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障害は“強み”なのか?

 「発達障害を強みにしよう」
 一時期、上記のようなことが言われていました。自分は障害はあくまで“障害”で強みとして前面に押し出すのは無理があると考えています。

 例えば脳血管障害を呈し片麻痺が残存した際に、「片麻痺を強みにしよう」や認知症を呈した際、「記憶障害を強みにしよう」という文脈を自分は見たことがありません。発達障害も“障害”であって、それを強みにしようと言われても自分としては、今一つ理解に苦しむところです。

 障害とは、生活するうえでの不便さがあるということです。最大多数の人々を中心に社会が作られるため、少数者にとっては不便な社会になりがちです。しかし、長身や知能が高いことなどが少数派であっても障害とならないのは、社会の価値観が左右しているからでしょう。障害は個性と社会との相関関係と言えそうです。

 精神障害は疾病という脳における神経伝達機能障害という一つの要素ではなく、認知機能障害、生活機能の低下や役割障害といった能力障害、社会的偏見や内なる偏見といった社会的不利という複合的な要因で構成されています。

 生活する上での不便さは強みではないでしょう。ただ、不便だからといってずっと後ろ向きに生きるというのはまた別な問題ではと思います。

「ストレングスモデル」という概念があります。ストレングスモデルの理念のベースにあるのは、「人は何のために生きるのか」ということです。その人が生き続けるために情熱を傾けられるもの、その人が生き生きと誇れるもの、それがなんであるか、その熱量がどのくらいかも、人それぞれです。「ストレングスとは何か」とは、「その人らしく生きるとはどういうことか」という問いと同じになります。

 ここで書籍を参考に従来の問題解決モデルからストレングスモデルでの事例の見方を紹介します。

事例:「自分は悪くない」と繰り返す〇〇さん
『問題解決モデルでみた〇〇さん像』
・広汎性発達障害という診断を受けている人
・暴力などの問題行動で入退院を繰り返す人
・自傷他害があり、隔離を余儀なくされる人
・他責的な発言を繰り返しては不穏になる人

『ストレングスモデルで見た〇〇さん像』
・孤独や挫折経験を持ちながらも、あきらめずに社会復帰を望んでいる人
・社会とのつながり、人とのつながりを強く求める人
・人の役に立ちたいと願う人
・人への感謝を口にできる人
・自分の問題点を理解する力のある人
・退院の希望を持つ人
・アルバイトの経験がある人

 従来の問題解決モデルでの『「自分は悪くない」と繰り返す〇〇さん』から、ストレングスモデルとして見ることで『「人の役に立ちたい」と願う〇〇さん』という視点を持つことができます。

 客観的事実だけに目を向けるのではなく、その人の主観的事実を知ることで、より深い全体像の把握につながり、看護の展開がこれまでと全く違ったものになる。
 腰を据えてかかわるためには、やはり本人との対話の場が必要だ。ストレングスアセスメントとは、対話を通じて自覚していないことすらある本人の希望を引き出す役割を果たす。そして「夢」「本当にやりたいこと」を通してかかわることで、患者自身も治療に前向きになるという効果もある。

ストレングスモデル実践活用術 萱間真美

 自分としては問題解決モデルも治療に一役買いますが、それだけでは限界があると感じています。ストレングスモデルを交えることで、当事者が普段の生活をポジティブに捉えるきっかけになると思っています。

 自分は「障害」は「障害」でそれ以上でもそれ以下でもなく、卑屈になることも無理矢理強みにして売り込む必要もないと思っています。
 ストレングスモデルのような「その人の人生や“らしさ”」に視点を向けることが、生きづらさから脱却できる突破口になると踏んでいます。

 これまでは自分の「障害」に焦点を当てることが多く、その作業自体も学びで面白かったのですが、さらに「ストレングス」にも焦点を当てることで、より深い全体像に理解につながる期待があります。
 さらに深みが知れそうという期待感と希望が持て、それは自分の探究心と好奇心をそそるものです。
 
 今回は、「障害は強みなのか?」をテーマに、障害というものを定義してから、ストレングスモデルに言及し、「その人らしさ」という視点について触れました。
 個人的な結論としては、「障害」を過大評価も過小評価もせず、「その人らしさや主観的事実」にも視点を向けることが、より深い全体像を掴めそうといったとことです。
 ここまでお読みいただきありがとうございます。

【参考・引用文献】

 

 


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