なアイデアと芸術的パフォーマンスによってアートシーンに衝撃を与え、すでにその名を美術史に刻んだ世界的に有名なアーティストでした。そして、この「7000オークス」はそんなボイスの最晩年の、また最大級のプロジェクトです。語るにはあまりにも幅広く多岐にわたった彼の仕事は晩年に、ひとつの独自の芸術的概念に集約されていくこととなります。


それがボイスの「社会彫刻」と呼ばれる考え方です。


言い換えるならばそれは、
「あらゆる人間は皆アーティストである」という彼の言葉で表せます。


さて。

「人間」とは、私たち皆、だとして、それでは「アーティスト」とは、いったいなんでしょう。いわゆる、芸術家、というものなのでしょうけれど。
実際、私たちは皆、芸術家なのでしょうか。

ボイスは言います。

そうだ、と。


あらゆる人間は、自らの創造性をもって社会の幸福に貢献し、それによって社会を彫刻しうる

Joseph Beuys


芸術家、とは、いわゆる絵を描いたり、詩を書いたりする人たちのことではないのでしょうか。

ボイスは言います。

誰もが人間は、創造性という能力を持ち、自分で自らを定義することができる存在であり、この時代における絶対的な主権者である。ゴミ収集人であろうと、看護師であろうと、医者であろうと、エンジニアであろうと、農家であろうと、どこだっていい、その創造性を発揮する場において、人は誰もがアーティストなのだ

Joseph Beuys



かつて芸術家は、水や油と顔料を混ぜ、紙や布地にそれを塗ったり、もしくは大理石の塊や大木をノミで削ったり、はたまた音や声や文字を使って、それを観たり聴いたりした人の心の共感を得ることができました。

彼らは、彼らが想像するものを創造することができました。つまり、ある媒体を通じて、なんらかのビジョンや世界観を具体的にまたは抽象的に、他者と共有可能にすることができました。

顔料や油や布地は、画家にとって芸術制作のための材料「メディウム」と呼ばれ、それは大理石や声や文字や身体でも同じです。美術の世界において、メディウムとは、表現者が表現を行う媒体のことを指します。

「メディウム」という語の複数形は「メディア」ですが、つまりボイスは、社会を大きな彫刻的メディアとして捉え、あらゆる人間は自らの創造性をもってそれぞれの立場からより良いかたちへ社会を作り変えることができる、その意味において、すべての人間はアーティストである、と言っているのです。


そして、さらにボイスは続けます。

人間の持つ創造力のみが、唯一この世界を良い方向へ変えることができる。つまり芸術、それこそが世界を変える唯一の可能性なのである

Joseph Beuys



少なくともボイスが「社会彫刻」を語ったその当時、この考え方をすんなり受け入れられた人はそれほど多くはありませんでした。

大方の反応としては、「あぁ、どうやらこいつの頭はおかしいぞ」といった具合です。


ボイスはその常軌を逸した発言と行動によって、時代の寵児ちょうじとなりますが、ほとんどのマスコミからペテン師呼ばわりされ、いわれのない誹謗中傷にさらされ、また時には具体的な脅迫や直接的暴行を受けています。

ボイスがアーティストとして、7000本のオークの木を植える、と言ったとき、時代はまだ環境問題や持続可能性などについての議論が一般的ではなく、また植林が芸術という意味もほとんど誰にも理解されず、実際にカッセルの地域住民の間では大きな反対運動が起きています。その理由は主に、落ち葉の管理や鳥の糞が増える、といった内容でした。

他にも市街地の地下には配管の問題があり、またすでに多くの街路がアスファルトで舗装されていたこともあって、ボイスと協議を重ねていたカッセル市は「市街地ではなく、幹線道路などの新しく敷かれる道の脇に木を植えてはどうか」という妥協案を提案します。

しかしボイスはそれを突っぱねます。それでは意味がないのです。

ボイスにとって芸術とは、ただこぎれいなものを体よく並べて、遠くから眺めて済ませるようなものではありませんでした。

そしてボイスは実践します。
まず友人知人や教え子たちに声をかけ、7000オークスのプロジェクトのための資金運用、行政提携、植林実行の三部門からなる運営機関を設立し、世界中の芸術財団、個人、企業、団体に寄付を呼びかけました。また多くの国で展覧会やパフォーマンスを行い、作品を売却し、宣伝活動をしてまわります。また同時代の名だたる芸術家たちからの理解を得て、作品を寄贈してもらいオークションも行いました。
日本でも講演会を行ったり、ニッカウィスキーのCMに出演したりもしています。

Joseph Beuys © Stiftung 7000 Eichen


一本また一本とカッセルの街に樹木が増えていくにつれ、同じ分だけ美術館前の石柱の山は小さくなっていきました。


7000 Eichen © Stiftung 7000 Eichen
7000 Eichen © Stiftung 7000 Eichen


そしてさらに街中に植えられたオークの木が目に見えて増えていくと、カッセルの住民たちの反対運動は収まっていきます。それどころか住人達や役場から、どこに木を植えたらいいか、という提案を受け、協議をし、運営と市政が協働しながら、プロジェクトは進んでいきます。

before / 7000 Eichen © Stiftung 7000 Eichen
after / 7000 Eichen © Stiftung 7000 Eichen



ボイスは最後の最後まで7000オークスの制作に尽力しますが、残念ながら1986年、病気でこの世を去っています。しかし7000オークス・プロジェクトの始まりから5年後の1987年、ドクメンタ8が開催される中で、7000本目のオークの木が、ボイスの息子の手によって植えられました。


Joseph Beuys © Stiftung 7000 Eichen


数多くの人の協力と5年の月日、それに現在の価値で約6億円ほどの製作費がかけられた作品「7000オークス」は1987年、カッセル市に寄贈されました。

それはとても大きな価値ある遺産であると同時に、受け継がれていくべき責任でもあります。「7000オークス」は、変化を内包し、成長し続ける有機的な作品として、カッセルの街の人々の生活の中に、視覚的に、生態的に、社会的に組み入れられます。

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「7000オークス」によって、今では、カッセルは世界に先駆けた歴史ある環境都市として、国際的に大きな注目を集めています。しかし「7000オークス」の木と石は、単なる環境的配慮ある都市計画としての意味があるだけではありません。

「7000オークス」は、カッセルの土地が一度は徹底的に破壊され、たくさんの人が死んだこと、そしてそれを受け止め決して忘れず、人の創造性と行動によって復興を成し遂げたこと、そして土地に生きる人たちによって現在進行形でその行為が営まれ続けていることを示しています。

ボイスが生み出した作品は、土地に託され根を張りました。

ドクメンタを訪れる人の多くは5年ごとにこの街を再訪します。長い年月をかけて大きく育ったオークの木と、まるでその成長を見守るようにして、傍らに佇む玄武岩を見るたびに、時と記憶の流れのずれに小さく驚き、また新たな気持ちでこれまでとこれからのことを想います。


© Stiftung 7000 Eichen



ボイスは、人と環境を交差させ、時間を超える作品「7000オークス」をもって、カッセルの街に輪郭を持たない巨大な社会彫刻を作り上げました。

敗戦後、自分の国が東と西に分断され、世界が割れた時代を生きたヨーゼフ・ボイスは、東の先から西の果てまでが大きくひとつにつながる広大なビジョンを持っていました。それはユーロからアジアまで(Euro + Asia = Eurasia)を意味するユーラシア構想と呼ばれ、街どころではない、大陸的な社会彫刻と言えるような壮大なユートピア思想でした。

ボイスがカッセルにオークの木を植え始めてから、今年で早くも40年が経ち、15回目となった今年のドクメンタのディレクターは、史上初のアジア地域出身であることが注目されます。

芸術の名において、世界の東や西を問わず、国を超えた新しい時代における共有可能な未来のビジョンを提示することは果たして可能なのでしょうか。



つづく



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