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これって多分、レアな「死にざま」①。

父の死に様は、映画のワンシーンのように脳裏に焼き付いている。


人が死ぬ、その瞬間に立ち会うことは、人生で何回ぐらいあるのだろう。
わたしの記憶にある限り、人の「死」に立ち会うことは、父が初めての体験だった。

2016年の12月のこと。

父は、人生の幕が下りようとしていることを感じながら、「生きること」に執着し、「身体があること」を楽しみつくそうとしていた。
そのお話はこちら

父の死に様を語る前に、父のことについて必要な情報を少しだけ。

晩年、父はマラソンを趣味にしていた。
フルマラソン。ホノルルにも行ったし、沖縄にも行った。
わたしのところに遊びに来るときは、近隣で行われる10キロマラソンなどにエントリーして、旅行+マラソンを楽しんでいた。

小さいときからとてもストイックな父だった。内弁慶で、家族や自分にはとても厳しい人だった。頑固で偏屈、わからずやの父に反発してわたしは家を出たが、小さいときは面白い体験を沢山させてくれた。そのお話はまた別に書こうかな。

さて、父が死ぬ前日のこと。

「病院の先生が家族を呼んでくださいと言っている」と実家にいる兄が電話口でわたしに告げた。それはどこか、不思議そうな声で。現実味を帯びない現実に直面しているような様子だったが、それでもその言葉を聞いたとたんにわたしの心臓は大きくズキンと鳴った。

急いで支度をし、娘たちを車に乗せ、夜通し高速を走った。いつもなら片道8時間の行程の途中で眠気に襲われるところだが、今回ばかりは眠気も寄り付かなかった。

父の入院する病院に着いたとき、朝を迎えていた。父は、唐突に表れたわたしを不思議そうに、目をまん丸くして見た。

父は、元気そうだった。
ベットで布団を被って横たわってなんかいなかった。
「危篤」で家族が呼ばれるときの、あのお約束シーンはそこにはなかった。

父は上半身を起こして、大きな声でわたしに声をかける。

「何しに来たん?」

若干、呼吸が早く、話し辛そうではあったけど、しっかりとした、いつもと変わらぬ父だった。

「会いに来たんよー」というわたしに、「いけるいける(大丈夫大丈夫)」と言う父。父の姿を見た瞬間にあふれ出そうになった涙も、若干拍子抜けしてするすると引っ込んでいった。

両手をぐいっと上に上げて「あーーーーっ!」と大きな声を上げながら伸びをする父。これがこれから死のうとする人の動きなのだろうか。兄の、電話口での実感のない声を思い出す。

それでも、やっぱり身体は思い通りには動かないみたいで。「足が、動かんのんじゃぁ。」と悔しそうに言い、膝の裏を自分の手で支えて持ち上げる。動かない足をさすって、叩いて、何とか動かそうとする。はぁはぁ、はぁはぁ、と絶え間なく短い間隔で繰り返す呼吸。まるでマラソンを走っているときの呼吸だ。

「息、しんどいなぁ」とわたしが声をかけると、手のひらを顔の前で左右に振り、「ほうでもないわよ」と、意外と大丈夫、をアピールする。

「いけるけんなぁ、帰っときぃよ」と言う父に促され、わたしは病院を後にし、実家に戻った。

病院の先生は「その時は近い」、と判断しているようだが、素人目には正直全く分からなかった。だって声もあんなに出るし、身体もあんなに動いてる。意識もはっきりしてるもん。これから長丁場になるかもしれないなぁ、なんて思ったりしてた。

でも。

その時は、思ったより早く訪れた。
その日、皆が夜の食事やお風呂を終えた頃、病院からの電話が鳴った。


続く。





これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/