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《親ペン雑記#5》コンビニのトイレをめぐる奇妙な理屈

 コロナ対策でコンビニのトイレが使えなくなりだしてから、既にだいぶ経つ。下の日経電子版の記事などは、2020年の春に出たきわめて初期のものだ。


 記事にもあるが、不特定多数の人が触れる箇所が多いトイレは、接触感染のリスクが高いことは明らかで、利用客同士、また、利用客と従業員間の感染リスクを避けるために使用中止とすることはやむを得ない処置と言える。トイレを使いたい切羽詰まった状況の利用客にとっては悩ましい問題だ。いきおいトイレを使いたい利用客と従業員の間でトラブルが起きることもあるだろう。
 筆者も、だいぶ前にそのような現場を目撃し、その時はさほど気にも留めなかったのだが、最近またそのような現場に遭遇して、あれこれ思い返しているうちに、ある点に注目した――それは、どうしてもトイレを使いたい利用客の繰り出す『理屈』、まあ言ってみれば『屁理屈』である――


▶ケース1

利用客「(お茶のペットボトルを1本買いながら)トイレ使わしてくれない?」
従業員「申し訳ございません。トイレは今コロナ対策で閉めさせていただいています(何回となくお断りしている感じ)」
利用客「(ここぞとばかりに)だって、今さっき一人入っていったよ!」
従業員「(ギョッとして)えっ!!本当ですか?」
利用客「(たたみかけて)一人爺さんが入っていった。俺にも使わせてよ
従業員「ちょっと見てきます(トイレの方へ行きかけて)……(その時、利用客の言ったとおり一人の老人が出てくる)あっ!あれはうちの従業員です(安堵の様子)」*註:コンビニには意外とシニアが多い。
利用客「……(しばし絶句)駄目なんだ(さすがに、従業員が使ってるんだから使わせろ、という理屈は断念か)」
従業員「申し訳ございません」

 どうしてもトイレに行きたかった利用客に同情しつつも、くだんの利用客の繰り出した『屁理屈』を分析するなら、「他にもやっている人がいるから、自分もやっていい」という理論が浮かび上がってくる。「皆で渡れば怖くない」式の『屁理屈』である。
 この屁理屈の屁理屈たるゆえん、最大の問題点は、そこに善悪の観点が欠落していることである。これは、例えば「万引きしてる奴がいるから、自分もやる」ということで、到底通るものではない。いわば『善悪欠落型屁理屈』とでも申そうか。


▶ケース2

利用客「手を洗いたいんだけど、トイレ使わしてくれる?」
従業員「申し訳ございません。コロナ対策でトイレはお使いいただけないんですよ」
利用客「だからさ、(強調して)トイレはしないから、手を洗うだけだから、トイレ使わしてよ!」
従業員「(困った風に)すいません、トイレは使えないんです……」
利用客「(押しまくる)小便……トイレしないから、トイレ使わせてって!」
…………

 この延々と続く押し問答、まるで禅問答だ。従業員が再三「トイレは使えない」と言っているのに対して、利用客自身が半ば無意識に「トイレを使わせろ」と主張している。会話がかみ合うはずもないが、従業員にしてみれば、根負けしてうっかり使わせようものなら、後で何か問題が起きた時に責任を取らされる。粘り強い従業員の説得に、最後には利用客が折れてしぶしぶ帰っていった。
 ここでも、どうしても手が洗いたかった利用客に同情しつつも分析してみるなら、このケースの屁理屈では、「トイレをするしない、手を洗うだけか否やにかかわりなく、接触感染防止のためにトイレは使えない」という本質論が欠落している。いわば『本質欠落型屁理屈』とでも申せよう。
 このタイプの屁理屈で怖いのは、その屁理屈を言っている本人が、自身の主張から本質が欠落していることに気付いていない場合かも知れない。無理と承知で理屈を言う確信犯よりも根が深い。


 ……と、ここまでペンを進めてきて、ハタと気付いたことがある――このような『善悪欠落型屁理屈』や『本質欠落型屁理屈』、実は、コンビニのトイレなどといった卑近な問題を越えて、広く世間に流布しているのではないか?自分自身、気付かずにその弊に陥っていやしないか?——
 追い詰められた政治家の言い訳、国会での官僚の答弁、仕事で失敗したときの弁解、子供の言い訳、何とか了解を得ようと人を説得するとき、などなど……よくよく注意すべき、そして自戒すべき事柄であるようだ。
 すべからく、人間の社会、人の主張において、善悪を見極め、本質を見据えるべきことは、必須の習慣、プロセスではなかろうか



#日経COMEMO #NIKKEI

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