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『仕方ない』を否定するイノベーション

 「そんなはずはない」、「仕方ない」と言って思考停止してしまうケースというのは、よくよく考えてみると、日常生活にゴロゴロ転がっているのではないでしょうか。

 例えば、『モーツァルト効果』というのがあって、植物などにモーツァルトを聞かせて成長などを促す、というものですが、「そんなはずはない」、植物に耳はない、と言い切ってしまえるでしょうか?

 モーツァルトはいざ知らず、また、動物のような耳ではないにしても、植物が、その長大な進化の過程で音を感知する仕組み、能力を獲得して、自身の生存戦略に活用していないとも限らないのではないか……

 この点に関して、最近のNIKKEI STYLEのナショジオのページに、【花に「耳」? 羽音を聞いて蜜を甘くする植物を発見】という記事が載っていて、とても興味深い内容になっています。


 「そんなはずはない」、「仕方ない」という思考停止は、想像力に欠けた思い込みかも知れず、その先には思いもかけない真実、新発想、解決策が埋もれているかも知れないのです。その意味で、意識的なもの、無意識的なものを含めて、「仕方ない」という思考停止は、イノベーションの大敵と言っていいのではないでしょうか。むしろ、『仕方ない』を否定した先にこそイノベーションのアイデアがあるのかも知れません。


 最近の日経電子版の記事から、私達の身近にあるアイデアを拾ってみると、例えば【鼻パッドのないサングラス ポーラ、化粧崩れの悩み解消】では、「サングラスを外した時に、鼻パッドの当たる部分に汗をかいて、化粧が崩れてしまっているのは仕方ない」という『仕方ない』を否定しています。鼻パッドをなくして、頬骨でフレームを支える構造を採用したのです。


 また、【コスモテック、「腕に巻くメモ」輸出 まず米国へ】の事例は、「手の甲や手の平に直接メモ書きするのは、汚れるけれど、忘れないようにするためだから仕方ない」という『仕方ない』を否定して、手首などに巻き付けるメモというアイデアを打ち出しています。


 これらの例は、ごく身近なイノベーションのアイデアですが、深刻な社会課題にあっても、『仕方ない』と思考停止していては、何も解決せず、問題が手遅れになるまで先送りされるとも限りません。まずは、『仕方ない』を否定する所からイノベーションは始まるのだと思います。

 

 

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