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人文学と古代ギリシア

藤村シシン『古代ギリシャのリアル』によれば、パンのための労働・営みは、市民がすべきことではない、というのが古代ギリシャの人たちの価値観だったという。

古代ギリシャ人にとって、「暇してる」という状態は無駄ではない。暇な時でないと、「人の根源は何か」とか「万物の根源は何か」という問いは出てこないというわけだ。

歴史を紐解けば、古代ギリシャは哲学とか歴史の起源となる地・時期である。なお、ここでの歴史とは、歴史学のことではない。(歴史「学」の成立は、19世紀になってから)。とはいえ、これらの学問の起源は古代ギリシャまで遡ることができるという点が重要だろう。

今の人文学の起源になるようなことが始まった経緯を知ると、人文学が今の社会に即座に役立つという感が肩は無理なように思えてくる。

その点で吉見俊哉の指摘(『大学という理念』)は的を射ているのかもしれない。吉見は文理の役に立ち方を次のように説明している。文系は価値の創造という意味で有益で、長期的な視点では役にたつ。一方、理系は利便性の向上などで役に立ち、短期的に有益である、と。

今の日本を取り巻く状況は、非常に厳しい。人口減少、経済の停滞、対外的な危機の高まりなど。こうした状況では、さらに手持ちのリソースが限られているとなれば、目先の山積する課題に対応することが求められ、暇とかゆとりとかを持つような余裕はない。そうなると、長期的な視点を持つことも難しいだろう。

人文学が日本で再び価値を持ったり、多くの人々からその意義を見出されたりするのは、こうした諸課題のいくつかが解決したり、その目処が立った時ということになるのかもしれない。

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