見出し画像

性善説?性悪説? ~人の本質はどっち?~

こんにちは! あたたけ です。

前回、回転寿司での事件を話題にしましたが、想像通り?他業種含め、拡大していますね。。。。

で、この話題に関連し、ネット記事?テレビ?で見かけたのが『性善説に基づいた商売の限界』というような言葉です。
うーん、違和感が。。。。。

前回のあたたけの記事が『信頼に基づく商売』ですので、性善説という言葉を信頼というような意味で使われていると感じたのですが、それって違うような気がします。

あたたけ的な解釈になりますが、性善説とは『本来、人は善である』というだけで、『すべての人が無条件で善人である』と言ってるわけではないはずです。
本来は善人でも、いろいろ歪んでしまって悪人になる人もいる』という考え方なのかなぁと。
だから、善人でいれるように頑張ろうね!って言いたいんじゃないかと。

さて、性善説が出てきたら、それと比べられるのが『性悪説』ですね。
あたたけの周りだけかもしれませんが、品管界隈ではちょいちょい話に出てくるような気がします。性善説と対にして。
『性悪説に基づいて、従業員を厳しく管理する』みたいな文脈ですね。

いや、これも違うやろ!って思います。
性悪説のあたたけ的解釈は『元は悪人でも努力次第で善人になれる』というものです。
自主的な『努力』と、他者からの『管理』は別ものじゃないの?って。

なんて言うんですか、性善説も性悪説も結局は『善人でいるために努力しろ』って話なんですよね。
スタートの立ち位置が違うだけで。

性善説:元の善性を維持するために努力しよう!
性悪説:元の悪性を抑え、善性を身につけるよう努力しよう!

もっと簡単な表現にすると、以下のような感じでしょうか。

性善説:やればできる!(当然、やらなかったらできない)
性悪説:やらなかったらできない!(でも、やればできる)

ということで、ムリヤリ感はありますが、同じところに行き着きましたね。
まぁ、性善説の方がポジティブな印象ですので、あたたけはそっちの方が好きではありますが。

と、つらつらと書いてみましたが、もっとわかりやすいHPが見つかってしまったので、もっと詳しく・正しく知りたい方はそちらをご覧ください。

3分で分かる性善説と性悪説の違い!人の本質は善か悪か?性善説で誤解されがちな点も文学部卒のライターがわかりやすく解説 - Study-Z ドラゴン桜と学ぶWebマガジン

ちなみに、あたたけが性善説&性悪説を学んだのは、こちらの本です。

「創竜伝」既刊・関連作品一覧|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)

いつぞや紹介しました銀英伝に続く、あたたけに影響を与えた小説の1つですね(著者が同じなので、そらそうやとも思いますが)。

何にしろ、今回の回転ずし事件やバイトテロというものを見ていると、世の中、善性を維持する?高める?努力をしていない人って結構いるもんだなぁと思います。

これがSNSの発達と関係するのかはわかりませんが、、、、
昔から一定数いたけど、SNSという自己顕示欲を満たすのに便利なツールができたことで、単純に表に出てきただけなのかもしれません。
が、あたたけが思うのは、SNSは『開放された閉鎖空間』という、中々に矛盾を抱えた一面があるということです。

現実としてSNSは広く世界に繋がっていても、実際には狭いコミュニティ内での情報交換?自己顕示?に使っているだけの人が多いのかなぁと。
①狭いコミュニティ内だと、どうしても甘えという感情が出てしまい、自分を律することをしなくなる。
②その状態が続くと、コミュニティ外の人の感じ方・考え方というものが想像できなくなり、『コミュニティ内での善』と『コミュニティ外での善』が大きく乖離してしまう。
③結果、『コミュニティ内での常識』が『コミュニティ外での非常識』となり、発覚した時には大問題となっている。
みたいな流れなのかなぁと。

人の本質って、『善』とか『悪』とか明確な確固としたものではなく、『何もしなければ悪(≒自分を律する必要がない楽な方)に流れやすい』というある意味、周りに影響されやすい軟弱なものなのかもしれませんね。
その分、努力次第では良い方向にも持っていけるよってことでしょうか。

あたたけは決して善人ではありません(偽善者ではあるかもしれません)。
が、『自分の欲のために他人に迷惑をかけない』という程度には自律していたいなぁと思う今日この頃です。

ではでは。今回はこの辺りで!

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?