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同じ時代と同じ本質、異質な人権環境-1993年生まれの脱北者女性の2000年代

パク・ヨンミ(2015)『生きるための選択』(満園真木訳)辰巳出版

 本書は、ソ連崩壊後に経済が極度に悪化した北朝鮮に生まれた著者が、中国へ脱出し人身売買と監禁を耐え抜きモンゴルを経由して韓国大使館の監視のもと韓国へ入国し、猛勉強と同化のための努力を経て韓国の大学へ入学するまでの半生記である。

 著者は1993年生まれで、北朝鮮の中でもとりわけ寒いとされる中国国境地域に暮らしていた。両親ともに熱心な金一族崇拝者で相対的には豊かな生活をしていたものの、父親が生きるために選んだ密輸が当局に摘発されたことでトンボを食べるほど困窮し、さらには胃腸炎を盲腸と誤診され開腹手術を受ける。薬が足りずに麻酔が切れ激痛に耐えながら手術を終えるが、国家全体の困窮から遺体回収予算も医療用器具も足りず死者の遺骸が庭に放置されているのを目の当たりにした著者の母は疑問を抱き、脱北を考え始めるようになる。傷痕の完治を待てば川が溶けると判断した著者は、傷痕の完治を待つ間もなく凍った川を必死に渡って脱北する。母が眼前でレイプされ、自身も中国人に売られ繰り返しレイプされるが、モンゴルへの入国を果たし、韓国大使館の保護を受け韓国へ入国する。15歳で韓国入国時は学力が小学2年生と判定され、韓国人からは白眼視され公立校の校長も彼女は勉強についていけないと突き放す。脱北者向け学校も合わなかった彼女は、自宅で猛勉強して2年後に高卒認定試験に通り、面接試験で疑いの目を向けられながらも信頼を勝ち取りソウルの名門大学の法律学科に入学を果たす。これだけでもその努力には敬服するが、この自著は英語で執筆されている。

本書に描かれている極貧、北朝鮮政府の思想統制、脱北者を人身売買し監禁してレイプする中国の状況には当然絶句させられる。中国とは友好的な関係にあるとしながら、中国人から伝え聞いた話を友人にするだけでも警察が家に来る。「テレビやラジオは、国営放送にチャンネルを合わせた状態で封印され」(76ページ)、3月に人が歩けるほどの分厚い氷が川に張る寒冷な地域にあっても電力不足で暖房は薪が頼り。トンボの頭を炙って食べると「肉を焼いているときみたいな香ばしいにおいがして、味もとてもおいしかった。」ネズミの巣穴から穀物を見つけて食べ、セミやシロツメクサを美味しいと食べる。著者が韓国に入国し欧米各国で自身の経験を話すようになってもなお北朝鮮政府は監視し、著者を「汚物の山に生えた毒キノコ」と呼んで国内に残った血縁者への脅迫を強めている(314ページ)も到底、許されるものではない。

 しかし、北朝鮮の体制がいかに非人道的で、中国国内の脱北者を商品とみなす人身売買市場がいかに女性の尊厳を容易に奪うかが強調されればされるほど、いかに同じ本質を持つ人間が同じ時代に生きているかが浮き彫りになるのが本書の特色である。

1.     世界の他の地域と同じように内部に地域ごとの特色を持つ。

 北朝鮮内部での地域的な言葉の違いが描かれる。親族のいる他の町で過ごして地元に戻った著者は、友人に訛りを笑われる。「北朝鮮の内陸部では、中国との国境地域よりもしゃべりかたがゆっくりしている。」(128ページ)。

2.     立場に反してでも食事を分ける人がいる。

 著者の父は犯罪者になり、軍に激しい拷問を受ける。家族は犯罪者の子と周囲から避けられる。しかし、困窮した著者と姉を見かねた近所の朝鮮労働党員のキム・ジョンエは、その立場にありながらある日「まだ湯気のあがっている炊き立てのご飯を持って戸口にあらわれた。」(102ページ)。

3. 著者は自らの文化集団に受け継がれてきた食文化を愛する。

 父が逮捕された関連で厳しい労働を課された母に弁当を作ろうとした著者は、「伝統的な白菜キムチ用の漬け汁に必要な材料を買う余裕はな」く、塩漬けにした大根をトウモロコシとカボチャと混ぜた米に添える。それはそれで日本の漬物で美味しそうと感じてしまうのは日本列島の傲慢だと気付かされる一文が直後にある。「塩漬けの大根は貧しき者にとってのキムチだった」(125ページ)。それは彼女にとってはあくまで自らの属してきた集団の食品であり、伝統的なそれを食べられない境遇によって結果的に生成された忌々しい代替品でしかない。


 どの地域にもどの文化にも、どの集団にも、さまざまな事項に縦横に多様な側面が存在する。この点において、北朝鮮は日本や他の地域と同じである。

 脱北者の人身売買市場を成立させる中国社会の原因についてもまた著者は指摘している。

 著者は中国で人身売買に遭う。脱北者の女性のそのような需要が存在する理由として、著者は中国の一人っ子政策による人口の性別比の偏りを挙げている。人身売買に関わってレイプした漢族中国人ブローカーは男性だが、経済格差による犠牲者でもある。都市近郊の農村から出てきてギャングになって人身売買で生計を立てている(183ページ)。この中国人「ホンウェイ」が行ったことは確かに非人道的ではあるが、著者を人間として愛するようになり、脱北した著者の父と母を探し当てて著者と再会させたばかりか中国で病死した父の墓を守りさえする。自らの尊厳を奪った点については許せないとしながらも、「ホンウェイ」についての複雑な感情は著者も認めている(219ページ, 234ページ)。「ホンウェイ」は、著者を誘拐した別の中国人ブローカーに決闘を挑むが、その別の中国人「ホワン」は「自分の名前も満足に書けなかった」(212ページ)。教育格差が犯罪の引き金になる現象は、中国に特異的に見られる事例ではない。

 

 では、具体的に日本はどのように関連するか。まず日本は言うまでもなく、朝鮮半島の旧宗主国である。「日本は横暴な宗主国で、朝鮮の文化を破壊し、私たちを自らの国の二級市民にしようとした」(45ページ)。著者の母方の一族は、日本支配下で土地を所有していたことが原因で北朝鮮で低い身分に落とされる(53ページ)。著者は2000年、逮捕される前の父が闇市で買ってきた1980年代の任天堂のゲーム機で遊ぶ。「電気が来ている時は」、スーパーマリオブラザーズの「あのはずむような楽しい音楽に合わせて小さなキャラクターを動かし、何時間も遊んだ。」(83ページ)。

 さらに著者は外国の人間が知らないとはいえない出来事を自らに関連させて示す。2000年代のビデオテープからDVDへの移行、北京五輪である。ビデオテープからDVDへ変化したことで、中国から密輸されていた外国の娯楽が「たくさん持ち込みやすくなったこともあり。数年前はわずかだったものが大量に出回るようになっていた。」(129ページ)。北京五輪をきっかけに中国国内の人権問題の改善を西側諸国が要求した結果、著者からすれば「中国政府は、国家に恥をかかせたり、中国の国際的偉業に泥を塗ったりする可能性のある人を片っ端から狩りだして捕まえることで応じた。」(200ページ)。「脱北者の摘発と送還がかつてないペースで行われ」、「ホンウェイはいらいらして怒りっぽくなった」。

 私は95年度生まれで、ビデオテープが薄い板へ変化したことも、北京五輪の開催の前に聖火リレーの沿道で中国政府への大規模な抗議活動が実施されていたことも覚えている。北京五輪開催時、当時中学1年生だった私は当然ながらそれを好意的な目で眺めていた(そして改善されなければならない)が、著者からすればそれは身の危険に拍車をかけた。

 人身売買の取締も、不法滞在者の摘発も社会にとっては必要だろう。しかし、政府による弾圧と困窮から逃れてきた人々を送還するのは、国内の人権問題の抹消であり、改善ではない。

 最後に、本書では触れられていないが、別の時代に同じ土地で自由を求めた西欧人の著書を紹介する。

 猛勉強した著者なら既読かもしれないが、著者が自由を目指して星を頼りにひたすらに走ったゴビ砂漠は、70年前に同様の願いを抱いてひたすらに自由を目指したポーランド人少女クリスチーナが倒れ眠る地でもある。

 この本の著者ラウィッツはスパイ容疑でソ連軍に逮捕され、拷問され、連行された極寒のシベリアの収容所で過酷な労働を強いられた。貧弱な食事と過酷な労働、25年という極めて長期の刑期を耐え難く感じたラウィッツは、同様の目に遭った囚人仲間と共に、ゴビ砂漠を渡りチベットを越えてさらにはヒマラヤさえも越えてインドで英軍に保護される。その詳細はラウィッツの著書を参照してほしいが、ラウィッツはバイカル湖の湖畔で、やはり自らの土地でソ連に逮捕されシベリアへ連行され、看守にレイプされそうになったところで必死に逃げていたクリスチーナに出会う。クリスチーナもラウィッツらと共にインドを目指すが、ゴビ砂漠で力尽き、埋葬される(第16章「ゴビ砂漠に響きわたる慟哭」)。ラウィッツの一行はポーランド人、リトアニア人、ユーゴスラビア人、アメリカ人から構成されていた。宗派は異なれど全員がキリスト教徒であった。クリスチーナが亡くなったとき、「各自がそれぞれの言語で祈りの言葉を口にした」(263ページ)。

 パクはモンゴルに入国するにあたり、中国のキリスト教系団体の仲介を受けた。パクはモンゴル国境を目指す直前に、自らは生きるために仕方なく選んだ仕事を牧師から罪と呼ばれたことに嫌悪感を抱く。しかしモンゴル国境を目指してゴビ砂漠に足を踏み出して振り返った時、最後に見た中国は、パクと他の脱北者の無事を必死に祈る支援団体の中国人キリスト教徒の姿であった。ラウィッツ一行とパクの母子が向かった方向は異なれど、ゴビ砂漠に響いた祈りと叫びは同じである。北朝鮮はソ連の支援を受けていた。国と時代は変わっても、変わるべき支配体制が70年以上も変わらず存在し続けている。

 同じ時代に同じ人間が生きる地域で異質な環境に置かれた著者が、それを説得的な形で語ってくれた勇気に感謝したい。著者の願いが端的に表現されている節を引用する。

 「私を含むおおぜいの少女や女性たちが、中国で生きるためにしなければならなかったことを考えると、気分が悪くなる。あんなことは起こらなかったと思いたいし、それについて二度と話さないですむならどんなにいいだろう。でも、私は人身売買にまつわる衝撃的な実態をみんなに知ってほしい。中国政府が脱北者を北朝鮮に送還する無情な措置をやめれば、人身売買ブローカーが女性たちを搾取し、奴隷のように扱うこともできなくなる。もちろん、北朝鮮があんな地獄のような場所でなければ、そもそも女性たちが脱北する必要もないのだが。」(190ページ)。

 私と同世代の日本人、いわゆる「ゆとり世代」に本書を勧めたい。

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