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いわゆる「文系大学院」に進学します②

はじめに

みなさん、こんにちは(もしくはこんばんは)!
朝生会のゆーです。

超個人的なニュースですが、
わたくしゆーは、先日卒業式を迎えました(パチパチパチ)!
当日は、数年ぶりにスーツに身を包み、
大学の友人と大学生として最後の時間をともに過ごしました。

いやー、まさか大学生じゃなくなる日が来るだなんて、信じられないですね、、、
2020年4月に入学した私の大学生活は、新型コロナウイルスという未知なるウイルスの流行から始まり、約2年間、ほとんどキャンパスに行くことなく過ぎてしまいました。

つまり、実質的に大学に行くことができたのは、2年ほどでした。しかも、その2年のうち、10ヶ月ほどはアメリカ留学に行っていたため、実質的に大学にいれたのは1年ちょっとという、、、
ちなみに、私の留学について、ケーシーさんは記事を書いてくれていたみたいです。この「友人」とはわたくしゆーのことです。

そんな波乱万丈な大学生活を終え、
先日お話した通り、ゆーは4月からは大学院生として、関西で生活を始めます。

そこで、今回は、先日に続き、
「文系大学院に進学する」
というテーマで、この回を進めていければと思います。



私が「文系大学院」に進学する理由②…?


あれ、「文系大学院」に進学する理由①がないよねと感じられた方のために、前回の投稿を簡単に振り返ろうと思います。
気になる方はぜひチェックしてみてくださいね(というより、シリーズものとして読まないと分かりづらい要素もあるかと思うので)!

第一の理由は、
自分自身が大学生活のなかでマッチングしそうな就職先をイメージすることができなかった、
そこで、進学すれば、少なくとも2年間は自分が好きな勉強に専念でき、その間に、博士課程(=研究者への道)に行きたいのか、就職したいのかを、改めて考えることができるのではないか、と考えるようになった。
からです(長い!)。
要するに、就職ではなく研究の道を選択したということですね。

おまたせしました。それでは、二つ目の理由も教えちゃいましょう。
その前に、前回の投稿で私が述べたことをおさらいしておきましょう。

それにしても、こんなこと(引用者注:上記の理由①)就活生に言ったら「先輩、世の中舐めてるのちゃいますか」って言われちゃいそうですが(笑)。

「いわゆる『文系大学院』に進学します」https://note.com/asanama0701/n/na56f4c1ef28b

こんなことを言っているわけですから、
今回は「奇抜」で「良い」理由を挙げる必要があるのです。
まあ、そんな前置きは一旦忘れて(唐突!)、正直に第二の理由を述べたいと思います。

第二の理由は、知的生産者の端くれとして、学術的な力で少しでも世の中の役に立ちたいと考えたからです。

余談ですが、「消費者」としてではなく、情報の「生産者」側になる方法について書かれている、以下の書籍とかは有名ですよねー。ゆーはまだ読んだことはないですが(笑)

もちろん、労働が「知的生産」できないと言いたいわけではありません。むしろ、労働者たちが世の中のモノを生産、開発し、発展させてきたといえるでしょう。
私はそれでも、学問の力も、知的生産に大きく寄与できると考えています。
なぜなら、人びとが世の中を冷静に分析し、目先の利益にしがみついたり、その場しのぎの考えを提供するのではなく、一歩先を見据えて考えることができるようになるのは、学問に携わる者、すなわち研究者がいたから、です。

無論、学問の力を過信したり鵜呑みにしてしまうのは危険だと思います。「科学」や「正義」の名の下、学問が利用された結果、最悪の場合、大量虐殺を招いたことだってあります。
先日公開された『オッペンハイマー』は、そのような視座を私たちに与えてくれます。

ただ、私は、今こそ、学問による知的生産が必要だと思うのです。
日常的に陰謀論が飛び交い、ポスト真実が当然のように受容される。さらにはメディア出演がメインで論文を書かない一部タレント「学者」がちやほやされる。いまだに差別や格差、紛争がなくならないどころか酷くなり、生態系の破壊や環境破壊といった地球上の危機を迎えている。

理系とは違い、「科学」や「テクノロジー」を持ち出して人びとに貢献できなくとも、人びとの実践や言葉を理解し、「非効率的」で「無駄」に思えるようなことを簡単に切り捨てることなく、その意味について考えることができるのは、文系が持つような力も必要ではないでしょうか。

たかが、いち大学院生が、世の中を学問の力で変えたいだなんて聞くと、なんとなく非現実的に思えてしまうのも理解できます。
ただ、私は、そう感じた人とともに、手を取り合い、助け合うことが、真の知的生産を生み出す。
そのような進路選択こそが、文系大学院に進学する理由なのです。

「第二の理由」を深堀りしてみる

ここまでは、私が文系大学院に進学する理由について述べてきました。
これだけ聞くと、もしかしたら「すごい!」「かっこいい!」「頭いい!」
と考えた方もいらっしゃるかもしれません。

しかしながら、理想論ばかり語っていてもいけません。
実際に社会において、どのような人材が大学院に求められているか、知る必要があります。

皆さんは、「STEM人材」という単語を聞いたことはありますでしょうか。おそらく、100人のうち、15人くらいはご存知なのではないかと思います。
最近よく話題になっていたりもします。

そもそもSTEMとは、
「科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)の4つの教育分野を総称した言葉」
を指します。
最近では、小・中学校の段階から、プログラミングやロボットについて学ぶ機会もあるそうですが(私は学べませんでした、羨ましい!)、
それらを、社会における様々な課題を解決するための実践として活用することが求められているそうです。

まあ、AIとかプログラミングに精通した人材が企業側、さらには国に求められている現状をみると、この流れは納得がいきますよね。
それに伴い、「STEM分野」に携わる研究者も求められているそうです。つまり、言い換えれば、社会で有用なスキルを兼ね備えた即戦力となりうる研究者を、社会は要請しているといえます。

ただ、私が危惧しているのは、
文系科目が、厳密にいえば人文社会系の分野が軽視され、ますます(意図的に)衰退していってしまうのではないか、という点です。
確かに、世間一般的にいわれるのは、「文系の大学院に進学しても意味ない」という意見です。
某インフルエンサーによれば、「文系大学院は会社で役に立つことをあまり教えてくれない」とのことです(辛辣!)。

以前も書いたかもしれませんが、私が文系大学院に進学することを話すと、
十中八九次のような質問をされます。
「文系の大学院って就活で役に立つんですか」「それってあなたにとってどう役に立ちますか

ここで共通するのは、「役に立つ」という尺度です。
今回のテーマを議論するにあたって、非常に参考になる記事があったので、少々長文ですがそのまま引用します。

「大学院に進学するメリットはなかったと思います。就活でそれがプラスに働いたことはありません」

 都内の不動産会社に勤める男性(28)はこう話す。男性は社会学部在学中に1年間アイルランドに留学。そこで出会った勉強熱心な学生に感化され、社会学研究の修士課程に進学した。就活ではその学びを生かせる調査会社などの面接も受けたが、地域のコミュニティーづくりにかかわりたいという考えから、不動産業界に身を置いた。

「大学院では海外での共同研究や学会発表などを通じて、文書作成やプレゼンテーションの能力が身についたと思います。しかし面接で、大学院の話はほとんど聞かれませんでした。給与も学部卒と変わらないし、会社は大学院卒にあまり価値を感じていないのだと思います。そう考えると、もったいない2年間でした」

「文系の『大学院卒』が日本だけ圧倒的に少ないのはなぜ? 大学院進学率の高い大学ランキング」https://dot.asahi.com/articles/-/62474?page=1

この男性は、おそらく私のような動機で大学院に進学し、「社会学研究」を進めたのでしょう。
ただ、彼は言い切ります。「大学院に進学するメリットはなかった」と。つまり、「役に立つ」ことはないと言い換えることができます。

皆さんは、この文章を読み、どのようなことを感じたでしょうか。
「役に立つ」とは何を指しているのでしょうか。

本当は、この「役に立つ」に関する議論を展開したいところですが、
紙幅の関係上(?)ここまでにします。

この続きは、別の回でお話できればと思います!

まとめ…?

今回は、文系大学院に進学する理由からはじまり、
ではそもそも「文系大学院」って何のためにあるんだろうという問いにチャレンジしました。
それほど明瞭で説得力のある議論ができたとは思えませんが、
少しでも皆さんの「役に立つ」ことができれば、それに越したことはありません。

今後は、文系大学院の存在意義に関する話のみならず、文系大学院生として、実際に学びながら感じたこと、さらには研究そのものについて発信していければと思います。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
次回もよろしくお願いします!
では、また!!


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