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この世で生きるって、こういうことなんだなぁ。

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人生いろいろありますね。自分の体験を通して自己対話を繰り返し、試行錯誤をする中で、人生の法則に少しずつ気付いてきました。キャリアコンサルタントの学びを深める中で、多くの裏付けされ… もっと読む
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#親子

8歳。色んなことを分かってる。

キャリアデザイン導入編。 思いがけず【Will/Can/Must】のワークを8歳の娘とする。 はじめ、丸い3つの円が重なり合っているシートを見て、 ためらいなく「やりたい!」と。 意味わかってんのかな? と思いつつ、 すかさず「よしやろう!」とわたし。 ・・・後で聞いたら、どうやら本人は「ぬり絵」だと思っていたらしい。 重なり合う3つの色の変化を楽しむやつね(笑) 確かにそれもいいよね(*^-^*) とはいえ、わたしも8歳の娘がどんな風に自己理解を進めるのか興味津々で

子どもにキャリコンし続けた結果。

わたしのキャリコンスキルは、家族に磨いてもらった部分が、かなり大きいです。 わたしには同居する4人の家族がいます。 天真爛漫小学生、思春期反抗期中学生、挫折を味わった高校生、家計不安に胃を痛め仕事にやりがいを感じられない夫、そしてわたし。 3年前にキャリコンの勉強を始めてから今まで。 キャリコンの学びを日々家族に落とし込んでみたところ、 すさまじい変化があったように思います。 家族一人ひとりが、はかない幸せを愛しみ、未来への大きなベクトルを合わせながら、それぞれの「今

言わない「言霊」。

声に出した言葉は、魂が宿る「言霊」となる、と言われる。 「音」は空気を震わす振動。喉を震わせ、己の耳から入り、自分以外の誰か、何かに届く振動。届く先に何かしらの影響を与え、現象となって現れる、と言う。 「言霊」となる前はどうだろう。心で思ったこと、が先に在るはずだ。 では音とならない「言霊」は、「霊」=「魂」。 心で思ったことは、「魂」そのものではないだろうか。 先日、娘3が、こんなことを言った。厳密には、ピアノに行く道中に、メールで送ってきた。 「ピアノに行きたくな

自分を愛する程度にしか他人を愛せない、を考えてみた。

先日の勉強会にて気になった言葉。 「自分を愛する程度にしか他人を愛せない」F・フロム-ライヒマンのこの言葉。自分を愛せない人は、他人を愛することができない、と。 そして、自分を愛せる人は同じ程度で人を愛せる、と。 こんな声が上がった。 「私の知ってる方で、自分大好きな人がいるんですが、自分のことばっかりで、他人を愛しているようにはとても見えないんですけど。この言葉で解釈すると、自分を愛する程度に比例して、人を愛する程度も大きくなるんですよね?どういうことでしょうか?」

「タッカルビ」と「ダッカルビ」の理不尽の味。

どっちが正しいの? 数週間前にあった、我が家での論争。 「ダッカルビ」と譲らない夫。 「タッカルビ」と譲らない娘3人。 わたしも「タッカルビ」を押したが、別にどちらでも。 実際、どちらでも正解らしいので、何の意味もない論争だったが。 そして昨日。 「タッカルビ」を精肉コーナーで見つけた! 味付けされた鶏肉にチーズソースが添えられていた。 家族で買い物中、それを見つけた夫が、 「ほら、タッカルビ!」と。 (;゚Д゚)(;゚Д゚)(;゚Д゚)!!! すかさず娘3が、

通信制高校という選択⑤

「通信制高校という選択④」の続き。 平成31年4月4日。 N高等学校入学式が行われた。 奇しくも平成最後の4月。リスタートにふさわしい節目の年。 その日は家族で旅行をしていた。 入学式がその日だとは知らずに予定していた旅行だった。 ニコニコ動画でLIVE配信されたN高入学式。娘のスマホで移動時間に視聴した。2019年度の新入生は約4000人だとか。入学式にリアル参加しない生徒がニコニコ動画で視聴する入学式では、VRをつけてバーチャルの空間で入学式に参加する生徒たちが整然

これって多分、レアな「死にざま」②。

父の「死にざま」は、映画のワンシーンのように脳裏に焼き付いている。前回のお話はこちら。 病院から、「その時」が近いことを知らせる電話が鳴った。 さっきまで、まだまだだ、と思ってた。 取るものも取り合えず駆け付けたものの、意外と長い滞在になるのかもと、そういう心配さえしていたのに。 病院につくと、落ち着かない様子で看護師さんたちがパタパタと忙しそうに行き来している。壁沿いに置かれていた父のベットの位置が、病室の中央に動かされた。やがて集まった家族が、ずらりと父のベッドを

これって多分、レアな「死にざま」①。

父の死に様は、映画のワンシーンのように脳裏に焼き付いている。 人が死ぬ、その瞬間に立ち会うことは、人生で何回ぐらいあるのだろう。 わたしの記憶にある限り、人の「死」に立ち会うことは、父が初めての体験だった。 2016年の12月のこと。 父は、人生の幕が下りようとしていることを感じながら、「生きること」に執着し、「身体があること」を楽しみつくそうとしていた。 そのお話はこちら。 父の死に様を語る前に、父のことについて必要な情報を少しだけ。 晩年、父はマラソンを趣味にし

ダイバーシティってどこにある?

流行ってますねぇ、この言葉。 「多様性」ってやつ。 女性活躍、グローバル社会、ダイバーシティ経営・・・ 多様な属性を受容し、活躍する社会・・・ 物事を多様な視点でとらえる力・・・ 一人ひとりの人は違うから、 どこを枠組みとするか、何を属性とするかによって、いかようにも多様性は発生する。 さて、では、聞きます。 一人の人の考え方は、一つですか? 一人の人の価値は、一つですか? 一番小さな枠組みの多様性は、 実は自分の中にあるのではないでしょうか。 人は、そんなにシンプ

あなたが存在するだけで。

あなたが生きていること。 それだけで、あなたが存在する意味がある。 あなたが出来ることが少なければ少ないほど、 あなたの周りに役割を与える。 あなたが出来ることが多ければ多いほど、 あなたは周りに役割を生み出すことができる。 あなたが存在するだけで。 世の中はあなたを中心に組み立てられる。 あなたがいない世界は存在しない。 あなたの存在こそ、世の中そのもの。

トラウマが、消えた日。

「トラウマ」。 ー大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷。精神的外傷。 自覚のあるトラウマ。 自覚のないトラウマ。 トラウマをトラウマとして認識するのは・・・・今。 ずっと、トラウマだと思っていたことがある。 それは、苦く、苦しく、どうしようもない、自分の失敗。 あの時間に戻って、そっくりそのままカットしてしまいたい。 あの時間に自分がやったことが、今の自分を苦しめてる。 大切な人を、たくさん、たくさん、苦しめてしまった。 そして今も、苦しめてる。 そう思ってた

「ルール(約束)」の呪縛

「あなたが会社で活躍するためのルール」にフォーカスできる会社は、本当に強いと思う。 先に「枠」を作り、「枠」に入る人を選んでからのルール作りではなく、「個」にフォーカスし、「個」の活躍重視のルール作りができる会社。 最近、そういう経営者の理念に触れる機会が度々ある。 そしてそういう軸があり、かつ柔軟性のある会社が、折れずに、しなやかに、これから生き残っていくんだな、と感じる。 その考え方って、あらゆる人間関係において基本となることだなって思う。 家庭、学校、会社、社会

神様が欲しかったもの。

大昔、神さまは、自分が神様だって認識するために、 人間を作ったんだって。 全知全能、不老不死、何でも思い通りの神さまだったけど、宇宙にたった独りきりだったんだって。 だから、自分が全知全能不老不死、何でも思い通りにできることに、何の価値があるのか分からなかったんだって。 それで、自分にない能力を、人間に与えたの。 一人が持つ能力は限られてて、 命の長さも限られてて、 何でも思い通りにはならない。 それが、神さまが欲しくても持てなかった能力。 人間にその能力を託して、

魔法の子育て、なんてない。

期待を裏切るタイトル、なのかな。 でも、これ、本当に事実だと思うの。 厳密にいえば、 「これさえやれば、必ず~」ってやつ。 子育てに限らず、すべてにおいて、 そんなノウハウ、存在しませんから。 傾向はもちろんあるでしょう。 統計学ですよ。 今やAIが膨大なデータを分析してくれる時代ですよ。 行動心理を読んで、大多数がその予測通り動くのかもしれませんよ。 それを頼りに、「魔法の~」を試してみる価値はありますよ、もちろん。 でも、試してみる、のスタンスを忘れないでほしい。