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【体験談】うつで休職→退職 僕の休養期間を淡々と…

「もう無理だ」

2022年8月。
僕の心が限界を迎えた。

鬱っぽさを抱えながら一年近く仕事を頑張り続けたが、
この年の夏休みを利用して心療内科を受診した。

診断名は適応障害。

医師からは、休職するか、
薬を飲みながら働いて様子を見るかを問われたが、
僕は休職することを選んだ。

ただただ休みたかった。
いや、本音は仕事を辞めたかった。

夏休み中に上司に連絡を取り、
心療内科を受診したこと、診断結果、
そして休職することを伝えた。

上司からは優しい言葉をかけられた記憶はあるが、
突然の報告で休職することへの罪悪感、今後の不安、
メンタルダウンした自分を責める思考で頭がいっぱいで、
どういう話をしたのかもよく覚えていない。

上司に対して
「申し訳ありません、申し訳ありません」
ずっと謝っていた。

休職すると上司に報告したが、この時点で
職場復帰せず退職するつもりだった。

中小企業のため就業規則で認められている休職期間が3か月と短く、
鬱から職場復帰したところで気を遣われるのも嫌だったし、
同じ業務をこなせる自信もなかった。

「終わったな」
人生を諦めるような思考もあったが、
「でも、もうあの職場で仕事をしなくて済む」
と安堵したのが僕の本音だった。

こうして長い長い”僕の働けない日々”は始まった…。


休職から傷病手当金を受給しながらの生活。
心療内科へ行くまでは傷病手当金という言葉すら知らなかったし、
まさか退職後も受給できるとは知る由もなかった。

収入は減るものの、この制度があったからこそ、
今もこうして生活できているし、何より僕の罪悪感を和らげてくれた。

症状としては不眠、無気力、食欲低下、抑うつ状態。
気力はないものの、日常生活は何とかできるレベル。

休職してからは、娘たちの学校の送迎や家事をこなした。

働いていないという罪悪感から、
家事や送迎をこなすことくらいでしか貢献できない、
自分には存在価値はない、と考えていた。

妻がパート、娘たちが学校へ行っている間
自宅にひとりでいる時間が辛かった。

どうして自分はこんなに弱いんだろう?
どうしていつも自分は頑張れないんだろう?
夫として父親としての責任も果たせずに何をやっているんだろう?

罪悪感、後悔、悔しさ。

ずっとずっと自分を責め続けた。
責めて責めて責め続けた。

そして、毎日ひとりで泣いた。
45歳の男がひとりで涙をぼろぼろ流しながら泣いていた。

夜は夜で寝ようと思って布団に入っても、
過去の後悔、未来の不安を考え続け、
何時間も寝付けないことが多かった。

診断の時に薬を処方されていたが、
飲んだのは、本当に辛く苦しかった時に2回だけ。

風邪や体調不良の時でも薬を飲み続けるのに抵抗があったし、
鬱の薬は依存性があるというのをどこかで見ていたので、
薬にはなるべく頼りたくなかった。

休職してすぐに、転職活動をしようとした。
診断を受けたときは休みたいと思ったのに、
いざ、休んでいると働いていない自分が許せなかった。
「働いていない自分には価値がない」
罪悪感しかなかった。

仕事を退職して無職になる焦りもあった。

結局、転職活動は妻に止められた。
確かにその時はまだ転職できるような精神状態ではなかった。

もし転職できていたとしても、
新しい環境に耐えられず、すぐに辞めていたと思う。

この時に止めてくれた妻には感謝している。


休み始めてしばらくは、何もする気にならず、
ひたすら横になっている時間が多かった。

少ししてから、
引き寄せなどスピリチュアルにも興味を持った。
休み始めてからは、お金の不安を考える毎日だったし、
お金さえ引き寄せられれば、と考えていた。
Youtubeや本で引き寄せやスピリチュアル系の動画ばかり観ていた。
人生に絶望感しかなかった僕は何かに縋りたかったのだろう。


本や動画で鬱のことも調べた。

自分がどうしてメンタルダウンしたのか気になった。

鬱は脳が大きく関与していることを知った。

脳科学の本などを読み始めた時、
しばらく連絡をとっていなかった高校時代の友人から連絡があった。
自分の状況を知って連絡してくれて、一緒にドライブに行った。

その友人は脳科学系のコーチングを始めたところだった。

後日その友人の無料セッションを受けたが、
本格的にコーチングを受けるには高額なお金を払う必要があった。

お金の不安を抱える当時の僕には、
そのお金を払ってまでコーチングを受ける勇気はなかった。


仕事をしていないのに、症状は悪化していた。


そして2022年10月末で仕事を退職した。


傷病手当金は退職後も受給開始から1年6か月は受給できる。

この間になんとか一人で収入を得られないかと考えていた。

自分に向いているとは思えない工場での勤務を約25年。
今回のメンタルダウンしたことのうしろめたさ、
もう工場で働きたくない思い、
何より人と関わりたくないという思いがあった。

やりたいことをやった方がいい、
というのはわかっているけど、

「自分のやりたいことがわからない。」

今まで家族のため、生活のため、お金のために働き続け、
これといった趣味もなかった僕は
自分がやりたいことが何なのかすらわからなかった。

学生時代からサッカーが好きだったので、
とりあえず、サッカーのブログを始めた。

ブログを始めた時期がカタールW杯直前だったこともあり、
夢中でブログを投稿した。

夢中になることで、不安や後悔を考えないようにしていた。

ブログを始めて最初のうちは楽しめていたが、
数か月もすると義務感で投稿するようになり、焦りも出てきた。

ブログで収入を得られるのか?

疑い始めた頃に、再びコーチングをしている友人と会った。

「このネガティブ思考な自分のマインドを変えよう!」

脳科学のコーチングをしっかり受けて、
お金を支払ってコーチングを受ける決断をした。

コーチングはだいたい2週間に1回。
ほぼひきこもり状態で、
家族以外の誰とも会わない日々を過ごしてい僕にとって、
その友人と定期的に会うことも楽しみだった。

脳科学をベースにしたコーチングは
それまでの僕の常識からしたら、
信じられないものばかりだった。

コーチングを受けて、良かった。

ワークをやったり、自分と向き合い、
過去の記憶から思いこみに気づくことができた。

自分と向き合う以外の時間は、
毎日散歩に行ったり、温泉に行ったり、
日々気分良く過ごすことを意識した。

休職開始当初は、平日の昼間に散歩に行くのにも
近所の人の目を気にしていたが、気にならなくなった。

コーチングを受ける前は、
何でも人のせい、環境のせいにしていた。

以前は家族のイライラにもすぐ反応してケンカばかりしていたが、
家族とイライラのぶつけ合いをすることがほとんどなくなった。

他責思考をしない。
すべての出来事は自分の意識が起こしている。
という思考のおかげだ。

たまにイライラすることもあるが、
僕が家族に対して怒鳴ったりすることはなくなった。


ただ、コーチングを受けても、
人生が劇的に好転したわけではなかった。

お金を払ってコーチングを受けることで、
「コーチになんとかしてもらえるだろう」
という受け身で依存的な思考があった。

そして、
「自分にはできない」という思考もなかなか変えることができず、
主体的に取り組めなかった。

何かを解決するには
「コーチングを受ければ解決してもらえる」
という考えだと解決しない。

「コーチにサポートしてもらって、自分で解決するんだ!」
という主体的な意識が足りなかった。

コーチングを受けたのに、解決できていない部分も多い。

自分を過小評価し、自分を責める思考もまだ残っているのが、
今後の課題!

思いこみに気づくのも、マインドを変えるのも
これからも一生続くもの。
自分と向き合い、解決していく。


2024年2月末、休職開始から1年6か月経過。
傷病手当金の受給期間が満了の日を迎えた。

傷病手当金を受給することに甘えて、
次の収入を得るための行動を躊躇った感があるのも事実だ。

通院して傷病手当金の書類を書いてもらっている時点で、
鬱で無職というセルフイメージをさらに強固なものにしてしまっていた。

経済的な不安も残る中で、今後の活動をどこまでやれるか。

なかなか行動できない自分もいるが、まだまだこれから!


最後までお読みいただきありがとうございました。

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