見出し画像

詩人の行方

初めて買った詩集の作家の名は「前田詩津子」という。
中学生の頃だ。
中原中也でもなく、寺山修司でもなく、別役実でもなく、ハイネやヘッセでもない。
どんな詩人なのか今も知らない。

表紙を開いた内側に彼女の写真があった。
きれいな人だ、と思った。
木洩れ日を見上げてすこし眩しそうに微笑む顎の線が印象的だった。
微笑みの中に透明な哀しみがある。

一篇の詩も読まずに、それを買った。
そして、ほかに私が買った詩集は大学のドイツ語試験対策のためのヘッセの訳本しかない。
私にとって、詩は「書くもの」であって「読むもの」ではなかった。

私は、人生で唯一の詩集を、詩人の「顎」に惹かれて買ったのだ。

今は手元にないその詩集の中に「青い薔薇」の話が引用されていた。
青い薔薇を探して森に迷い込む少女の物語だ。

「詩ぃ子」と彼女を呼ぶ人がいた。
その中に登場する彼は、たぶん彼女よりうんと年上で、彼女を愛しているのだと想像できた。

「詩ぃ子、詩ぃ子」と繰り返す呼びかけの文字に、私は陶酔した。
だけど、彼女は物語の少女のように幻の青い薔薇を求めている。
あるかないかもわからない青い薔薇。

「詩ぃ子」と呼びかける声に込められた深い愛の呪縛から、彼女は一方で逃れたいと思い、一方で囚われの幸せに身を委ねているのだと思った。

青い薔薇の開発に成功したとニュースで聞いたのは、いつのことだったか。
青い花びらを生み出すことは、開発に携わる人にとって宿願なのだとどこかで読んだ記憶がある。
ブルーローズは不可能の代名詞だ。

しかし、いま公園で見る薔薇の青は、やはり「青」ではなく紫に近いもの。
私はこれに安堵している。
青い薔薇はやはり「不可能」なままであってほしい。

誰もが、あるかないかのものを迷いながら探して森を彷徨う。
見つけられずに死ぬのが美学、というような気もしている。


10年くらい前だったか、ふと思い出して彼女の名前を検索してみた。
「古書」としての詩集の販売サイトがいくつかヒットする。
その中に、ひとつだけ、ブログを見つけた。

高校時代、とても好きだったと、その人は書かれていた。
一篇の詩が引用して掲載されていた。

何十年ぶりの出会いだろうか。
彼女の詩集は、嫁ぐときに持ってきたはずだが、書棚にはない。
たぶん、書棚に収まりきれなくなったときに、段ボールに移して押し入れにしまわれたままなのだろう。
結婚後の現実に翻弄される私には、恋する乙女の感傷は、羨ましくも痛すぎたに違いない。

しかし、久方ぶりに目にする詩人の言葉は、変わらずに瑞々しかった。
たとえ泥沼のごとき恋の呪縛にとらえられていても、彼女の感性は澄んでいた。

そこに。
そこに、詩人の娘さんだというかたが、コメントを寄せていた。
母親の名前を、私と同じように検索して、そのブログ記事に辿りついたらしい。

「母の詩を好きだといってくれるかたがいて嬉しいです。」

母!
母なのか・・・。

母なのだ。
折り返した表紙の裏側にあった彼女の顔、斜めに上げた顎の線を思い出した。

うぶ毛を光らせる木漏れ日を思った。
詩ぃ子。。

青い薔薇を求めて、愛することの矛盾と葛藤に身をゆだねていた詩人は、母になった。
それは別段、不思議なことじゃない。
矛盾と葛藤に区切りをつけたか、つけるふりをして、女は、愛すると信じる男と結婚する。
信じるのは相手の男ではなく、自分の愛である。
そして、母になる。

母はもう詩作をしていないと、娘さんはコメントしていた。
かつての作品を、自分に読まれることも好んでいないと書かれていた。
だから、そのブログで母の作品に会えたことが、とても嬉しいと。

書かないのか書けないのか、わからない。
でも、詩人はもう書いていない。
書かずに済む人生なら、きっと幸せなのだろう。
そう信じることにした。

このブログを見せてあげたいけど、母のところにはパソコンがないので、コピーして持って行ってあげようと思います、と娘さんはコメントしていた。
それで、娘さんは、詩人とは別のところで暮らしているのだとわかった。

ああ、娘さんもすでに嫁いでしまわれたのかもしれない。
そうなのだろう。
詩人は、私よりだいぶ年上だもの。
詩人の娘も、母になっているのかもしれない。

もしかしたら、詩人の娘にも娘がいて、あの頃の私のように、見知らぬ若い詩人の横顔に、その木漏れ日に恋しているかもしれない。

「でも母は、今も元気にしています。」
とコメントは結ばれていた。

涙があふれた。


いま、ふたたび検索してみたが、そのブログは見当たらない。
詩人が存命であるなら古希超えほどかとも思うが、人の籍を抜けていたとしたら、彼女は森に行ったのではないか。
青い薔薇は見つかっただろうか。

「詩ぃ子」と呼びかけてみる。
木漏れ日の中で彼女が振り向く。


「 南風の吹く日は
 あなたが遺した
 『好き』が
 内耳の奥で
 こっそりと鳴る 」


読んでいただきありがとうございますm(__)m