Rambling Noise Vol.62 「メルマガナイトへGo ahead! その48」
これまで、ウルフガイ平井和正、オイシンボ雁屋哲、コヅレオオカミ小池一夫、ホクトノケン武論尊、オールドボーイ狩撫麻礼などといった人々の原作付きの漫画を多く手掛けてきた池上遼一であったが、それらの原作はテキストベースであった。ということで、コマ割りやらページ構成、レイアウトやらからが池上氏のお仕事だったのだ。
しかし、『トリリオンゲーム』に於いて初めてタッグを組んだ稲垣理一郎から寄越されてきた原作は、そのコマ割りやらをも含んだ「ネーム」状のものだったのだ。
その際の池上氏の胸中たるや如何に? これまでの画業のキャリアを全否定されたと捉えたとしてもむべなるかな。
しかし、かかし、おかし、一旦は戸惑い、思い悩んだものの、池上遼一は、自分とは異なる稲垣氏の作風を面白いと感じたのであった。
”稲垣氏のセンスに自らの絵をプラスする”
考えてもみなかった新しい制作スタイルに、なんと池上遼一はチャレンジしてみようと思い立ったのであったとさ、ぢゃんぢゃかぢゃーん。
「これはしたり」
いやもう、得心がいったどころの騒ぎではない。この池上氏の弁と行動には感心せざるを得なかった。
この、のほほんすっとこどっこいアサノさんをして尚、ね。
御年七十七歳にしてこの豹変っぷりとは、いやはや、すさまじいものだわ、と。
漫画の神様 手塚治虫にしても、その神の座に甘んじることなく、常に新しいものを捉えようと、時代の変化に対応していこうと試行錯誤を重ねていた。
池上遼一も流石。
これまでとは全く異なることにも、怯まず挑むその精神。
いや〜ん、学びがあるよね〜い。
はたまたもう一人、十代後半のアサノさんに多大な影響を与えた漫画家がいた。
それってだぁれ?
はい、それは、『ママとあそぼう!ピンポンパン』の酒井ゆきえお姉さんが好きなタイプの、大友克洋であった。
アサノさんにとっての大友漫画の初見は確か、マイナー系のSF雑誌『マンガ奇想天外』に掲載されていた『宇宙パトロール・シゲマ』。まだまだ短編をぽつらぽつら描いていた頃だ。
その頃の大友克洋の作風はアングラっぽく、ややシラッとしたムードが漂うものであった。そいで、絵も白かった。
人物とかの書き込みは細かいし、緻密っぽいんだけど、コマ内に大胆な余白を設けちゃったりして、なんか総じて白っぽい。
「大友以前、大友以後」という言葉があるくらいで、大友克洋の登場は、漫画の表現史に多大な影響を与えたものだったのだ。
(なるほどそうか。ほいでそれがどうしたの? という声が聞こえてきそうだけど勝手に続く)
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