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背に生えた刃 3-2

 問い返す言葉も出なかった。自分が受けているのは「友人がレズビアン」という単純な衝撃だと思ったのだろう、彼女は続けた。
「三年くらい前、言われたの。女同士で付き合ってるって。わたし、やめなよって言ったんだけど、すっかりはまっちゃってて、聞く耳持たずで」彼女はそう言いながら、大袈裟にしかめた顔の前で手を振った。
「ほら、あの子美人だけど、これまでひとりかふたりくらいしか彼氏がいたことないし、恋愛経験少ない子だったじゃない?ただでさえ恋に慣れてないのに、相手の女の人がどうやら魔性タイプの人で、うまいこと乗せられて、深みにはまっちゃってるみたい。なかなか別れないから心配なんだよね・・・」
 彼女は眉をひそめて、自分の方へすこし身を乗り出していた。
 自分の顔はひきつっていないだろうか、上手く笑えているだろうか、それだけが心配になった。いや、その前に今は笑顔でいるべきところなのだろうか。様々な葛藤が頭をよぎるが、彼女は自分の逡巡には気づいていないようで話し続けている。
 そこで、ふと思った。彼女は気づいていないのか、それとも、その目に自分の顔は映っていないのか。

「そ、そうなんだ、びっくりした、何の話かと思った」
「だよね、びっくりするよね」
「まあ、セクシャルマイノリティって、人口の一割前後いるっていうからね。身近にいてもおかしくないかなって、最近思うよ」
 出来る限り他人事に聞こえるように、興味なさげに言った。
 そうだ、これは他人事なのだと自分に言い聞かせながらも、自分はもう、今後何があっても、彼女にだけは絶対に自分自身を打ち明けられない、その事実に手が震え始めた。
「それはゲイの話でしょ?レズビアンはゲイより少ないって聞いたことある」
 彼女はさらりと言った。何を根拠に、と口をつきかけたが、必死で止めた。たまにいるのだ。女性は子供を産みたいから、最終的には性志向よりも母性本能が勝つのだとのたまう輩が。
「わたしも、女同士のカップルなんて身近にいたの初めてだから、最初はどう受け止めていいかわからなくて。でも、考えてみたらやっぱり変だなって思ったの。もう三十路も過ぎたんだから、そろそろ現実見ないと、あの子、間に合わなくなっちゃう」

「でもさ、考えてみたら、三年前に付き合い始めて、未だに付き合ってるって、長くない?結構、順調な付き合いなんじゃないかなぁ」
 しどろもどろになりながら、なんとかそれだけは言うことができた。そんな問題ではないような気もしたが、真っ先に浮かんだ本心でもあった。三年も続く彼女がいるなんて、正直羨ましいくらいだ。
「いくら順調って言ったって、所詮、女同士だよ?将来ないよ」彼女はまた、顔の前で手を振った。
「でも、実際に添い遂げるカップルだって多いし・・・」
「相手の女の人も、バイセクシャルなんだって。そのうち、金持ちのいい男見つけたら、あの子のことなんてあっさり捨てちゃいそうな気がする。だって、男でも女でもいいなら、男と付き合った方が絶対に安定じゃない?女である時点で、男と競ったらあの子が圧倒的に不利だよ」
 切り捨てるように彼女が言った。

 聞き覚えのある言葉だった。世間が、そしてごくたまにレズビアンの一部が、バイセクシャルに対して投げつける言葉だ。良くも悪くも自分はすでに言われ慣れているから、その言葉には弱いながらも免疫を持つが、あの友人はどうだったのだろう。まして、それが学生時代からの心許せる友人に決死の思いでカミングアウトした後の言葉なら。
「安定っていうのは・・・お金?」おそるおそる聞いてみた。
「そうだね、結局今の日本じゃ収入面では絶対、将来的に男性の方が上だし。それに何より、男とじゃないと子供が出来ないじゃない。そっちの方が余程重要」
 彼女を見た。彼女はいつのまにか自分から離れ、斜め下の足元を見ていた。スカートの裾をめくり上げては直している。
 そこで思い出した。これは、反論されたくないときの彼女の癖だ。
 はっとした。違う。彼女は傷つけたいのではない。否定したいのではない。そうではなく、ただ、自分を守りたいのだ。自分を支えているものを。我が子を見送った辛い記憶すら、乗り越えようと自分を奮い立たせるものを。さらりと垂らした髪の向こうに、透けて見える彼女の表情を見つめた。その顔は強張っていた。

「あの子だって、元々は男の人が好きだったんだよ。今は、相手の女の魔性の気に引き込まれちゃってるだけで、バイセクシャルかどうかも怪しいくらい。もしバイセクシャルだったとしても、男でも女でもいいなら、男と付き合って結婚するべきだよ。わざわざ茨の道を行く必要なんてない。世の中のバイセクシャルのほとんどが、冷静にそう考えて現実的に異性と結婚してるはずだよ。女に産まれた以上、男と結婚して子供を産む、それが幸せの基本だと思う。そうでしょ?」彼女が細く息を吸いこむ音が聞こえた。「ねえ、つばさも、そう思うでしょ?」

 毒々しいほどの赤いマニキュアで綺麗に塗られた爪を揉みほぐしながら、斜め下を向いたまま、彼女は一気に言い終えた。それはある意味正解だっただろう。顔をあげたら、彼女はきっと更に新たな傷を負うことになったはずだった。
 自分が上手く笑えていないことは、鏡を見なくても明らかだった。

(つづく)

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