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共感と癒し

兄に死なれたときの私の落ち込みは大きかった。
施設介護ではなく在宅介護だったから、生活のほとんどが兄と一緒だった。
どうでもいいような暮らしのひとこまが、いちいち堪える。
一緒に見ていたテレビドラマがつらくて見られないというような。
散歩に連れ出した道を、ひとりで歩くことすらしんどい。
駅もスーパーも病院も行けない。

それは、車にはねられた交差点をもう2度と渡れないというのに似ている。
交通事故は、兄や母の死のあとだったのだけれど。
(事故から3年以上たつけど、まだ事故現場を通れない。)

それで、友人に勧められて「グリーフケア」の集まりに参加した。
「愛する者との死別の痛みを体験者同士が分かち合う」らしい。

しかし。
私は、その集まりにすこしも癒されなかった。

似たようなできごとを経験しても、似たような境遇で経験したわけではない。
ほかの家族のあるなし、お金のあるなし、仕事のあるなし。
それぞれがみんな違う。
家族の死を共通項にすればするほど、逆に共通でないところばかり際立つ。

故人がどんな「死に方」をしたか、それまでどんな「生き方」をしてきたか。
故人だけではない。
私が、だ。
自分がどんな生き方をして、そのひとつひとつに何を感じて過ごしてきたか。
それらに目をつぶって、ただ「あなたもご家族を亡くしたのね。わかるわ」だけでは癒されないということがわかった。

こういう集まりでは、悲しみをあえて「吐く」ことで乗り越えていくという手法がある。
「私の場合は」と話し出すそれぞれの生と死の話を聞いているうちに、私はもう自分の話をする気がなくなってしまった。
そして、途中で退席してしまった。

「吐く」ことと「聴く」ことは、心にまったく別の作用をもたらすということもそのとき実感した。

「できることはやった」と言うそれぞれの「できること」は、自分の愛情だけでなく、看護や介護の実務的な能力、経済力などで大きく違ってくるのだ。
「あなたができること」は、「私にできること」とイコールではない。
でも、まるでExcelの表のように、Aさん〇、Bさん×と明示されてしまう。
その差を「世の中はそういうものなのよ」と受け入れるには、私は弱りすぎていた。

共感って、むずかしいものなのよな。
するほうも、されるほうも。
求めながら拒み、身をよじって避けながらも手を伸ばさずにいられない。

なんてことが、本日の「虎に翼」を見ながら、そしてそれについて書かれたトピを見ているうちに、ふっと浮かんできた。

子供のころ、たんぽぽの綿毛が耳に入ると聴こえが悪くなるというのを聞いた。
見つけると、ふぅっと息を吹きかけて飛ばしたくなる私は、それを聞いたとき、ちょっとビビった。

でも、大人になったいまも、ついふぅっとやりたくなる。
そして、なんとなく嬉しくなる。

癒しって、そうと意識しないところで、地味にされるものなのよな。
「これであなたを癒します」という看板からは、逃げがちの私。
「泣ける小説」「笑える映画」「感動の嵐」とかいう謳い文句を見聞きすると、伸ばした腕を引っ込めてしまう。

兄の死から2年後、母が逝ったときには、グリーフケアには行かなかった。
いまも、母ロスなんだけどね。


読んでいただきありがとうございますm(__)m